P-51マスタング誕生秘話〜A36アパッチ
昭和世代の男性なら聞いたことはある、ゼロ戦、ハヤブサ、メッサーシュミット、グラマン、スピットファイアー。それにマンガの『紫電改のタカ』の紫電改。
そして、一番強いと言われて、賛否両論のあるムスタング(当時はマスタングとは言わない)といったところでしょうか。最優秀機と称されています。
そのP-51マスタングですが、実は戦闘機ではなく攻撃機としてデビューしていたのです。しかも違う形式番号で。今回はそんな話です。
◆イギリスから他社製の戦闘機生産を依頼される
アメリカの小さな航空機製造メーカー・ノースアメリカン社は、戦争が始まると、イギリス支援のために戦闘機のライセンス生産を国から依頼されます。
内容は、アメリカのカーチス社のP-40という戦闘機のライセンス生産です。同時代の他国の戦闘機と較べてもお世辞にも優秀とはいえない機体でしたが、生産性の良さと実用的というのがウリだったのです。
ドイツの侵攻が間近に迫ってきている今、平凡でもいいからとにかく数を急いで揃えないといけない!そういう状況でした。
このノースアメリカン会社の規模は小さく、練習機など競合しない機種を製造する隙間産業的な会社でした。
◆自社開発してみようと提案して生まれた戦闘機
「自分たちでもしっかりした技術があるのに、他社の平凡な製品をライセンス生産するなんてつまらない」というのはよく分かる話です。
そこで、ノースアメリカン社の社長とエドガー技師は、かねてから着想があった新型戦闘機のアイデアをイギリス側へ提出します。「P-40と同じエンジンで、もっと良い飛行機を、より短い製作期間で初飛行させてみせる」とこちらからイギリス側に交渉するのです。
こうして契約は成立。1940年3月からNA-73開発計画が開始されます。これが後のP-51Aマスタングになっていく訳です。
計画立案からわずか9ヶ月未満で完成したこの機体、英国向け航空機マスタングMk.1と名付けられます。
P-40と同じエンジンで、高高度には向かないことから戦闘機というよりも地上攻撃や写真偵察に投入されます。600機あまりがイギリスに納入され、1942年の3月に実戦投入、当初の予想に反して大活躍します。
イギリスがこの機体の高性能ぶりに大喜びしているのをみて、ノースアメリカン社でも「これ、自分たちの国でもいけるんじゃね?」と思いたち、マスタングの売り込みアメリカ軍部にかけます。
アメリカでも結果的にはP-51の正式番号を与えられ採用されるのですが、50機近くが納入された所で、新戦闘機導入の予算を使い果たしてしまいました。
しかしながら、当時の軍用機調達担当者は、このマスタングに惚れ込んでいました。そこで「戦闘機の予算がなくなったら、攻撃機の開発予算がまだ余っているぞ」とノースアメリカン社に打診、こうして、予算の目を掻い潜って、攻撃機という名目で生産させてしまいます。爆弾と急降下爆撃ができるように改造されたのが、A-36Aでした。
裏技を使うなんで、今も昔もそんなに変わらないですね(笑)
外見はP-51Aとほとんど同じです。急降下爆撃ができるようにダイブブレーキを付けている点が大きな違いでしょうか。愛称は「アパッチ」と名付けられ、1943年の3月から戦闘爆撃隊として実戦配備に就くのでした。
ちなみにこの当時のアメリカ陸軍は戦闘機はP、攻撃機にはAのイニシャルが先につきます。
このA-36AアパッチもマスタングMk.1同様、大活躍します。特にトロッコやアルジェリアに展開していた第27戦闘爆撃隊と第86戦闘爆撃隊の活躍は有名で、約300機のA-36A型機が地中海に配備されました。
高度ゼロメートルという、超低空飛行の任務を特別に受けたパイロットたちは、レーダーの目をくぐり抜け、時には急降下爆撃を繰り返し、ドイツ陸軍からは「スクリーミング・ヘルダイバー」という名で恐れられることになります。
◆名戦闘機P-51マスタングB/Cの登場
このマスタングMk.1やA-36Aアパッチの活躍が目につき始めると、イギリスの技術者たちは、この機体の可能性に気づき始めます。
「この機体に、我らがスピットファイアのマーリンエンジンを搭載すればどうなるか・・・」技術者たちは、マスタングMK.Iにマーリン68エンジンを搭載してテストしてみます。
飛行機の性能はエンジンに大きな影響を受けます。幸運にもこのマーリンエンジンは、優れた高高度性能を持ちながら、アリソンエンジンとほぼ同サイズ、重量も同じなので改修は簡単でした。
はたして、その結果は・・・。誰もが驚嘆すべきものでした。試験飛行したその機体は、最新のイギリス製の戦闘機を含め、いかなる機体より早く、航続距離性能も向上しました。
こうして、早速1943年からパッカード製のマーリンエンジンを搭載したマスタングの生産が始まります。プロペラも3枚からより大型のハルミトン・スタンダード製の4枚へと変更されました。P-51B/Cの登場です。イギリス向けにはマスタングMK.Ⅲと呼称されるようになります。
連合国はこうしてB-17を護衛できる本格的な長距離侵攻ができる戦闘機を手に入れることができたのです。
D型になりと、コクピットの視界向上型のバブルキャノピーになり、私たちマニアには、お馴染みのスタイルになります。
◆それでもマスタングはマスタング?
さて、こうして低空飛行の場面でも急降下爆撃でも高高度での戦闘でも活躍したマスタングシリーズですが、元々最初に活躍していたA-36Aアパッチの戦闘爆撃隊の彼らにしては、マスタングの活躍として誤って伝えられることが多かったようで面白いはずがありません。
彼ら戦闘爆撃隊のアパッチパイロットたちにとってはこれは耐えられないことだったようで、この任務に相応しい名前をつけようではないかという話が持ち上がります。
やがてヨーロッパを奪還するべく任務に就くであろう当時のA-36Aに付けられた新しい名前はインベーダー(侵略者、侵入者の意)でした。
しかし、彼らの努力も虚しく、マスタングの高性能ぶりは世に広がるにつれ、アパッチやインベーダーの名前は、マスタングの名前に隠されるようになってしまいます。
やはり、最初の名前がマスタングでしたので、マスタングはやはりマスタングといった感じなのでしょうか。ちょっとさみしいですね・・・。
◆アパッチの終焉と後継者の活躍
さて、1943年に活躍のピークを迎えたA-36Aアパッチも、1944年には、後継機のP-47サンダーボルトへと機種変更になります。すでに仲間のP-51Aも高高度性能にパワーアップしたP-51B/Cに切り替わっていました。短い活躍期間ではありましたが、「アパッチ(マスタング)が本来持つ機動性とその頑丈さ、信頼性は、P-47に乗り替わったとしても忘れられるものではなかった」という証言も残されています。
A-36は約500機が生産され、北アフリカ、地中海、イタリア、インド、ビルマなどの各戦線で使用されました。
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