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大失敗と左遷の憂き目に〜双発戦闘機たちの物語②

 航空機エンジンが成長途中の1935年代、非力なエンジンをカバーする双発戦闘機万能論が欧米諸国で論議され、開発ブームが起きました。あまりの期待の大きさにすでに専用航空団を作るお国も。かなり大きな期待を受けてデビューした彼ら。その結果はどうだったでしょうか。今回はその成果についてです。

◆まさかのデビュー戦(ドイツ編)

 1937年にいち早く実戦に投入されたのは、メッサーシュミットBf110です。一年前にデビューしたスーパー高速戦闘機、Bf109の弟分です。期待は否が応でもかかります。
 ヨーロッパ侵攻作戦などの緒戦でそれなりに活躍を見せ、いよいよ本番の大舞台である有名な英国上空の戦い、通称「バトル・オブ・ブリテン」を迎えます。
 今までの相手はフランス戦闘機など、いわば二軍級。今度の相手はハリケーンや最新鋭のスピットファイアです。護衛&制空戦闘機としての使命を達成できるのでしょうか。戦いの幕は切って落とされます。

 しかし、結果は悪い意味で予想を遥かに上回るものでした・・・・。
 それはまさかの惨敗中の惨敗。Bf110の航空団は、毎日のように損害を受け、わずか1日で一個航空団の全滅にも等しい30機もの損失も受けたことも。
 重武装の双発戦闘機は、高起動で動きまわる単発戦闘機には太刀打ちできなかったのです。He111などの爆撃機の護衛を行い、迎撃戦闘機を制圧するという当初の目的は大失敗です。
 あげくには爆撃機を護衛するはずだったBf110がさらにBf109に護衛を要請する状況にまで追い込まれてしまいます。
 「戦闘機に護衛してもらう戦闘機」・・・なんという汚名。
 結果、バトル・オブ・ブリテンの始めにあった実働237機のBf110は作戦終了時には、223機の損失を被ることになりました。
 これは、ほとんど全機交換という損害率です。Bf110の制空戦闘機・長距離護衛戦闘機としての任務は完全に失敗に終わりました。

英国の最新鋭戦闘機スピットファイアに狙われるBf110 損害は甚大なものでした。

◆連戦連敗の屠龍(日本陸軍編)

 日本ではどうでしょうか。キ45を大幅に改造し、採用となったキ45改は、1942年に二式複座戦闘機「屠龍」として中国大陸の爆撃機の長距離援護の任務につきます。長距離援護なので本来の任務ですね。
 相手はP-40トマホークなどの血気盛んなアメリカ陸軍義勇隊のフライングターガース。 

 この戦いで二式複戦は惨敗を喫しました。連戦連敗の事実は、二式複戦が敵の単発戦闘機とまともに戦えないということを示していました。まさにバトル・オブ・ブリテンでBf110の弱点が露呈したのと同じ状況です。
 双発戦闘機は単発戦闘機との格闘では太刀打ちできず、護衛戦闘機としては役に立たないことがはっきりしたのです。

爆撃機の護衛という遠距離戦闘機(遠戦)的な運用は失敗に終わります。

◆デビュー前で運が良かった月光(日本海軍編)

 日本海軍はこの様子を見ていましたので陸軍ほどの失敗はしませんでした。幸いにも長距離護衛任務は、単発でありながらも長大な航続距離を持た零戦が完成したので、開発中だった十三試双発陸上戦闘機は偵察機として運用することを決定します。これは二式陸上偵察機と命名されました(後の夜間戦闘機「月光」となる)。これは本当に運が良かったですね。

中島二式陸偵 幸運の持ち主

◆ペロハチから双胴の悪魔へ変貌(アメリカ編)

 P-38ライトニング(初飛行1939年)も双発戦闘機の運動性の悪さから、日本機とまともに空戦すると太刀打ちできませんでした。
 日本からは、ちょろい相手だと「ペロハチ」という悪名ももらうのですが、その機体性能に適した一撃離脱戦法を取るようになってからは「双胴の悪魔」という名前で恐れられるようになります。
 護衛の零戦を翻弄し、山本五十六長官を撃墜したのもこのP-38です。
 P-38はP-51ムスタングP-47サンダーボルトなどに長距離護衛任務を譲り、自分自身は戦闘爆撃機や高速偵察機として活躍をしていきます。

P-38ライトニング 用法をすぐ切り替えるのは流石アメリカ。

◆戦闘機本来の使命を果たせず・・・

 こうして、双発戦闘機たちは、戦闘機としての任務を外され、戦闘爆撃機や偵察機、沿岸パトロールなどの任務に回されていきことになるのです。
 なんでもこなせる万能機とは、そこそこ使える平凡な汎用機と紙一重でした。
 自分も他人からも出来るヤツと期待されたけど、思った以上に仕事ができなくて、後方勤務に左遷されられたサラリーマンという感じでしょうか・・・・。

こんなはずでは・・・・(´・ω・`)

◆失敗の原因は?

 このように一見、良いとこどりの双発戦闘機は、開発期間中に、より大馬力のエンジンの開発や後続距離を伸ばす落下式タンクの開発、燃費向上につながる可変ピッチプロペラなどの技術革新が行われ、登場する頃には必ずしも双発である必要もなくなりつつある時代になっていたのです。

 特に零式艦上戦闘機のデビューは、「長距離を随行し、爆撃機の護衛&敵機を撃墜して制空権を取る」という念願を、双発でもない、単発の戦闘機で成し遂げてしまいました。
 爆撃機と共に膨大な距離を乗員一人でついていって、しかも迎撃に上がってきた戦闘機を格闘戦で駆逐するという離れ業を行うのですから、まさに無双。双発戦闘機の出る幕はありません。

◆戦闘機乗りはあくまでも戦闘機乗りでいたい

 やるせないのはパイロットたちでありましょう。戦闘機乗りとはパイロットたちの憧れです。戦闘機乗りは最後まで戦闘機乗りでありたいもの。爆撃機乗りとでは気質も全然違います。後方支援の任務や地上攻撃などは嫌がるのです。
 かの有名なドイツの撃墜王エーリッヒ・ハルトマンもソ連抑留後、ドイツ連邦空軍の戦闘爆撃航空団の指揮官を命じられた時、「自分は戦闘機しか乗らない」と受諾を拒否していますから、戦闘機乗りはあくまで戦闘機乗りなのですね。
 戦闘機自身もあくまで戦闘機でありたい。飛行機たちの願いがあるかどうかはわかりませんが、戦闘機としての失格の烙印を押された可哀想な彼らの願いは、実は思わぬ形で叶えられることになるのです。→続きます

このまま駄作機として終わるのか・・・・

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