使える木材を探せ!木製に戻った大戦機たち〜その1
戦争とは、人命、財政、資源等、その国家及び周辺の環境、全てのエネルギーを食いつくす化物のようなもの。
資源が乏しかった日本では、戦争の長期化に伴い、金属物資が不足してきます。家の鍋、釜、刀、銅像、お寺の鐘なども供出させられた話はよく聞きますね。
軍用機は多くの金属部品で出来ているため、戦局の悪い国は供給が絶たれたり、その資源不足に悩み始めます。今回は、せっかくの最新鋭の技術を取り入れた軍用機たちが物資不足で再び木製に戻らざる負えなくなる話です。
果たしてその目論見は成功したのか、失敗したのか?
4回シリーズでお送りします。
◆金属資源不足を招いた戦争
第二次世界大戦が始まると、資材を大量に消耗する戦争は、ドイツや日本など、資源に乏しい国にとっては厳しいものになりました。
航空機の主材料となるボーキサイトは日本では産出できず、日本が占領しているマレー半島(今のマレーシア)から送られてくることに頼っていたのです。
このボーキサイト、アルミニウム合金やジュラルミンの主原料となるのですが、現地での生産力と日本に運ぶ輸送能力が分かれば、いつごろにどの位の航空機が生産できるかの計画が立てられます。
戦争が優位のうちは良かったのですが、劣勢になって、敵潜水艦に輸送船が撃沈され始めるとこれらの軍需物資が満足に届かなくなります。
実は軍部では物資不足になることも想定して、航空機の構造材料を金属から木材に切り替える研究が|空技廠《くうぎしょう》(国で航空機研究をする機関)や各航空機メーカーで行われていました。
また実際に戦争が始まると、負荷がかかりにくい尾翼や主翼の一部、床板など、可能な限りの部材が実際に木製化されていきます。
航空技術者たちは、どれだけ軽量化するのに苦労しているのに、今度は、貴重な材料をどれだけ節約するかということにも苦心しないといけなくなるので本当に大変だったと思います。
◆使える木材を探せ!
さて、金属構造から再び木材構造へ戻る場合、その荷重に耐えられる木材を探すことから始まります。
特に重要なのが翼桁。ジュラルミンでも軽量化と強度を保つことが難しい構造ですが、これも木材で加工するとなると、どの木材が適しているのかが未知数になります。
日本では、|空技廠《くうぎしょう》の材料部に勤めていた海軍士官の宇野博士が中心となってこの任務にあたることになりました。
実は、戦前から民間会社や林業関係各官庁の協力のもとに大々的に調査をしていたのですが、輸入ものではなく、なるべく日本国内の木材を使用しようということで調べていたのです。
それまでは、桁は北米産のスプルース、プロペラは中米産のマホガニーに限るとの声もありました。しかし、その木材の特性を研究し、国内の木材で賄えば願ったり叶ったりです。
様々な研究と試行錯誤の結果、日本国内によくある「松」や「ヒノキ」を主に使用することになります。しかし天然素材の木材をそのまま使用すると品質や調達にばらつきが生じるため、薄い板を重ね合わせて積層木材として使う研究も行われました。
これには接着剤がとても重要になってくるのです。これも研究の結果、ベークライト樹脂(フェノール樹脂)の接着剤が適していることが分かります。
ベークライト樹脂とは、石炭酸(フェノール)とホルマリンによって作り出された樹脂で、1907年にベークライトという化学者が発明したもので、世界で始めて植物以外の原料より人工的に合成されたプラスチックと言われています。
このフェノール樹脂などの接着剤を使い、デルタ合板という強化木材にして開発に成功したのがソ連の木製戦闘機たちです。
宇野技師たちは、積層木材の研究の結果、幾つもの木材をベークライト樹脂の接着剤を使い、長さ数メートル、厚さ15cm、幅10cm位の翼桁用材を完成させるまでになっていました。
さて、ここまで来るといよいよ実用化に向けてスタートです。1943年、戦局は日本にとっても不利になりつつあり、物資の調達も困難を極めてきました。
実はこの木製戦闘機、お手本となる航空機がすでにイギリスやソ連でデビューしていたのです。
特にイギリスでは「木造の奇跡」とまで言われた軍用機が大活躍していました。次回はその話を。
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