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重力の束縛と自由の翼〜空への飽くなき探求

 昔、工学系の学生へ卒業記念としてスピーチした内容です。自分の人生論のようなものです。


◆重力の存在

 古来から人は空に憧れてきました。鳥のように大空を羽ばたき、自由にさまざまな場所へ飛んでいきたいと願うものの、その夢は長い間叶えられませんでした。
 飛行機が登場し、空を飛べるようになって約120年。人類の歴史の中で空を飛ぶことができたのは、実はつい最近のことなのです。

 人間は長い間、重力という束縛から逃れられずにいました。地球の表面には薄い空気層が存在し、その中で私たちはまるで動物の体表に微生物が付着しているかのように生存しています。
 もし地球がサッカーボール大(約20cm)だとしたら、その空気層の高さはコピー用紙1枚(約0.13mm程度)に過ぎません。この薄い膜の中で私たちは生きています。
 しかし、この空気層が重力によって地表にしばりつけられているからこそ、私たちは呼吸し、生存できるのです。

 実は、この重力こそが私たちの生きる環境を与えてくれています。雨や雲、気象も重力によって引き起こされ、地震も重力の影響を受けています。私たちが生活する大地や岩、石もすべて重力の作用によって形成されています。

 もし重力がなければ、私たちの生存に必要な空気は宇宙空間に逃げてしまい、生物は生きられなくなります。つまり、生きる代償として地上に束縛される運命を背負ってきたのが人類なのです。

 まるで神が「人間よ、生きる環境を与える代わりに、この地上を這いつくばることになるのだ。それがお前たちの生きる代償だ」と告げているかのようです。

◆空への憧れ

 それでも、人は大空への憧れを捨てることがありませんでした。この重力に抗い、空を飛びたいという欲求は何なのでしょうか。なぜ人々はこれほどまでに心を動かされるのでしょうか。
 「大地から離れ、鳥のように飛び、自由に好きな所へ行きたい。」それは人間の本能に似た情熱かもしれません。また、高い所から地上を見渡すと、地表では得られなかった視界が広がり、自分が大きくなったような錯覚を抱かせます。

 空への憧れには、このような思いが込められているのではないでしょうか。しかし、重力に逆らって空を飛ぼうとした者たちには、「墜落死」という過酷な運命が待っていました。

イカロスの翼

 イカロスの翼の伝説、気球のモンゴルフイエ兄弟、グライダーの発明者リリエンタールなど、多くの人々が果敢に空への挑戦をし、命を落としました。
 まるで神の懲罰のように。「空は神の領域なのか」「空を飛ぶことは人間にとって許されない不遜な行為なのか」と、何度も挫折しかけたのです。
 しかし、私たちの祖先は諦めませんでした。空、大気、気象を観測し、鳥の滑空を見続けました。そして、重力が空気にも作用していることを突き止めます。

”空を飛びたい”という気持ちは人間の本能なのかもしれません。

 まず、気流の発見がありました。熱を帯びた空気は高い所へと舞い上がります。この原理を応用したのが熱気球です。人類は大地から離れることに成功しましたが、それでもまだ鳥のように自由には飛べませんでした。

 人間は鳥を観察し続け、ついに「揚力」の発見に至ります。空気に重力がかかることで揚力が発生し、空を飛ぶことが可能になるのです。
 この瞬間、重力は「地面への束縛」という呪いから、「空を飛ぶために必要な存在」へと変わりました。自然界は私たちに自由になるためのヒントをずっと与え続けていたのです。それは、私たちの日常にありました。大気の流れや気象の変化、気流の対流現象、身近な鳥たちの何気ない自然界の日常の中にあったのです。

◆真の自由とは心の中の自由

 このことを思うと、私はいつも考えます。

 「空なんか飛べるわけがない」と思っていた人々は確かに飛べませんでした。

 諦めずに「飛べる」と信じて挑戦し続けた人だけが飛べたのです。

 私たちは多くのことを、なんとなく諦めてしまっています。そしてそれを「運命」と詠んで自らを慰めようとします。
 
教育格差や経済格差、自分の力ではどうにもならないと感じる様々な束縛。諦め、嘆き、妥協の中で生活する姿は、かつての人類のようです。
 他人や環境のせいにしている限り、この翼は決してその人の手に渡らないでしょう。

 ですから、空への憧れが心の中に少しでもある人は、決して現在の環境に負けてはいけません。現状をバネにして、翼を手に入れたのが先人たちの冒険心なのです。
 「束縛」と思っていた重力が、実は自由への翼を与えるものであったように、今の環境の中にもあなたを鍛え、逞しくし、自由に飛び立つためのヒントが隠されているのです。

 束縛を重圧として感じ、ストレスに悩まされることもあるでしょう。しかし、心の自由だけは失ってはならないと思います。
 真の自由とは心の自由なのです。肉体が束縛されているとしても、心までは束縛されてはいけません。「考える力」「夢想する精神」「未来への希望」など、人間の精神は重力の影響を受けることはないのです。

◆自由の翼

 今や人類は、地球の重力からも解放され、宇宙へ飛び出そうとしています。これも重力という過酷な環境を乗り越える努力の成果です。
 しかし、その一方で、環境破壊や公害、自然への謙虚さを忘れた経済至上主義など、近代における人類の傲慢さが問題視されています。これは、長い目で見れば、子供が親に反抗する時期に相当するかもしれません。
 宇宙への飛び出しは、親離れのような感覚を伴うのかもしれません。科学万能主義は一時的な反抗期であり、親から与えられたすべてを受け入れて育った子供が、大人になるための通過儀礼のようです。

 私たちが成長し、様々な経験を積んで精神が円熟していく時、親に感謝する日が来るように、宇宙時代への幕開けで地球を離れようとする人類も、母なる星である地球に感謝する日が来ると私は思います。
 そして、もし地球上から戦争が無くなるとすれば、それは人類が「大人」になる時かもしれません。政治や社会システム、または他人のせいにしている限り、このことは実現しないかもしれません。
 現状の不幸を他者や社会構造のせいにしているうちは、独立した大人になりきれていないのかもしれません。

 一人ひとりが環境を乗り越える精神力を持つことが、大人と子供の違いです。
 他者を蹴落としたり、非難中傷に明け暮れるのではなく、やるべきことがあるはずです。
 それは、不満を乗り越えるほどの大きな希望と未来へのロマンではないでしょうか。
 重力という名の環境に負けてはいけません。しかし、重力から逃げてもいけません。
 
過去の先人たちのように、自分たちを縛り付けているものの中にこそ、自由の翼を手に入れるヒントが隠されているのです。

 ぜひ、一人でも多くの人が「環境」という名の重力に負けることなく、自由の翼を手に入れてほしいと思います。


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