悪鬼を退治する鍾馗さま。日本の革新的戦闘機二式戦「鍾馗」
今回は日本陸軍機の中でも異色中の異色の存在、二式戦闘機「鍾馗」のお話になります。
◆格闘戦重視の呪縛から抜け出した革新的戦闘機
戦前の日本の航空機産業は、複葉機時代から生まれた格闘戦重視主義の思想が根強く浸透していました。
ひらりひらりと敵機の機銃攻撃をかわし、後ろに回り込んで撃墜する。どっちが相手の後ろに回るかという、いわばドックファイトですね。
なので、続々と開発される戦闘機もテストパイロットたちからすれば、いかに運動性能が優れているかという点を見られます。それは海軍の「零戦」しかり、陸軍の一式戦「隼」しかりです。
なので、後継機の開発も、以前より格闘戦性能が落ちてしまう訳にはいきません。より早く、より重武装であり、より強力なエンジンを搭載する流れにも関わらず・・・です。
ですので、海軍の九六式艦からの零戦、陸軍の九七式戦からの隼の開発も、難航することになります。なにせ、クライアントの軍もテストパイロットも、わーわー言う訳ですから。
しかし、欧米など、世界の流れは、複葉機時代から生まれた格闘戦重視から抜け出し始め、強力なエンジン馬力を充分に活用した、加速力、上昇力、強力な武装、そしてこれらの性能を活用した一撃離脱戦法主義へと動いていました。
◆軽戦「隼」の保険として開発された「鍾馗」
当然、一撃離脱戦法を活かせる戦闘機を開発したいという願いはありましたが、しかしそれはまだ、少数野党状態。改革はなかなか進まないのは昔も今も同じです。
そこで、1937年あたりから、妥協案として陸軍は、従来通り格闘性能を重視した「軽戦」以外に、速度重視で重武装の「重戦」、そして長距離の「複座戦闘機」を加え、この3種を研究・開発計画をスタートさせます。
開発陣の中島飛行機では、九七式戦の正統な後継機として軽戦「隼」が開発されている裏で、重戦の二式戦「鍾馗」の開発をスタートさせます。隼が不採用になった時の保険、いわば研究機としての側面が強い機体となった訳です。
この「主流ではない」「注目されない」ということは、逆に言えば、自分たち開発者の思うままにできるということでもあります。
色々と注文を付けられて実用化が難航していた一式戦「隼」に比べ、特にうるさく言われない「鍾馗」は、その分、技術者たちの新技術や新構想を次々と盛り込むことができました。
後に「日本の宇宙開発の父」として有名な糸川英夫技師によると「自分で最高の傑作だと思っているのは「隼」の次の「鍾馗」である。」と戦後の著書に記しているそうで。時として、制約に縛られず、自由にやらせるということも重要なことですね。
例えば、これだけの新技術を鍾馗には盛り込んでいます。
日本の戦闘機としては初の防弾鋼板(総重量60kg)、防火タンク、運動性能も上げるための蝶形空戦フラップ、射撃の安定性を高めるための特徴的な垂直尾翼、頑丈な急降下制限速度(零戦が650km/hに対し、850km/h以上)など、当時の日本の戦闘機としては異色な存在であったといえます。
◆重戦大国のドイツの強烈な後押し
さて、こうして原型の第1号機の初飛行が1940年の夏に出来上がりますが、大きなエンジンのために前方の視界も悪く、着陸速度も高いことから、軽快な格闘戦能力を理想とする多くの古参操縦者からは相変わらずの不評を被ってます。
そんな折に、1941年、ドイツから高速一撃離脱戦法のBf109E戦闘機がパイロットと共に来日してきました。そして、鍾馗との模擬空戦や比較テストの結果、なんと、総合性能はドイツの主力戦闘機Bf109Eを上回る結果となったのです。
これで、一気に欧米戦闘機に充分対抗できる戦闘機!としてこの鍾馗の評価が爆上がりになるのです。
加えて、テストパイロットとして来日してきたヴィルヘルム・シュテーアは鍾馗にも試乗し、「日本のパイロットが全員これ(鍾馗)を乗りこなすことが出来たら、日本空軍は世界一になる」とまで強烈後押し発言しています。この点、戦後のアメリカで「急降下性能ろ上昇力が傑出した、迎撃戦闘機としては日本機で最も高い性能を保持した機体である」と最高の評価を受けている点でも似ていますね。
自国の評判が悪かった鍾馗は、他国から太鼓判を押されることになり、実用化に向けて大きく前進することになりました。凝り固まった既成概念は外部から壊してもらわないと改革が進まない良い例だと思いますね(笑)。
◆迎撃戦闘機として大活躍
さて、鍾馗の実績ですが、増加試作機を部隊が太平洋戦争緒戦の南方作戦に従事したのですが、航続距離の短さから、陸軍主力の「隼」ほどの活躍はできませんでした。
鍾馗がその性能を発揮できたのは、航続距離があまり問題にならない場面、そう、守戦に入った本国防衛戦になってからです。この点も迎撃戦闘機として成果を発揮したBf109とも似ていますね。後継機の四式戦闘機「疾風」と共に迎撃任務には最適な機体となりました。その活躍に関しましては別の機会にしたいと思います。
戦後のアメリカの評価でも、急降下性能と上昇力が傑出した迎撃戦闘機としては最も優れた戦闘機であるという評価を得ています。
◆鬼を退治する鍾馗さま
さて、この二式戦闘機キ44ですが、愛称は「鍾馗」に命名されてます。鍾馗といえば、端午の節句に絵や人形を奉納したり、魔除けのお守りとして日本ではお馴染みです。
中国の故事で、鬼を退治するものということで当時の戦争の状況もあって命名されたのかもしれません。なにせ当時は「鬼畜米英」ですからね。
鬼を退治するという意味で採用になったかもしれませんね。
また同時期に採用になったのは二式複座戦闘機の「屠龍」ということでこちらは竜を退治するという意味。欧米流にいうならドラゴンスレイヤーです。
正確には「屠竜(とりょう)」みたいですが、意味は同じだと思います。巨大な爆撃機を撃墜するのに重武装ということで、爆撃機を竜に例えたのでしょう。