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宮崎駿の「反戦派なのに兵器好き」の矛盾。その答えが「風立ちぬ」か。

 前回の記事で九六式艦戦の記事をアップしましたが、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」も取り上げました。そこでとある疑問があったので自分なりに考察してみたいと思います。

◆戦争反対派なのに兵器好き?

 宮崎駿氏は大の軍オタ「兵器好き」で有名です。自分で考えた兵器の数々のスケッチを「雑想ノート」などの書籍にして出版しているくらいです。
 もちろん、兵器好きが戦争好きとは結びつきませんが、戦争肯定論者とも捉えかねませんよね。
 しかし、宮崎駿氏自身は憲法改革反対、戦争反対論者です。それは、映画の中でも、軍に対する批判、飛行機が戦争の道具として使われていることへの批判などからも十分に伝わってきます。
 しかし、戦争に使うために開発された兵器は大好きなご様子。あれれ?
 それも映画の中で、様々な兵器としての航空機がマニアックなほどに描きこまれています。え?矛盾?しかも、美しくかっこ良く。

マニアックすぎて・・・。

◆同じ兵器の零戦映画を強く批判するのはなぜ?

 この兵器好きと戦争嫌い。監督自身に存在しているこの矛盾感をどう解決するのか。これに対するひとつの答えを出したのが、この映画ではなかったのかなぁと思えるのです。
 宮崎駿氏は零戦が出てくる「永遠のゼロ」を酷評しています。零戦に対し、嘘を並べた戦争賛美映画だと。

宮崎駿、『風立ちぬ』と同じ百田尚樹の零戦映画を酷評「噓八百」「神話捏造」

 この発言には同じ零戦好きな者としては、非常に違和感を感じました。そこまで言うかぁ?みたいな。
 そういえば、『風立ちぬ』で出てくる零戦は塗装が剥げたリアルなものではなく、鳥のように美しく描かれています。あくまでも「美しい」飛行機なのです。

美しい・・・おそらく21型

 しかし、実際の零戦は、リアルな戦争の中を最初から最後まで戦い尽くしました。エンジン周りは油汚れで、塗装は剥げまくり、操縦席は時として、パイロットたちの汗と尿で異臭を放っていたとか。その点では、『永遠の0』の方が客観的に零戦の姿を描いていると思えるのです。
 また、この映画も作られた目的は、戦争賛美ではなく、軍部や特攻の愚かさ、平和の大切さを訴えた映画だと百田尚樹氏自身も述べてます。
 要は百田尚樹が嫌いなんでしょうか。両方のアプローチは違えども言いたいことは同じではないかと。

リアルなゼロは観たくない?「永遠の0」のワンシーン

◆美しいものたちは、そのままでいてほしい

 この批判をみると、ちょっと感情的で、要はこの人は「俺の大好きな美しい零戦に戦争のリアルを持ち込むな」と言いたいのかな?と思ってしまいました・・・。
 おそらく兵器であれ、人であれ、生き方であれ、美しいものを純粋に追い求めて一生懸命に生きる姿を描くことで、それが戦争賛美ではないことを表現したかったのかもしれません。そのキーワードは「美しい夢の追求」かなと。それは宮崎駿自身の信念かもしれないです。
 そして、それは時として悲劇にもなるし、残酷な毒をはらんでいることもちゃんと表現していると思えるのです。

ディテールの細かさがリアルですね

 私も幼少時から軍用機が好きで、それは旅客機よりも何故か魅力的に映るのですが、自分でもなんでだろう?って感じていました。そして実際に運良く航空機の設計にも携わることになりました。
 戦史を学んでいくうちに、軍用機に関わるエピソード、開発陣やパイロットたち、または戦場の兵士たちが一生懸命生きていく姿が、人間ドラマさながらに感じ、兵器もまるで擬人化したような錯覚を覚えたのです。飛行機をあえてヒコーキと名付けているのはそのためです。

 そういえば、戦前の日本の美しい風景もこれでもかという位に描きこまれていますが、関東大震災や戦争への準備などの描写もどこか、メルヘンチックで美しいですよね。

関東大震災の様子 考証も見事です。

 サウンドトラックのCDももちろん購入しましたが、郷愁が漂う、旅路(夢中飛行)などのBGMがまるで童話の世界のようでした。
 戦争の悲惨さを、ここまで毒気を抜いた描写に昇華させてしまう手法が本当にすごいと感じました。
 焼夷弾で燃えている空も美しいし、夢の中で出てくる飛行機の残骸たちも儚くも美しいのです。そこは地獄のようですがそれさえも美しく儚く描かれています。

零戦たちの残骸さえも美しい。

 不治の病におかされつつ「美しいまま」主人公の元を去る菜穂子と、戦争へと突入する今までの「美しい日本」を重ねあわせている描写は考えさせるものがありました。
 映画のサブタイトルでもある「生きねば」というのは、そのような世界の中で生きる人々への宮崎駿氏なりの答えではなかったのかと思うのです。  
 映画『風立ちぬ』は、宮崎駿氏個人の理想と妄想の世界、現時点で考えている世界を、正直にあますことなく描いた映画ではなかったのではないかと思います。それが多くの人たちに共感を呼んだのではないかと。

クロード・モネの絵画みたい

 「風立ちぬ」封切り後の2013年9月6日に都内で会見を開き、長編映画製作からの引退を発表。
 「今回は本気です」というのも、彼自身の思想の集大成の作品を描ききったからだと思いました(その後やっぱりの引退詐欺に遭いましたが(^^)) 
 モノである飛行機を擬人化のヒコーキとして捉えてしまう人間には、とても共感できる映画でした。リアルな『永遠の0』も好きなんですけどね。


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