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ジェットとレシプロの混合動力機、FRファイアボールその性能は?
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■ジェットエンジンの黎明期に登場した機体
終戦間もない頃に登場したジェット機は、戦後急速に各国で実用化されていきました。当時のジェットエンジンは黎明期であり、信頼性や航続時間には多くの問題がありました。ドイツの実用ジェット戦闘機だったメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は急加速するとエンジンが停止する危険性もあったくらいです。まさにハイリスク・ハイリターン。
特に空母に乗せる艦載機として使用する際には、甲板という限られた離陸距離や加速性能が求められ、陸上基地の飛行場とは比較にならない過酷な条件が必要とされました。「着艦とは意図的な墜落である」と揶揄されているくらいですので。
また、当時のジェットエンジンはかなり燃費が悪く、広い洋上で展開する艦上戦闘機にとっては大きなリスクとなりました。
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そこで、信頼性と燃費は低いけど出力の高いジェットエンジンと、信頼性の高くて燃費の良いレシプロエンジンを組み合わせるというアイデアから生まれたのがFRファイアボールです。これはまさにハイブリッド車のような存在です。「いいことを考えた!」と当時の開発者たちは思ったのでしょう。
戦闘時にはジェットエンジンで、普段はレシプロエンジンで使い分けるという感じです。今のハイブリッド車と似てますね。
開発は1943年に始まり、初飛行は1944年6月25日と、急ピッチなスケジュールで進められました。
大きさは零戦とそう変わらないのですが、重量が倍近くあります。
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外観は完全にレシプロ機ですが、尾輪ではなく前輪式であるため、少し違和感があります。また、尾部にはジェット機にしては細いノズルが見え、重心がかなり後ろにきそうなジェットエンジンの搭載が特徴です。
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■変わった運用方法
この機体の最高速度はジェットエンジンを使用した場合で690km/h、レシプロエンジン使用時の巡航速度は約250km/hでした。
またジェットエンジンで飛行する際はレシプロエンジンを止めるため、プロペラが止まっているのに飛び続けるという、エンジン2基搭載ということを知らなければ不思議に思える姿でした。プロペラが止まっていたら大きな空気抵抗にならないのかな・・・。
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FRファイアボールはアメリカ海軍初のジェットエンジン搭載機として、改良型のFR-2と合わせて700機が発注されましたが、終戦により結局66機しか生産されませんでした。一方、陸軍ではP-80(F-80)シューティングスターが1944年1月に初飛行し、アメリカ軍初の実用ジェット戦闘機として早くから運用されました。練習機型のT-33も有名です。
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F-80やT-33が長く運用されたのに対し、FRファイアボールはわずか2年ほどで退役しました。これはジェットエンジンの急速な進歩により、ハイブリッドとしてのメリットがなくなったためです。
しかしながら1946年11月6日に「ジェットエンジン搭載で初めて空母に着艦した飛行機」という称号を得ています。(純粋なジェットエンジン搭載機はFHファントムで1946年7月21日に成功)
レシプロエンジンをターボプロップエンジン(ジェットの排気ガスの反動でプロペラを駆動させる原理のエンジン)に換装した改良型のXF2Rダークシャークも試作機止まりで終わりました。
この時期に開発されたF-80がその後も活躍し、T-33が今も現役であることを考えると、明暗が分かれた2機と言えます。中途半端感が否めなかったのが原因かもしれません。現在、FRファイアーボールの現存機はカリフォルニア州の博物館に展示されています。
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■短命に終わった他の混合動力機
ジェットの黎明期には、ジェットとレシプロの混合動力機(複合動力機)がいくつか試作されました。
特に艦載機に多く見られたのは、ジェットエンジンの燃費の悪さとスロットルの調整が難しいことによる着艦の困難さを解決するためのアイデアでした。
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これらの機体はどれも個性的なデザインを持っていますが、試作機止まりで実用化されることはありませんでした。
前述したXF2Rダークシャークは1機のみ。
コンベアXP-81はアメリカ陸軍航空軍で開発された長距離単座戦闘機(1945年1月初飛行)で、航続距離は4,000kmに達しました。
XF15Cは1945年2月に初飛行した艦上戦闘機で、2,100馬力のレシプロエンジンを搭載し性能も良好でしたが、 ジェットエンジンの能力向上により複合動力機のメリットがなくなり、1947年に計画はキャンセルされました。生産数は1機のみです。
過渡期ならではの機体といえます。個人的にはこの時代ならでは、ものすごく好きな機体です。今のハイブリッド車たちも数十年後にはどうなっているのでしょうか。
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