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戦闘機より速い爆撃機を作れ! 〜その1

 今回はミリタリーな話を。少し専門的な話になります。
 軍用機で一番速い飛行機というと、やはり「戦闘機」が思い浮ぶかと思います。そして次に「爆撃機」でしょうか。戦闘機より大きくて、遅く、そして愚鈍なイメージが強いかと思いますし、その想像は概ね正解です。今回は戦闘機よりも速い高速爆撃機開発の話です。


◆爆撃の任務を達成するには?

 爆撃機は愚鈍で重いため、味方の護衛の戦闘機がいないと、敵機にさらされピンチになるわけです。目的地までたどり着いて任務を果たし、無事帰還するにはどうすればいいか。
 各国の軍隊や技術者たちは、自分たちの持てる資源、技術、戦術・戦略を総動員して対策を練りました。

・対策その1〜護衛機に守られる

P-47とB-17

 一番良いのは、味方の護衛戦闘機に守られて飛行することです。問題となるのは、護衛する戦闘機の航続距離です。運動性能が求められる戦闘機ですので、そう大型化はできません。燃料タンクの容量にも限りがあります。
 日本では洋上作戦の行動範囲が広く、大型の爆撃機の長大な航続距離に随行できる戦闘機の開発が急務になりました。「援護専用の遠距離戦闘機」のコンセプトのもと、「月光」などが開発されるようになります。双発戦闘機はそういう目的で開発されましたが、単発戦闘機の零戦は充分にその役割を担うことができました。
 アメリカのB-17B-29などの大型爆撃機は、随伴してくれる味方のP-51マスタングP-47サンダーボルトに護衛されるようになると被害が激減しました。 
 P-51Dが第二次大戦の最優秀戦闘機にあがるのは、この航続距離と運動性の絶妙なバランスが評価されているからです。

増槽装備でなんと2,755km/hの航続距離のP-51D

・対策その2〜爆撃機の武装を強化する

アブロ・ランカスターの尾部銃座

 速度や運動性が低い部分をカバーするには、爆撃機自体の防御能力を上げる方法があります。 長距離戦闘機が開発されていないうちは、護衛戦闘機が随伴しない状況で空襲を行うことが前提で開発される機体が多く、さきほどのB-17もこのコンセントで開発され、「空の要塞」とまで言われた重武装が特徴です。機銃がなんと13丁。
 アメリカには「爆撃機優位論」という説があって、強力な火力と密集編隊なら近づいてくる迎撃戦闘機を優位に撃ち落とせると考えていました(実際には困難を極め、大損害を被ることになるのですが・・・)。

密集編隊で飛行する空の要塞B-17 

・対策その3〜夜間に攻撃する

 昼間の飛行は敵機にとっても目標が視認しやすいため、数多くの銃弾にさらされるようになります。航空兵力が劣勢の時は、夜間爆撃が主体となりました。ドイツVSイギリスの夜間戦闘はレーダーの開発競争となり、抜きつ抜かれつのシーソーゲームの様相を呈してきます。

・対策その4〜敵機が届かない高度を飛行する

 これはアメリカの爆撃機B-29がとった戦法です。高高度飛行ができるためには、そのためのエンジンやパイロットの与圧装置が必要ですが、B-29は最初から現在の旅客機のような与圧室を装備し、長距離戦略爆撃を想定して設計されていました。
 高高度爆撃は、日本機には有効でしたが、その反面、精密爆撃がしづらいという欠点もあります。その後、攻撃目標を無差別攻撃に切り替えたり、護衛戦闘機が随行できるようになると、徐々に高度を下げて攻撃してきています。

  B-29
B-29の半球状の与圧室

・対策その5〜戦闘機よりも速く飛んで逃げ切る

 そして、大戦前夜あたりから注目されていた方法が、この「戦闘機より速い爆撃機をつくる」ということでした。これは、1935年前後から注目されていたコンセプトで、双発のエンジンを搭載した爆撃機に求められていました。
 当時のエンジンはまだ1,000馬力級が主力で、最高速度も500km/h台でしたので、双発にして空力的に洗練させれば、単発の戦闘機と遜色のない速度が見込まれたのです。

 1934年に初飛行したドルニエDo-17は、「戦闘機より速い爆撃機を」というコンセプトで開発された初期の爆撃機です。そのため、「空飛ぶ鉛筆」とまで比喩された洗練された細い胴体が特徴です。
 半面、爆弾の搭載量がグッと減り、拡張性がなく、改良型の開発に苦労することになります。ユンカースJu88ハインケルHe111などの爆撃機にも高速性能を求められていました。

大戦初期のドイツの爆撃機たち

 日本では帝国陸軍がこのコンセプトに近い形で開発を行っていました。爆弾の搭載量や航続距離を多少犠牲にしてでも、敵戦闘機の迎撃を振り切れる程度の高速性能を確保する事を重視します。爆弾搭載量の不足は、機銃などの反復攻撃を行う事で補うという考え方でした。
 これは、中国大陸で作戦を展開していた陸軍にとって、目標は敵の飛行場や最前線の基地であり、これを徹底的に粉砕し、制空権を確保するという所に主眼を置いていたからです。
 高速で目標に近づき、敵機が迎撃に上る前に到着し、攻撃、そして反復攻撃もできる運動性も求められていました。

 日本陸軍の軽爆撃機・襲撃機の運用方法

 このコンセプトで開発されたのが、九七式重爆撃機九九式軽爆撃機などです。ただ、太平洋戦争が始まり、戦域が拡大すると、航続距離や搭載量の不足が問題となりました。

日本軍の爆撃機たち

 これらの双発爆撃機たちは、エンジン馬力の向上が進むとその優位性が保てなくなります。戦闘機の開発競争が激化しているため、せっかく実用化されても、速度面ですぐに劣るようになるからです。

◆制空権がない日本とドイツのとった爆撃機たちの行方

 それでも、海軍も含め「戦闘機を振り切ることのできる高性能」の要求は攻撃機、爆撃機の開発要求から外れることはありませんでした。戦局の悪化で制空権が確保できない日独は、この厳しい開発条件を外すことができなかったのでした。日本海軍のとった対策は以下のようなものでした。

・単発戦闘機並みのサイズで高速化を図る〜彗星

 双発機ではもはや戦闘機を超える速度を図ることは困難となった時、次は単発機の爆撃機や攻撃機開発で高速化を狙います。
 零戦とほぼ同サイズの艦上爆撃機の「彗星」はかなり小型に分類される機体でした。複座で早い機体は偵察機としても有効ですので、偵察機(二式艦上偵察機)としても重宝されています。

空冷にした彗星三三型

 こちらも最大速度530km/h〜570km/hと日本機の中ではかなり早いことには早いのですが、アメリカの最新鋭戦闘機たちの前には太刀打ちできませんでした。

・最後まで諦めなかった高速の双発爆撃機〜銀河

大型急降下爆撃機として開発された銀河

 実質上、海軍の最後に実用化された双発の高速爆撃機です。最高速度は546km/hをマーク。前任の一式陸攻よりも70〜90km/hも高速になり、搭載量はほぼ同じという性能は、徹底した小型化と空気抵抗の削減化から来たものでした。
 乗員も7名から3名へと削減することで胴体の最大幅も抑えています。しかし、これでも敵の戦闘機の前には有利にはなりませんでした。

 このように爆撃機としての搭載量と速度の両者を求められることは相反したものであり、現実には相当な苦労をすることになるのです。
 実際には、爆撃に高速性を求める場合は、戦闘機を戦闘爆撃機として利用した方が効率が良いことがわかります。
 アメリカでは、P-47など2,000馬力級エンジンの余力でもって戦闘爆撃機として使うことができ、護衛から地上攻撃まで縦横無尽な活躍をします。

戦闘爆撃機としても優秀だった P-47Dサンダーボルト

 日独を中心にした技術者たちを悩まし続けた、「戦闘機よりも早い高速爆撃機を」はもはや夢で終わるかに見えたのですが、ここでドイツがなんと大逆転の一発を放ちます。
 その続きを次回に。

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