双発戦闘機万能論の行方〜双発戦闘機たちの物語①
今回から全4回シリーズで、双発戦闘機なるヒコーキたちのエッセイを書いて行きます。まるで現代の中高年サラリーマンたちを象徴するような悲哀のこもった物語になると思います(^^)
◆各国でブームとなった双発戦闘機万能論
1935年から1940年頃にかけて、航空技術の先進国である欧米では「双発万能戦闘機」なるものの議論が盛んに行われ、実際に開発されていました。
当時のエンジンは、まだまだ非力で、1,000馬力級のエンジンが実用化され始めたばかりです。
ですので、爆撃機の援護で一緒に飛ぶにしても、1発のエンジンでは、それだけの燃料を積んで飛ぶ余裕がありません。
実際、支那事変で中国大陸へ深く侵攻した九六式陸上攻撃機も、ついていける戦闘機がおらず、護衛機なしで侵入し、敵から手痛い損害を被っていました。
◆双発戦闘機のメリットとは
そこで考えられたのが、航続距離を伸ばすために燃料の搭載量を増やし、重量が増加した分、エンジンを双発にしてしまおうというアイデアです。
運動性は単発戦闘機には劣りますが、それでも2基のエンジンによる大出力で単発機を上回る高速を狙います。
武装はエンジンを積まなくなった機首に集中装備するかたちもできますし、カメラに変えれば高速偵察機にもなります。
更には高い出力と大きな機体により、搭載力が大きいことから爆撃機や攻撃機としても使うことも可能です。
また航法装置や大型通信機も積載、複座として後部乗員を航法士・通信士とすることで指揮機とすることもできる訳です。
結果、一機種で戦闘・爆撃・偵察・指揮など、何役もこなせる効率的な機体となるのです。
①双発にすることで馬力が生まれ、高速化と航続距離が伸びる!
②双発にすることで、機首に大きな武装を搭載できる!
③双発にすることでスペースが生まれ、多用途な使い方ができる!
まさに万能、良いとこ尽くめ!
◆ブームに乗り遅れるな!各国の開発事情
こうして開発の競争心に煽られている各国は、我先にと各航空機メーカに開発を急がせます。
ドイツのメッサーシュミットBf110(運用開始1937年)やフランスのポテ631(運用開始1939年)、 イギリスのブリストルボーファイター(1939年初飛行)などの機体が続々と開発されていきました。
遅れてはならじと日本でも、キ45(1939年初飛行。後の屠龍)、十三試双発陸上戦闘機(1941初飛行。後の月光)などの開発が行われます。
いわば、大きな期待がかかったスーパールーキーたちという感じですね。
彼らは重武装であることから「重戦闘機」もしくは「駆逐機」と分類され、ヘルマン・ゲーリング(ドイツ空軍総司令官)などは大いにこのBf110を大いに持ち上げ、専用の航空団(ZG)も作り、優秀なパイロット候補生をBf110に回すことまでしています。
さて、彼らの実際のデビュー戦はどうだったのでしょうか。
それは誰もの予想を遥かに上回るものでした・・・・。続きます。
参考文献 光人社NF文庫『万能機列伝』他
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