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パラシュートの歴史

  最近、オカルトや都市伝説にハマっていましたが、今回はいつものヒコーキエッセイに戻ります(^^) 緊急事態の脱出について、パラシュートの話をします。

 飛行機では、急にエンジンがトラブルを起こすことがあります。最悪の場合、機体を捨てて脱出することも考えなければなりません。

 パラシュートが飛行機に装備されたのは、飛行機が空を飛び始めてから約10年後のことでした。パラシュートの原型は千年以上前から存在していましたが、その必要性が注目され始めたのは熱気球の登場以降です。

 1783年、フランスのルイ=セバスティアン・ルノルマンという人が、パラシュートを再発明し、「パラシュート」という名前が広まりました。その2年後、発明家ジャン=ピエール・ブランシャールが熱気球から安全に飛び降りる実験を成功させました。この実験では犬が使われたそうですが、犬にとっては迷惑な話ですね。

(左)1783年のルノルマンのジャンプの図と
(右)1470年に描かれた最古のパラシュートの図版

 その後、ブランシャール自身が熱気球の事故でパラシュートを試し、無事に脱出しました。しかし、当時のパラシュートは重く実用性が乏しかったため、見世物として使われることが多かったのです。そのため、パイロットの間で普及しませんでした。

 飛行機で初めてパラシュートが使われたのは1912年、アメリカ陸軍のアルバート・ベリー大尉の降下実験でした。実際の非常脱出が行われたのは第一次世界大戦後の1922年で、アメリカ陸軍航空隊のハロルド・ロス・ハリス中尉が空中分解した機体から無事に生還しました。
 この事故をきっかけに、パラシュートの携行が義務付けられるようになりました。

パイロットがパラシュートの携行を嫌がっていた理由はいくつかあります:

  • パラシュートが重く、飛行に影響を与えると考えられていた

  • パラシュートが見世物として普及していたため

  • パラシュートを持つことで戦闘から逃げるのではないかと上層部が懸念していた

  • 「パラシュートは臆病者が使うものだ」という思い込み

 こうした理由から、第一次世界大戦が終わるまでパラシュート装備は徹底されませんでした。映画「華麗なるヒコーキ野郎」でも、パイロットたちが戦闘前にパラシュートを放り捨てるシーンがありますが、これが当時の男気の象徴だったのでしょう。

映画「華麗なるヒコーキ野郎」より

 現在のパラシュートは、パイロットの生命を守るために進化し、射出座席装置と一体化しています。また、スカイダイビングパラグライダーなどのスカイスポーツでも活躍しています。

射出座席により、地上0mでも脱出が可能になりました。

 安全対策として、メインパラシュートに加えてリザーブパラシュート(予備傘)も装備され、意識を失った場合には自動でパラシュートが開く装置もあります。

 事故率については正確な統計はありませんが、重傷を負う事故は1000回に1件、死亡事故は5万回に1件程度とされています。しかし、年間60名ほどの人が死亡しているそうです。こう考えると、パラシュートを使うには勇気が必要ですね^^;

 パラシュートなしで、しかも上半身裸でスカイダイビングをするのは非常に危険ですので、絶対にマネしないでください(しようと思ってもできませんが^^;)

次回は、現代の脱出装置の進化についてお話しします。

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