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複葉機あれこれ
空の夢とロマンの話を。複葉機にまつわる話と未来の可能性について記事にしてみました。
■なぜ初期の飛行機は複葉だったのか?
飛行機がようやく開発された1910年代、航空用のエンジンの馬力はそれはもう、低いものでした。100馬力に達しないエンジンで「ようやく浮く」といった表現が正しい状況だったかもしれません。
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125CCのバイク程度ですね。
さて、この重力に逆らって持ち上がる力、揚力というものは、速度の2乗で効いてきて、空気の密度、翼面積に比例しますが、非力なエンジンだと速度が出ないので、機体を浮かすために必要な揚力を確保するには、当時は翼面積を大きくするしか方法がありませんでした。
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しかし、当時の飛行機は、木製で布張り。翼面積を確保するための機体の強度も頼りないものでしたので、短い翼を上下に配置して、ワイヤーで強度を保つ方法で開発をしたのです。これが複葉機になった理由ですね。
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しかし、その後はエンジンの開発が進み、100馬力台から、200馬力、300馬力と上がるにつれ、揚力を稼げるようになって翼面積も小さくでき、さらには、技術も向上し、翼も一枚で済むようになってきました。
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■第一次世界大戦で複葉機は大きく発展
ヒコーキたちが、よちよち歩きから一気に成長したのは皮肉にも第一次世界大戦でした。敵よりも強くありたい。速度も速く、相手の後ろに回り込む格闘性能が欲しい。その強い欲求が技術革新を生み出していきました。
大戦が集結して軍事が平和利用に移管される中も、軍用機の開発は次の戦争に備えて増強していきます。
1920〜1930年代には複葉機と単葉機が併用される時代になり、1930年代後半には、全金属製、単葉機が主流になり、複葉機は旧式化していくことになります。
■世界最速の複葉機は?
それでも、第二次世界大戦時が始まっても複葉機は活躍していました。
持ち前の旋回性能の良さや低速性が逆に必要な初等練習機などには重宝されていたのです。わずかながらも開発されていました。強度を補う張り線はなくなりましたが、複葉という揚力が得やすい機体は練習機、観測機、時には急降下爆撃機にも採用されていたのです。
革新的な戦闘機零戦が初飛行した1939年という時代でもまだ、イタリアでは複葉機の戦闘機を開発してたのだから驚きですね。CR.42が開発され、B型という試作機においては、ダイムラーベンツDB601A(1,100馬力) 搭載型が、1941年に540km/hを記録し、複葉機としての最高記録を打ち出しています。というか、このエンジン、メッサーシュミットBf109でも使用された貴重な高性能エンジンなんです。当時の最高技術の航空機エンジンと旧式の複葉機。なんとも超アンバランスな組み合わせですね(笑)
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■ジェット機の複葉機が存在する!?
第二次世界大戦が集結すると複葉機は民間のレジャー機として人気になりました。また広大な農地を持つアメリカやソビエトでは農薬散布に使われました。
こちらは、さらに複葉機でジェットエンジン搭載という異色なスタイルです。ポーランドのPLZ社で開発されたM-15という航空機。なんとこちらは”世界最低速のジェット機”と言われています。最大速度は200km/h
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エンジンは胴体上部に1基のみです。
ソビエトなどの広大な面積を有する農場で用いられる農業用として開発されました。1976年から1981年までの間に120機ほどが生産されています。
奇妙な形状からベルフェゴル(悪魔の意味)という渾名が付けられています。どうもソ連邦の人たちは口が悪いというか率直すぎる渾名を付けるようですな。
後発機が続かなかったのは、ジェットエンジンは経済性に劣るためでした。
■複葉機は完全に廃れてしまったのか。
さて、現在の複葉機はというと、スポーツ機、農業機として活躍していますが実用機としてはほぼ無くなったに等しい感じです。
愛好家の間ではビルド機として組み立て可能な複葉機としても発売されています。
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省スペース、運動性などのメリットがある複葉機ですが、実用として使うにはあまりメリットがないようです。
しかし、ここ近年にきて、この複葉機のスタイルがもしかすると未来の飛行機の最先端のデザインになるかもしれないという可能性が出てきたのです。それも超音速機の世界で。
■日本が研究している超音速機に複葉デザインを取り入れる技術。
これは 1930年代にドイツの航空工学者アドルフ・ブーゼマンが提唱したブーゼマン複葉翼というもので、二枚の翼に発生した衝撃波を干渉させ打ち消すというものでした。
簡単にいうとこんな図になります。
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翼の断面はダイヤモンド型のように中央が膨らんでいます。この衝撃波が生じる翼を2枚に分割し、挟むこむような形にします。すると2つの翼で発生した衝撃波をお互いに干渉させて打ち消すことができるのです。分かりやすい理論ですね。
しかし、当時は超音速機の話など夢のまた夢でしたので、理論だけに終わりましたが、戦後、超音速機の開発が始まった頃にNASAが目をつけ研究を開始したのです。
実際には色々な問題があって研究が打ち切られていました。この研究を日本の東北大学流体科学研究所の大林茂教授が、引き継いだ形で研究が行われています。
これがモデル図。いやあ、未来的ですね。カッコいい〜。分類はこれでも複葉機なのです^^;
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超音速機には必ず生じる音の壁。音速を超えると発生するこの衝撃はソニックブームと言われ、大音響が問題になっています。
そういえば2013年にロシアに落ちてきた隕石落下事件も、実際の被害はこの隕石のソニックブームで窓ガラスなどが割れたことでしたね。
このように、飛行機は複葉機で始まり、その使命を終えたかに見えましたが、超音速機という未来の分野でまた復活しようと試みられています。
快適な空の旅への夢が広がる分野だと思います。今後が楽しみですね。