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「(K)not」第四話

 スマホを握りしめて、和二郎は瞬に頭を下げた。

 電車の中で倒れた爽を駅で休ませていると、有馬から連絡があったのだ。彼はこれから出勤しなければならないし、急いで迎えに引き返さなければ。こんなことは慣れているつもりだったが、和二郎は迂闊さに自分を責めた。

「いいよ。でも俺はヤツに会っていく。」

「抹茶クリームフラペチノッペか。」

 瞬のインスタグラムにリプしてきた謎の人物。話をもっと聞きたいから会わないかと誘い、瞬はその誘いに乗った訳だが、今の若いモンは警戒心てもんが無いのかい。こんなに他人に対して心の壁が低いのかい。一体何を考えているのか正直理解に苦しむ。しかし瞬は言い出したら聞かないし、和二郎は一刻も早く爽の元へ向かいたかった。 

「そのチノッペが危ない奴なら、相手にしないですぐ帰れよ?」

「うん。俺、人を見る目はあるよ。あと、フラペチーノね。」  

    自信を持って答える末弟が何だか頼もしく見える。和二郎は一時間後に必ず連絡するように念を押し、万が一繋がらなかったり様子がおかしかったりした時はGPSで捜索すると釘を刺した。

    瞬は、自分がまだ中学生だから大人が心配するのは当然だと理解していた。しかし、父からスマホに追跡アプリを入れられた時は流石に引いた。でも、だからと言って有無を言わさず帰れだとか言わないところが、叔父の好ましい(ちょろい)ところだと常日頃から思っている。

 氷川家で最後に生まれた自分に対する、まるでダブルシロップ・ソース増量・ホイップ追加のキャラメルマキアートような彼らの甘やかしは、今に始まったことではなかった。そしてそれは母たちの事故が起こった後でも変わらない。

 当時まだ十歳に満たない末っ子を前に、親たちは勿論、歳上の兄弟たちだって堂々と泣くこともできなかったことは想像に容易い。だから皆の気持ちを汲むことぐらい何でもないと瞬は思う。家族らにとっては、自分を守り可愛がることが一種のセラピーになっていたのだろう。 

(さて。)

    店内を見渡すと、若いカップルやモバイルワークしている人、お喋りに夢中な女性グループ。瞬は待ち合わせの目印であろう抹茶クリームフラペチーノを卓上に探した。

 彼女はそこにいた。ひときわ異彩を放ち、右手奥の一人掛けソファに黒いゴシック調な衣装に身を包み、黒いマスクと黒い眼帯を着けた、全身真っ黒な小さい人間が鎮座している。そしてテーブルには不運にも、巨大な抹茶クリームフラペチーノが据え置かれていた。黒と緑のハイライトが強烈に映えている。窓架の14年の人生でそんな人間を見たのは初めてだったし、ヴェンティサイズのフラペチーノを見たのも初めてだった。

 モダンな店内からそこだけ切り取ったような空間は、コンテンポラリーアートのパフォーマンスといっても過言ではない異様さを醸している。

 瞬は人を見る目とともに引き際も心得ていた。あの黒い物体に自分の存在を気付かれる前に退散しなくてはヤバい、そう本能が告げていた。

「madgreen!?」  

    咄嗟に180度回転し入り口へ引き返そうとした矢先、何かのキャラクターの様な甲高い舌足らずな声だった。忽ち店内の視線が音を立てて押し寄せる。確かにヘアカラーをしたあとの自撮りをインスタにアップはしていたが、彼は初めて髪を染めたことを激しく後悔した。

「こんにちは。maccya _cream_frappucinoさんですか?」

 瞬は大きく深呼吸をしてから振り向いた。彼女は頷き、彼の頭を指差して言った。

「分かりやす〜。」

    まるでアニメかゲームのテンプレート。縦ロールのツインテール、頭に乗せた小さなシルクハット。大きく膨らんだスカートに編タイツとソールの厚いエナメルのロリータパンプス。大きな黒いマスクとデコられた眼帯に隠れて顔は殆ど見えないが、唯一露出した左目から、駱駝のように長く伸びた睫毛が瞬きの度に揺れている。瞬初めてのゴスロリとの邂逅であった。

「随分、若いんだにぇ〜。」

「ハイ、一応中学二年生デス。」

「義務教育!やばっ!」

 いったいどんな声帯をしているのか?こいつVtuberだろうか?ボイスチェンジャーを仕込んでいるのか?ヤバいもん吸ってんのだろうか?ヤバいのはどっちだろうか?ぐるぐる考えていたら脳が揺れてきた。

「分かった分かった。なんかあったら、こっちが不利ってことにぇ〜。」

 何が分かったというのか、執拗に伸ばす語尾に殺意が芽生える。

「にぇにぇ、みどりくんって、呼んでもいい?」

「あ、えっとNGで。」

 彼が拒否るのを全く意に介せず、変声のゴスロリは喋り続ける。

「にぇにぇ早く座って、詳しく聞かせてよ〜。家族全員同じ夢を見るんだって話〜。」

序〜第三話、はてなブログからの転載です。