中山かず葉
"えっくす"のタイムラインのように、時系列で"なかやまかずは"の映画感想・自由律俳句・140字のショートエッセイ等もろもろを「こしょこしょ……」とささめています。
歌、物語、街に人──。あらゆるモノゴトから受けた感動(Inspired)を、”中山かず葉”の視点で紡いだ作品集。”あなた”の視点が1mmでも柔らかくあたたかい方に変わることを祈って。
「私は、なにかを”愛する”ことが得意なのかもしれない……」そんな発見から生まれた、中山かず葉が(偏)愛するものものについて書かれた記事を秘密の図鑑にしました。
"わたし"という対象から巣立つとき、"言葉"はすでに一回性を逸している。 史実、ノンフィクション、私が執筆の主にしているエッセイや散文詩すら、一歩外へ飛び出してしまえばある意味でフィクションに変わってしまう。 わたしのなかにある思考や感情を創作に落とし込む際、輪郭のないそれらを「見せる」つもりで書いていても、「魅せて」書かれているように受け取られることの方が多いからだ。 鼻毛が伸びていないかチェックしたり、唇にすべらせたリップが歯についたら綺麗に拭いたりと、出かける前に
やさしいピエロが ほら 今日も誰かのために笑ってる ティアドロップの模様は描かず あぁ やさしいピエロよ ひとりきりで眠る夜くらい どうか素顔のままでいて
あの日かけた ちいさな魔法がじわじわと (ひびで ばびで …… びびで ばびで……) 時空を超えて あなたのもとへたどり着く
ひとりの女が 南から 柄にもなく 島風に祈りを乗せました 傲慢でしょうか 過去を振り返ることばかり 今更でしょうか 綺麗な想い出飾るのは 晩秋の日々は 雪解けへと変わり いつの間にやら 芽ぐむ火棘よ まだ枯れずに 実をつけろ もう一度 根を張り伸ばせ 北へ北へと舞った慕情が 小さく痩せた老体へ届く頃 ひとりの女は 柄にもなく 孫娘に戻り とめどない涙を流しました 南の海に 流しました
紙コップにうつした秋月 音も立てず 祈りごと飲み干す 恥ずかしげもなく ただ生きろと
前置き * 「~を結果として選んだ」 「~を結果として選ばざるを得なかった」 私は圧倒的に後者に属することの方が多かった。人と違う感覚を持つこと、大多数と迎合できない痛みは、疎外感は、経験した者にしか本当の意味では分からない。 だからこそ、私には前者や大多数が用いる感覚・思考が分からない部分が多くある。 これは、ともすれば結果的に「輪や規律を乱す厄介者」にもなりうる可能性も孕んでいるのかもしれない。当人からすればその思念は1ミリも保有していないのだが。 むしろ、分
雲の切れ間から いつかの雷鳴 とどろいた …気がしただけ …気がしただけ 新たな閃光は 未だ見えず
名前を付けれぬこともある 見知らぬ誰かが言っていた 言葉に出来ぬ夜もあると 知らん顔してくちばしる ねえアタシ「素敵でしょ?」 聞く耳持たず 日が昇る ねぇアタシ「ごめんなさい」と 言葉も無しに 目を伏せる 時空を超えた 愛してる これは決して恋ではない きっと、恋ではない 知ってるよ、でもすきなんだ 来世に持ち越し「また逢おう」 またね、またね。 逢えるならまた いつの日か また逢いましょう。 また逢う日まで刻々と また逢う日まで悶々と あたしは恋をしら
自分であるために闘ってきた。 闘うことでしか自分を守れなかった。 負った傷は目に見えないくせに酷く痛む。 闘わず生きられる人を羨むこともあった。 この闘いに勝ち負けも引き分けもない。 孤独や痛みの代償は確固たる自分自身。 失うと同時に得た自由は 寂しさと誇りを混ぜた味がする。
随筆を、ポストした。 文末には「#エッセイ」のタグもつけて。 * note更新のお知らせ以外に、兼ねてから苦手意識がある「考え感じていることの自己開示」の練習をするためにもXを利用している。 それらに加え、最近は詩や短歌を書いたり作ったデザインを添付したりと「作品を発表する場」として選ぶことも多い。 この部分をふくらませたら後々エッセイにできるかも、という下心もなくはない。 それでも、私はこれまで随筆と称して文章を書くことはあれど、エッセイ自体はXで公開したことはな
所用のため60数年振りに地元から離れた場にひとりで行くことになった祖母を見送った日の晩。星も夜景も綺麗なのに眩い太陽のような笑顔が見れないだけで少ししんみりしたものの、「しばらくさらばじゃ~!」と堺正章を陽気に歌う姿を思い出して結局ほっこりした7月最後の日。
月を、見ていた。 煌々と輝き満ちている。 今回は二度目の山羊座満月だという。 「月が綺麗だよ」という友の声に合わせ、数人で夜空を見上げてそんな話を昨日もしていた。 他者から見て小さかろうが、粗末だろうが、こうした穏やかで大切な時間を私は「幸福」と呼ぶ。 それなのに今日はどこか物悲しい。 「寂しい」という感情が全身を埋めつくしているみたいだ。 それもきっと満月のせいなんだと思う。
私は言葉を主軸とした表現に携わっているけれど、「言葉がなくても想いが伝えられたらいいのに」と思ってしまうこともある。 うまく言葉を探しても、意味をなせない。 気持ちが涙と溢れ出て、意味をなせない。 泣いていいのは私ではない。 優しさで悲しみを溶かすよな言葉を使えたらいいのに。
「7・7」とつづかぬ情景映すのは 心眼越しに見た短い歌の ショートフィルム圧縮版
学年が上がると仲の良いグループが変わったり、ライフステージが変わると友人との関わり方も少しづつ変わっていくように、対人関係は「限られた期間内」で人生の一部を彩っている。 仮に契約を交わすような関係性(結婚や仕事など)だったとしても、一定の期間が過ぎると気持ちに変化があらわれるため、必ずしも同じ感情・付き合い方がずっと続くということはまずありえないだろう。 だからこそ、対人関係は瞬間瞬間を映し出す永続的な芸術作品なのだろう、と思っている。 かつて描いた水彩画のにじ
野良猫に浮気して引っ掻かれたふたつの傷は 目を凝らしても皮膚の青白さしか映さない 思い出だけがじくじくと疼きだす午前二時