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魁題百撰相 会津黄門景勝

寡黙で勇猛と知られた上杉景勝の首実検の場面。蒲生氏郷の早世もあり、秀吉晩年の慶長3年(1598年)に五大老の一人となった景勝が会津120万石へ加増転封された。奥州の要衝から徳川・伊達らの抑えとして、また上杉軍の強さの源泉である越後の領地・地侍から切り離すためだったが、秀吉没後に関ヶ原の戦いに繋がる会津征伐を直江兼続とともに引き起こした。

しかし、この浮世絵で景勝が会津中納言(黄門)と呼ばれているのは壮年期にもかかわらず若々しく描かれ、家紋も上杉笹ではなく葵紋となっている。題名の「魁題百撰相」は「海内百戦争」、あるいは「改題」とかけられた。実際にここで戦国時代に仮託されたのは幕末の会津戦争で、描かれているのは会津藩9代藩主松平容保という。首は長州藩士の世良修蔵のものとされる。戦国と幕末が重なった大変人気のある1枚。

魁題百撰相シリーズは、明治元年(1868)5月、戊辰戦争の流れで旧幕府軍(彰義隊)と新政府軍が衝突した上野戦争に想を得て制作された。本作品南北朝時代から江戸時代初期までの歴史上の人物を描いた図譜のように見えるが、実際は、彰義隊員を過去の英雄に仮託した報道画としての側面を持っていた。芳年は実際に上野戦争の現場を訪れて写生を行い、その生々しい光景を作品に反映させた。


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