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軽口のバラード

今日の衝撃なニュースを見てからずっとモヤモヤとしている。私は自分が知っている人の死を無視できない質だ。今から考えたとして故人は戻ってこないのは知っているのだが、それでも何かを、それ以外の選択肢を、手からこぼれ落ちた何らかの可能性について考えてしまっている。

人の心に落ちた染みというものについて考える。人の心は脆いもので紙のように薄い。誰かからの優しさが一枚、一枚と重なっていけば過去の染みは見えなくなるだろうが、染みは過去からやってくる。染みは消えない。

そんなことを考えていたら、フランソワ・ヴィヨンの『軽口のバラード』を思い出した。

牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる
どんな人かは、着ているものでわかる
天気が良いか悪いかもわかる
林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる
樹脂を見れば木がわかる
皆がみな同じであれば、よくわかる
働き者か怠け者かもわかる
何だってわかる、自分のこと以外なら

襟を見れば、胴衣の値打ちがわかる
法衣を見れば、修道僧の位がわかる
従者を見れば、主人がわかる
頭を覆っているものをみれば、どこの修道女かすぐわかる
誰かが隠語を話してもちゃんとわかる
道化を見れば、好物をどれほどもらっているかがわかる
樽を見れば、どんな葡萄酒かがわかる
何だってわかる、自分のこと以外なら

馬と騾馬の違いもわかる
馬の荷か騾馬の荷か、それもよくわかる
ビエトリスであろうとベレであろうと、知ってる女はよくわかる
どんな数でも計算用の珠を使って計算する仕方もわかる
起きているか眠っているかもわかる
ボヘミヤの異端、フス派の過ちもわかる
ローマ法王の権威もわかる
何だってわかる、自分のこと以外なら

詩会の選者よ、要するに何だってわかる
血色のよい顔と青白い顔の区別もわかる
すべてに終末をもたらす死もわかる
何だってわかる、自分のこと以外なら

すべてを分かっているけれど、唯一分からないものがある。それが自分だ。私たちは自分が本当は何を想っているのか、自分が一体何をするのか、それだけを唯一知らない。人の気持ちなら分かる、人の行動の理由も分かる。けれど他の人の行動が自分にどんな影響を及ぼすのかは知らない。考えたこともないというのがいいだろうか。

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