最高の取材はチーム全員で生み出すもの。感極まってしまうくらい嬉しかった、2年ぶりのチーム取材
2年ぶりに東京チームと取材した2021年12月。そして、延期を経てもう一度取材できた2022年4月。
コーディネーター2名、編集兼フォトグラファー1名、ライター2名、インタビューサポート1名と計6名で行う取材は、2年間でひとりで執筆を続けてきた私にとって、感極まってしまうくらい嬉しさと有り難さと、心強さを感じる時間だった。
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遡ること3年前。2019年1月に東京で開催されたイベントで、燕三条を取材する編集者さんと初めて会った。「僕らよく燕三条に行くんですよ。向こうで飲めたらいいですね」なんて会話をし、その日は何事もなく終わった。
それが、気づけば翌月、その編集者とチームメンバーと一緒に燕三条で取材する席に座っていた。ライターを交代しながら2日で計4社を取材する強行日程。なぜか私はトップバッターを務めていた。
何年も続けているチームに混ざること、誰の取材を見ることなく最初に取材をすること、インタビュー経験が浅かったこと。いろんな緊張が混ざりながら迎えた日だった。
周りのメンバーは私とは異なる視点から質問をしてくれたり、あまり良い言い回しが見つからない質問を言い換えてくれたり、編集視点で抜け漏れがないかを意識してくれたりと、みんなフォローしてくれた。
「チーム取材って、こんなに安心して取材に臨めるものなのか...!」
初めての経験に驚きと同時に、心強さを感じた。
そんな風に複数回取材を重ねた2019年。チーム取材の意味、有り難さ、心強さを感じながら、毎回1〜2本の記事を担当し、あとは他のライターさんの取材を見学させてもらうスタイルで進んでいった。
順調に取材の回数を重ねていた矢先、新型コロナウイルス感染症の影響で東京チームが新潟に来れない状況になってしまった。コーディネーターが調整に走ってくれたものの、やはり現地取材は難しいと、新潟にいる私だけで記事を執筆することになった。
体制は、コーディネーターと現地のフォトグラファーと私。東京チームはオンラインでインタビュー(orサポート)。初めての経験だった。
ほかのメンバーが隣にいないことに不安を覚えながらも、やるしかないのでなんとか取材。1ヶ月に4社程度とかなりのスピードでアポイントが入っていた。久しぶりのひとり取材は不安だったものの、その気持ちに蓋をして、目の前の取材に向き合うことに精一杯だった。
そして、取材が終われば、構成と原稿。編集者さんは忙しい時間を割いて、構成をチェックし、原稿に赤字を入れてくれた。
それでも、距離というものはやはり厄介で、次第に申し訳なさを感じるようになった。「忙しいのに申し訳ない」「一発OKの記事を書けなくて申し訳ない」。そんな気持ちがだんだんと筆を遅らせていった。
それでも、なんとか、本当になんとか記事を書き終え、2021年秋を迎えた。ようやく感染症も落ち着いてきたからと東京チームが燕三条まで取材に来ることに。決まったときはもちろん嬉しかったし、久しぶりに取材を一緒にできることが楽しみだった。でも、同時に「たくさん迷惑かけたのに私も一緒に行っていいのか」と不安にも思っていた。
そして迎えた、12月の取材日。2年ぶりのチームでの取材。終わってみて感じたのは、今まで感じたことのないくらいの心強さと安心感だった。取材は私主導で行うものの、時々「え、でもそれって...」と周りから気になる質問が出てくる。どんな質問を投げ掛ければ、この会社の、この社長の魅力を引き出せるかをみんなで一緒に考える。「記事はライターだけでなく、全員で作り上げるものなんだ」と心の底から実感できた。それが2年ぶりに現実になったことが、どうしようもなく嬉しくて、楽しくて。2日間が夢のようだった。
そして月日が経ち、2022年4月。もう一度、このチームで取材をした。一つの記事を作るためにどんな情報が必要か、みんなで一緒に考えてみんなで一緒に聞く。チームで取材できることの心強さを改めて感じた時間だった。
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私にとって3ヶ月に一度あるこの取材は、その間の成果を伝える場であり、ご褒美でもある。取材を通して、原稿を通して、どれくらい自分が変わったのか、はたまた変わっていないのか。取材・原稿を見れば、編集者なら一発で分かる。尊敬できる編集者さん、ライターさんだからこそ、失望させたくない。
最高の取材はチーム全員で生み出すもの。
ライターだけがひとりで闘っているのではない。編集者も他のライターも、遠隔でサポートしてくれる人も。全員がよい記事をつくるために考えて作るのが、チーム取材なのだ。
さて、取材を終えたので、後は私が頑張る番。取材企業とチームに恩返しができるようにあともう数踏ん張り。気張っていきますか。
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