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手を加えすぎていない古民家が好きで、夢は小さな庭と畑と茶室のある、古い一軒家で暮らすこ…

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手を加えすぎていない古民家が好きで、夢は小さな庭と畑と茶室のある、古い一軒家で暮らすこと。仕事中は日本茶が手放せない。

マガジン

  • 乳がん日記

    治療の経過をまとめておきます。わたし自身と、読んでくださったあなたのために。

  • いわむロックFESTIVAL2018

    • 8本

    毎年、9月に開催される「いわむロックFESTIVAL」。その紹介冊子【on-magazine】から数記事抜粋して掲載しています。

最近の記事

心の暗雲を晴らした医師の温かな一言 #04

転移しているかもしれない。そう告げられた3日後、わたしは転職先で初日の挨拶をしていた。就職が決まった1週間後にがんの告知。こんな状況でも受け入れてくれた会社には感謝しかない。先の見えない治療に気持ちはまだ落ち着いていなかったけど、社長をはじめスタッフのみなさんがとても優しく、温かく声をかけてくださって、気力が湧いてきた。 そして、その週の金曜日は人生初のMRI。胸の腫瘍の状態を見るためだった。検査着に着替え、うつ伏せの姿勢で機械に横たわる。そこからはガンガンと何かを叩くよう

    • フリーランスからの転職。事業に深く携わりたいと思ったタイミングで見つけた新たな道

      社会人10年。ずっと外の立場から企業の課題解決のお手伝いをしてきた。 新卒で入った会社は求人広告。次はフリーランスのライター。誰かの課題を一緒に考え、解決の道筋を探す。こうした仕事が楽しかったし、やりがいも感じていた。 でも、フリーランスとして依頼される仕事は文章だけを依頼されることも多く、企画から携わることは難しい。加えてさまざまな企業の仕事を並行しながら進めなければいけないので、ひとつの仕事に打ち込むことは難しかった。 たくさんの仕事をいただき、忙しくなればなるほど

      • 転移の可能性。不安のなかで見つけた心の拠りどころ#03

        大学病院の初診を終えると、怒涛のように検査と診察の日程が入った。最初はCTでの全身検査。治療前に他の臓器に転移がないかを調べるために行われるらしい。 この頃になると、がん告知のショックから立ち直りつつあったので、ドラマや漫画に出てくる大きな検査に少しだけワクワクしていた。 名前を呼ばれると私服のまま検査台へ。造影剤を入れるために腕に点滴を繋がれる。最初は生理食塩水なので感覚はほとんどなかった。その状態のまま装置の中に入り、アナウンスとともに息を吸って吐いて止めるの繰り返し

        • 非常時に、日常を続けることの大切さ #02

          乳腺クリニックで乳がんだとわかった翌日、クリニックから電話がかかってきた。大学病院の予約をとってくれる手筈だったからだ。 「大学病院の予約が取れました、○月○日です」。しかし、その日程は1ヶ月先だった。了承を伝えて電話を切るも、1ヶ月もがんを胸に抱えたまま過ごすことに不安を覚えた。待っている間に進行してしまうんじゃないか、他の病院ならもっと早く受け入れてくれるんじゃないか、と。 大慌てで他の病院の乳がん専門医師や設備を調べ、直接問い合わせてみる。でも、どこも予約は1ヶ月先

        心の暗雲を晴らした医師の温かな一言 #04

        • フリーランスからの転職。事業に深く携わりたいと思ったタイミングで見つけた新たな道

        • 転移の可能性。不安のなかで見つけた心の拠りどころ#03

        • 非常時に、日常を続けることの大切さ #02

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        • 乳がん日記
          4本
        • いわむロックFESTIVAL2018
          8本

        記事

          もっと外に出て関係性を深める一年に

          毎年、元旦に昨年の振り返りと今年の抱負的なものを書いているので、今年も書いてみようとnoteを立ち上げてみた。 でも、思い浮かぶのは病気のことばかり。今年の抱負は「健康に生きる」だけになってしまいそうなので、それ以外のことも少し振り返ってみようと思う。 フリーランスから、会社員へ 2023年はフリーランスを辞めて会社員になった年でもあった。フリーランスを辞める。その選択肢は5年間ずっと頭のなかにあったけど、まだまだ諦めたくないという気持ちだけでなんとか続けてきた。でも、

          もっと外に出て関係性を深める一年に

          乳がんだとわかった日。 #01

          「悪性…がんですね」 乳腺クリニックでそう言われたとき、なぜかわたしは落ち着いていた。さっきまで自分ががん患者になるなんて1mmも考えていなかったのに。 ドラマのように頭が真っ白になるなんてことはなく、「あ、がんなんだ」と悲しむでも受け入れるでもなく、感情にふたをして事実を事実として受け止めただけだった。 胸に違和感を感じながら、放置してしまった数年間 ん?なんか胸に硬いものがある...? 初めてそう感じたのは、まだ20代のころ。右と左、両方に小さなしこりのようなもの

          乳がんだとわかった日。 #01

          病と人生に向き合った、2023年

          2023年は生涯忘れられない年になりました。それは結婚や出産などの話ではなく、一生付き合う病気が発覚し、否が応でも生き方と人生の最期を意識することになったから。長いようで短い、それでもやっぱり渦中は永遠のように感じた半年間でした。 * 今年の4月に乳がんが発覚。6月に手術、9月から11月までの抗がん剤、そして12月からホルモン治療と半年以上にわたって治療を続けてきました。 正直、30代前半でがんになると思わなかったし、診断を受けてから手術までの2ヶ月は人生で一番しんどい

          病と人生に向き合った、2023年

          人生でやりたいこと100リスト_2023年版

          生涯でやりたいことを100個まとめる、人生でやりたいこと100リスト。けっこう昔(たぶん10年前くらい)に一度だけやったことがあるのですが、ちょっと事情があり、久しぶりにやってみました。 紙のメモに残していても、なくしものが多い私には管理ができないので、noteにまとめておこうと思います。やりたいことというか、目標だったり、そのために必要なことも含まれていますが、ご容赦ください。 いまの仕事でがんばること 推し(酒粕)を広める 日本酒事業を海外で成功させる 日本文化

          人生でやりたいこと100リスト_2023年版

          5年経ってようやく諦められた、フリーランスの道

          2018年からフリーランスのライターとして働いてきましたが、2023年5月で一旦辞めることにしました。 2018年から早5年(正確には2017年11月末〜)。ボイスレコーダーの使い方すら知らないド新人のころから沢山、本当にたくさんお世話になった先輩をはじめ、チームに入れてくれたみなさん、一緒に動いてくれたフォトグラファーさん・デザイナーさん、取引先のみなさん、いつも相談に乗ってくれた同業の友人たち、挙げればキリがないのですが、本当に本当にお世話になりました。 思い返せば、

          5年経ってようやく諦められた、フリーランスの道

          2022年から、2023年へ

          2022年も大きな出来事もなく過ぎていったので、「今年は書けることないし、元旦noteやめようかな〜」と思ったのですが、もう7年くらい続けているし、ざっとでも書いてみようかなと思ってnoteを開いてぽちぽちすることにしました。 思いつくまま書くので何も出口は見えていませんが、気になる方はぜひお付き合いください。 仕事以外の時間をつくれるようになった、2022年2022年は仕事のボリュームを下げようと思って、2021年よりガクンと量を減らした年でした。その分、収入は減ったけ

          2022年から、2023年へ

          甲子園と、吹奏楽。敗れた夢を球児に託して

          ジリジリと照りつける太陽。時折さぁっと吹き抜ける潮風。   目の前に広がる世界を未だ信じることが出来ぬまま、私は甲子園で必死になって演奏をしていた。「お願いだから、あと一勝」。そう、何度も何度も頭の中で唱えていた。 自分たちが西関東大会へ進めなかった悔しさを、我が校の球児に託して。 * 私が所属していたのは、新潟県内では野球部の名門と呼ばれる高校。 小学生のころから毎年欠かさずに甲子園をみていた私は、吹奏楽部の一員として甲子園で演奏することが夢のひとつだった。 し

          甲子園と、吹奏楽。敗れた夢を球児に託して

          【創作】 結婚前夜。

          明日、私は結婚をする。 「入籍と結婚式の日が違うと忘れてしまいそうだから」という理由で明日は朝イチで市役所に行って、すぐに式場へ向かう予定だ。 情勢を鑑みて、親族だけで行うことにした結婚式。一般的な式と比べて準備することが少ないとはいえ、ギリギリまでやることを引き伸ばしがちな私たちは昨日まで寝る時間を削って作業していた。 そんなバタバタを乗り越えてようやく時間が空いた今日。 前から予定していた通り、私だけで実家へと向かう。 実家へは新潟駅で乗り換えてひと駅。 「結婚前

          【創作】 結婚前夜。

          すぐに理解できないものが、年月を経て理解できたとき

          「考えないで。体で覚えるの」。 茶道を習い始めたころ、何度も先生に言われた言葉。頭で理解しようとする癖は抜けず、体で覚えるまで半年近く時間がかかってしまった。 それでも、今日、2年ぶりにお点前をすると、自然と手が次の動きへ。体で覚えたことは長く離れていても、自然とできるものなんだと気づいた。 * 初めて市民講座に通ったのは、4年前。何も分からない状態で始めたから、最初は覚えることがたくさんあった。畳の歩き方、物の持ち方、お点前の順番......。一つひとつ覚えようと順

          すぐに理解できないものが、年月を経て理解できたとき

          書くことで、文化を残していく

          越後上布や小千谷縮の原材料でもある、からむし。 本州で唯一からむしを栽培し、繊維にしているのが、福島県昭和村らしい。 でも、その技術を継いでいるのは、いまや数人だけ。 こうした失われつつあるからむしの作業を伝える〈渡り舟〉のおふたりが、文章と写真で残そうと書籍『からむしを積む』の制作を企画。(からむしの繊維をさいて、糸を作ることを積む(うむ)というらしい) 哲学者の鞍田崇さんの文章と、写真家の田村尚子さんが写したありのままの昭和村が記録されている。 * 日本各地に継

          書くことで、文化を残していく

          最高の取材はチーム全員で生み出すもの。感極まってしまうくらい嬉しかった、2年ぶりのチーム取材

          2年ぶりに東京チームと取材した2021年12月。そして、延期を経てもう一度取材できた2022年4月。 コーディネーター2名、編集兼フォトグラファー1名、ライター2名、インタビューサポート1名と計6名で行う取材は、2年間でひとりで執筆を続けてきた私にとって、感極まってしまうくらい嬉しさと有り難さと、心強さを感じる時間だった。 * 遡ること3年前。2019年1月に東京で開催されたイベントで、燕三条を取材する編集者さんと初めて会った。「僕らよく燕三条に行くんですよ。向こうで飲

          最高の取材はチーム全員で生み出すもの。感極まってしまうくらい嬉しかった、2年ぶりのチーム取材

          編集の難しさと、一人で闘う限界を知った2021年

          ウイルス禍2年目といわれた、2021年。個人で考えると「こんな変化がありました!」と伝えられる出来事はあまりなくて、このnoteも何を書こうかと悩んでしまった。 とはいえ、新たに始めたこともあったし、気持ちが変わってきたこともあったので、少しだけ記録として書き残しておこうと思う。 2021年の振り返りここ2年くらいはできる範囲を広げたいなと思って、インスタマガジンやcanvaを使った簡単なデザインなどライティング以外のことを始めた。それを見てくださった方がインスタ運用や企

          編集の難しさと、一人で闘う限界を知った2021年