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車椅子少年の人生を変えた旅

中学2年生の夏、父から「夏休みに2人でメジャーリーグの試合を観に行こう」と誘われました。

最近では大谷翔平選手をはじめ、多くの日本人メジャーリーガーが活躍していますが、当時は日本人がメジャーリーグに移籍する自体がとても困難な時代。

そんな中、パイオニアとして海を渡った野茂英雄投手がアメリカで大活躍をしていて、メジャーリーグの試合中継をテレビ観戦するのが私の日課になっていました。

メジャーリーグの試合では、7回表が終わり、7回裏に移行する際にスタジアム内で”Take me out to the ball game”(私を野球に連れてって)というアンセムが流れます。

スタジアムで観戦している観客たちがこの曲を楽しそうに合唱し、立ち上がって踊ったり、ホットドッグにかぶりつきながら観客自身がこのひとときを楽しんでいる様子がいつもテレビに映し出されていました。

私は、一度でいいからこの雰囲気を現地で味わってみたいと思っていました。私は二つ返事で「行きたい!」と言って夏休みのアメリカ旅行が決まりました。

あとから知った話ですが、この旅行は、実は母が父に提案したものでした。

中学に入ってからの私は、学校では授業中にクラスメイトとふざけてばかりで先生の言うこともろくに聞かず、勉強はそっちのけ。

放課後も友達と遊ぶことばかりで宿題や期末テストの勉強なども全くしませんでした。

当然の結果として、学校の成績は下がり続け、小学生の時に英会話スクールに少し通っていたおかげでまわりの生徒よりもアドバンデージがあったはずの英語の成績もついに5段階評価の3まで落ち込みました。

このままではいけない!

母はアメリカ旅行を通じて私に外の世界を見せて刺激を与えれば何かが変わるのではないか、と期待して父にこの提案をしました。

ふたを開けると、私の父はわずか10日間ほどの旅行期間中に全米6都市を周り、5試合を観戦するという超多忙なスケジュールを組んでいました。

日本から約11時間のフライトを経てシカゴにあるオヘア国際空港に降り立つと、すぐに国内線に乗り換えて、今度はミシガン湖上空を小型プロペラ機で30分ほど飛行し、ウィスコンシン州ミルウォーキーへ。

この日は、夜にミルウォーキー・ブルワーズの試合があり、野茂投手が先発予定とのことだったので空港から直接スタジアムに向かいました。

あいにく、国内線のフライトが遅延した関係でスタジアムに着いた時にはもう試合が始まっていて、5回裏途中から観戦しました。

日本からの長旅でくったくたの状態でしたが、そうは言っても初めてのメジャーリーグ観戦。スタジアムの雰囲気や異国で戦う野茂投手の姿に興奮し、その夜の記憶は今でも鮮明に残っています。

試合後、私にとって最初の大きなカルチャーショックがやってきます。

スタジアムから宿泊先のホテルへの帰り道、父がスタジアム周辺に停車していたイエローキャブ(タクシー)を捕まえて、2人で乗り込みました。

乗ってまもなく、ターバンを巻いたインド系と思しきタクシー運転手が爆音でインドのダンスミュージックをかけて運転をはじめました。

日本からの長旅、国内線への乗り換え、飛行機の遅延、野球観戦のあと、激しい疲労感と眠気に私が襲われている中、深夜にもかかわらず音楽を爆音で流してボロボロのイエローキャブを急ハンドルとクラクションを積極的に併用しながら僕らをホテルに届けてくれたターバンを巻いたおじさん。

なんなんだ、この世界は!?

寝不足を引きずったまま迎えた2日目は、早朝から再びタクシーで移動。

空港に向かう途中、父がタクシー運転手に頼んでミルウォーキーにあるハーレーダビッドソンの本社に寄り道。ほとんど時間がなかったので、外観だけぐるっと一周して再び空港に向けて走り出しました。

この日は、シカゴにとんぼ返りして市内観光をしました。高層ビルが立ち並ぶシカゴのダウンタウンの中でも、絶景スポットとして有名な100階建ての超高層ビル、ジョン・ハンコック・タワーの展望台からの景色は衝撃的でした。

「飛行機からはよく見えなかったけど、ミシガン湖って、水平線まで対岸が見えない。もう、海じゃん!

アメリカ大陸って、こんなに地平線まで真っ平なの?

日本では絶対に見ることのない圧倒的なスケール、タテヨコ垂直に張り巡らされている囲碁盤のような道路を初めて目の当たりにして、私は目を輝かせました。

翌日からも怒涛のメジャーリーグ観戦旅行を続け、当時ホームラン競争で盛り上がっていたサミー・ソーサを観にシカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドへ。

さらにその翌日はマーク・マグワイアを観にカージナルスの本拠地ブッシュ・スタジアムへと足を運び、マグワイアの大迫力の特大ホームランも現地で目撃しました。いま思い返しても、本当に贅沢な体験をさせてもらいました。

次の大きなカルチャーショックは、ニューヨークで訪れます。

マンハッタンでタクシーに乗った際、父親が乗車賃の支払いをするために近くのATMに行っている間、私とタクシー運転手の2人きりになりました。

運転手:Hey! Where are you from?

私:Japan. And you?

運転手:Somalia.

ここまではなんとか分かったものの、これ以上の詳細については運転手が一生懸命話してくれていましたが、当時の私の英語力では理解できませんでした。

「ソマリアからの移民なのかな?」
「家族と一緒に住んでるのかな?」
「アメリカでの生活はどうなのかな?」

多くの疑問が浮かんだものの、それをたずねたり説明を理解することが叶わず、とてもくやしい思いをしました。

こんな親切に色々と聞いてくれたり、話をしてくれているのに… 英語がもっと話せれば…

その夜はマンハッタンのタイムズ・スクエアを見物して、当時タイムズ・スクエアに巨大な店舗を構えていたタワーレコードで洋楽の最新ヒットアルバムを買い漁りました。

元々J-POPや歌謡曲が大好きでカラオケで歌うことも大好きだった私ですが、アメリカ旅行から戻ってきてからというもの、取り憑かれたように洋楽のCDを毎日、毎晩、聴くようになりました。

歌詞カードとにらめっこしては歌詞を暗記し、知らない単語があればすぐに辞書を引いて歌詞の意味を自分なりに理解しようとする、というのが趣味になりました。

その後、中学でも英語の成績が急上昇したのは言うまでもなく、今になってふり返ると、母が父に提案した「ショック療法」は期待通りの結果を生んだと言えるのかもしれません。

父とのアメリカ旅行では、自業自得とも言える無謀なスケジュールを組んだこともあり、飛行機の遅延やレンタカーのトラブルなどの問題にも遭遇しましたが、父はつたない英語でクレームを入れたり、交渉したり、度胸だけは一人前でした。

父は高校時代から登山部に所属し、今でも登山や旅が大好きで、私と同じくらい世界中を回ったり、近年では日本各地の山を登っています。

一度きりの人生、なるべく色々な場所を訪れてみたいという思いが強いようで、フットワークの軽さにはいつも感銘を受けています。

何事も完璧じゃなくていい。大切なのは一歩踏み出す勇気と、きっとどうにかなるという楽観主義。

旅を通じて父の背中から学んだ姿勢は、今日の私にも受け継がれていると思います。

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この記事を作成したチェンジメーカーについて

名前: けいすけ [One Global 共同代表]
略歴: 2015年からアイルランド在住、現在は現地のテック企業に勤務。
先天性の障害によって幼少期から車椅子で生活。
Instagram: @globetrotter_keisuke


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