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祖母に新曲「あとがき」を添えて

9月5日、私の祖母が98歳で亡くなった。去年辺りから施設に入ったり、病院の入退院を繰り返したりしていたので、ある程度覚悟はしていた。しかしながら、本当にその時が来ると、心に風穴が空いたような、言い知れぬ寂しさが押し寄せてくるのであった。
葬儀はその週末、祖母が住んでいた福岡で執り行われた。季節外れのよく晴れた土曜日、お通夜から初七日までを1日で済ませるという慌ただしい1日だった。
その次の日、私は宿泊したホテルのすぐそばにあるラーメン屋のカウンターに妻と座り、ぼんやりと祖母のことを想った。

祖母は福岡に住んでいた。だから、私にとっては簡単に会える存在ではなかった。しかしながら、進学や就職、結婚など私が何かしらの節目を迎えるたびに電話や手紙などでお祝いの言葉をくれた。おそらく、私が祖母と過ごした時間を合計しても、1ヶ月に満たないくらいではないかと思う。しかしながら、その一緒に過ごした時間一つ一つが思い出溢れる宝物のようなものであった。

祖母の人生は、なかなかの波乱万丈なものであった。戦争の間に生まれ、女学生の頃にはすでに親元を離れて暮らしていた。戦争で自分の旦那さん(祖父)がシベリアに2年半抑留された。戦争が終わり、3人の子宝に恵まれ、ようやく幸せが始まったと思った矢先、祖父が亡くなった。女手1つで3人の子供を育て上げ、大学まで行かせた。長男は地元に残ったものの、次男と長女はそれぞれ遠く離れた地で暮らすようになった。それでも自分の子供や孫たちを気にかけ、ずっと愛情を注ぎ続けた。

孫の私からすれば、苦労の多い人生だったのではないかと思う。祖母にとって一体どれだけ自分の時間があったのだろう。どれだけ人生を楽しむ時間があったのだろう…。

そんな祖母に真っ先に浮かんだものは「感謝」「誇り」であった。苦労しながらも母を含む子供3人を育て上げたこと、遠く離れて暮らす孫のことをいつも気にかけてくれたこと、98歳まで立派に生き抜いたこと…。 
それらのことを思い浮かべていると、ふとメロディーのようなものが頭の中に流れてきた。急いで店の外に出てスマホを取り出し、ボイスメモに吹き込んだ。それから飛行機で宮城の自宅に戻るやいなや、すぐに作曲に取り掛かった。祖母への思いを書き綴っていると、あっという間に曲ができた。こんなに気持ちが湧き上がるように曲ができたのは久しぶりだった。

そうしてできた曲が本アルバムに収録されている「あとがき」である。この曲はまさに、孫の私が祖母の人生に添える「あとがき」になれば、そう思って作った曲である。
祖母への感謝を綴った曲ではあるものの、ひっそりと悲しみを抱えた人、感謝を伝えられないでいる人、そんな人にも寄り添える曲ではないかと思っている。一体祖母は、何と言うだろう?

https://linkcloud.mu/d477f82b

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