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ともぐい 河崎秋子 感想

様々な読み方ができる完成度の高い小説である。読書中の興奮が落ち着いた今でも心の中に小さく丸まって残っている。それを再び紐解いて感想文を書こうとすると、またあの超リアルな世界が蘇るようだ。

私が感動したポイントを、直木賞受賞時の選評から探っていこう。

「熊爪のような、常識を持たず、言葉を用いず思考する人間を、言葉で描くのはむずかしいと思うのだが、作者はみごとにそれをやってのけた。」(角田光代)
「もとより主人公を人間と捉えていては読み通せない小説のため、人間が描けているか否かを問うても意味がない。」(高村薫)
「前作に比べて文章に無駄がなく、構成が均衡して苦労譚や謎解きに片寄らず、なおかつ主題が一貫していた。もっとも、この小説の主題の捉え方は人それぞれであろうが、私見では「天然の一部分として存在する人間」であった。」(浅田次郎)
「生まれて生きて死ぬ。ヒトも熊も自然界の一部でしかないというシンプルさ。作者は北海道の厳しい自然を活写し、「熊爪」という熊に近いヒトを巧妙に造型した。前人未踏の山に分け入るような仕事である。」(桐野夏生)

まず角田氏の指摘に共感する。熊爪はマタギであり、その思考は論理よりも直感が主体で、それを文章にするためには、感性を理性に落とし込む作業が必要だ。それが説明的に過ぎるとインテリ臭がするし、素朴な表現だけだとあざとく感じる。このバランスが巧みで、時代背景も手伝って、彼の心の声が肉体から発せられているものだと素直に感じられる。実践的な体験を経てきた山の証言者としての迫力があり、読者もまた剥き出しの自然を体感するような感覚に陥る。

言語化された熊爪の思考は人間と自然が交錯する地点にあり、人間か熊か、という二項対立にしてしまっては面白くないと私は思う。その感じ方には個人差があり、それは山や森というものへの体験があるかないかで違ってくる。上述した選評を読む限り、どうやら選考委員の中にはアウトドア派はいないと見える。

そういう意味では帯の「熊を狩る。人間と自然との最も劇的な接点に、死に場所をもとめる男の生き様に憧れる。」(角幡唯介)のコメントに重みを感じる。

「人間と自然の接点」が、主人公・熊爪の中でどう変化していくのか、それがこの小説の本質的な部分である。

「人になった“熊”は人にならなかった“熊”に喰われるという、一種神話的な帰結も見事なものであり、極めて完成度が高い。」(京極夏彦)
「だが選考会で、「熊爪も陽子も、熊なのだ」という解釈が提示され、自身の読みの至らなさを恥じた。」(三浦しをん)
「陽子が熊爪を殺す理由がわからないという点で私はマルではなくサンカクの評価をつけたが、陽子もまた人ではなく、獣として、人となった熊爪を始末する必要があったという複数の選考委員の説明で、深く納得した。」(角田光代)

この小説のテーマ性に着目するとそのような読みができるのはわかるが、私は異なる視点から考えてみたい。

まず熊爪は狩猟者として登場するが、その思考は動物のように「目の前の状況を直感的・感覚的に判断する」ということの連続であり、一つ誤れば命を落としかねない環境の中で生き延びている。山というのはそのような場所であるので、熊爪は「とある猟師」としての匿名性を持つとも言える。他者との入れ替えが可能な存在だ。

その熊爪が、彼固有の物語を生き始めるのが後半だ。「穴持たず」を追った狩で大怪我を負った時点で、彼は「山で生きる動物」から「記名性を持つ人間」へと歩み始める。

「俺は、熊か」
岩場で痛む全身を伸ばし、熊爪は呟いた。
「熊でねえのか。人間なのか」
空虚な問いに自分で答えを出せるはずもなく、熊爪は月が天頂に至るまで、傷ついた心身を晒し続けていた。

117ページ

身体を損傷した熊爪は未来を思い描く。このような空想は、動物の思考ではなく、人間に特有のものである。彼の心のうちに、これまでとは違う形でのアイデンティティーが生まれ、赤毛を追うことでそれを確認しようとする。この二度目の熊との対峙シーンもまた圧巻である。

現代劇の狩猟場面は、ライフルのスコープ越しの心理戦というイメージがあるが、この作品ではまさに肉弾戦の決闘の様相であり、熊爪と赤毛が直接的にコミュニケーションを取る迫真の描写がある。刻々と変化する状況を熊爪の主観による内面描写を交えて描き出しており、先の読めない展開もあって手に汗握るアクション場面であった。この充実ぶりがあるから、赤毛を倒したあとの熊爪の虚無感、喪失感を理屈ではなく感情のレベルでわかった、と思えた。

終盤では陽子との物語となるが、私はそれまでほどにはのれなかった。陽子の出自や身体性、言動は、いかにも文学に出てくる人物そのままのキャラに思えたのだ。

この物語は「リアル日本昔ばなし」が「純文学の女」によって収束し結実するという見立てができる。作者はこの作品をドキュメンタリーではなく、あくまで小説の論理で記述しようとしたのだろう。

この作品の全体を通じて存在する「犬」も忘れられない。この犬は人と獣、人と人を繋ぎ、また、作品世界と読者の橋渡しもしている。私はこの犬は途中で死んでしまうのかと思っていたが、最後まで登場することで、この物語を見届ける存在、現実世界と繋がるキャラクターとしても忘れ難い余韻を残す。私はこの最後の一行が好きだ。

床に残っていた血痕も、人のものか、獣のものか、それさえ判別がつかなかった。犬だけが、その場所の匂いを嗅ぎ、満たされた目をしていた。