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言葉を受け取る側にも準備が必要だ。


最近、私が感じたこと。

言葉を受け取る側にも準備が必要だということ。



私はうつ病の経験がある。

過去、しんどかった時期に、周りの方から沢山の言葉を贈ってもらった。

当時も、ありがたいと思って、その言葉を受け取っていた。
が、最近、その言葉を表面上でしか受け取れていなかったのかもしれないと感じた。

それは、言葉を贈ってくれた人の背景を知ったことがきっかけだった。

その人の抱えているもの、その背景を知ったことで、
当時その人が贈ってくれた言葉の意味が本当の意味でわかったような”気がした”。

そう”気がした”のだ。

私が感じ取ったものが、贈ってくれた相手にとって”本当”かどうかはわからない。

他人の心の中は見えない。

でも、私は確実に、当時よりも深い意味で、その言葉の意味を受け取ったのだ。

それは、私にとっては”本当”だった。


。。

そうして思ったことは、
言葉を受け取る側にも準備が必要だということ。

きっとこうだろう、と決めつけないこと。

この人はどうゆう想いを持って、この言葉を送ってくれたのだろうかと分かろうとすること。


他人の心の中は見えない。

見えないからこそ、知ろうとすること。

見つめようとすること。

心を開くとは、こうゆうことなのかもしれない、とも思った。

私の好きな表現の一つである”見つめることは、愛すること”
にも通ずるところがあるなとも思った。



。。


そして、言葉を贈る側の人へ。

相手がその言葉の意を汲んでくれるかどうかは、わからない。

やはり、他人の心の中は見えないのだ。

それでも伝えようとすること。

伝えることをやめないこと。

表現しようとすること。

表現をやめないこと。


きっと伝わる。


それは、贈ってすぐかもしれないし、

三日後かもしれないし、

一年後かもしれない。

いつかはわからない。

それでも伝えようとすること。表現すること。贈ること。


きっと伝わる。

互いに準備ができた時に。

そんなことを思った。





。。




心の深度の違い。

経験の深度の違い。

人はよくすれ違う。

すれ違ったことを失望する。

分かり合えないことに苦しむ。

でもだからこそ、言葉が生まれた。

絵が生まれた。

歌が生まれた。

あの手この手を総動員して、大切な人に、見えない何かを伝えたくて。

大切な人の、見えない何かを知りたくて。


ああ、なんて愛おしい人間たち。

分かり合える喜びを知るために、私たちは離れ離れになったのかもしれないね。

最初は一つだったのにね。

いつも互いの心が一つだったら、こんな苦しみなんて知らなかったね。

知ることができなかったね。

だから私たちは、一度離れ離れになって、全て忘れて、この世界にやってきたのかもしれないね。






とか思った。


。。。

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