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『美味しくない無洗米』

2024年9月某日。
只今、令和の米騒動の真っ最中。

いつもネットで買っていた無洗米が売り切れていた。

仕方なく、近所のスーパーでいつもと違う種類の無洗米を買った。

帰宅してすぐに、炊飯器で米を炊く。


いつもの無洗米は一合に230mlの水を入れるとちょうどいい。

新しくやってきた米の袋には、水の分量が書いていない。

とりあえず、いつもと同じ230mlで炊いてみた。

数十分後、炊飯器の蓋を開けると、湯気の向こうに白いご飯ができていた。

しゃもじで米を混ぜると、少し硬い。

お椀によそって、一口食べてみると、まずい。

粒が小さく、パサパサとした口当たりで、甘みもない。


ああ、これだから。。

やっぱりいつもの美味しい米じゃないとダメなんだって、と肩を落とす。

それから暫く、我が家の食卓には、パンが並んだ。




米を炊くのに失敗してから数日後。

パンに飽きてきた。

米が恋しい。

しかし我が家にあるのは、いつもの無洗米とは違う、美味しくない無洗米だけ。

美味しくない米は食べたくない。

美味しい米だけ食べたい。

しかし、ないものはない。

ついに観念して、再び、美味しくない無洗米を炊くことにした。

炊飯器に米を入れて、水を測る。

ここで、ふと思う。

この新しい無洗米に、いつもの分量は合っていたのだろうか。

もしかしたら、水が足りなくて、美味しくない米になってしまったのではないか。


いつもは230ml。

前回は、この分量でパサパサだったから・・・

今度は250mlで炊いてみる。

数十分後、炊き上がったようだ。


恐る恐る蓋を開けると、昨日よりも多くの湯気が湧き上がっている。

ふっくらとした艶々の白いご飯が、そこに待っていた。

米たちが喜んでいるように見えた。

これが踊り炊きというやつか。(たぶん違う)

やったぜ。

昨日はあんなにパサパサだったのに、今日はとてもふっくらしてるね。

しゃもじで すくって、お椀に乗せる。

一口食べてみると、うまい。

粒が大きくて、甘い。

なあんだ、米のせいじゃなかったのか。

ごめんね。君は何も悪くなかった。



ご飯を食べ終わって、手を合わせながら、考える。

ついつい 「いつもの」をあてがってしまうけれど、
新しいものには 「いつもの」は合わないかもしれない。

「きっとこうなんでしょ。」って、決めつける。

「これでいいんでしょ。」って、押し付ける。

ひとつひとつ違うものなのにね。

一緒な方法でうまくいくわけがないんだ。

いきものなんだから。

お米も。

人間も。

それぞれの、ちょうどいいを探らなくちゃ。


こんな簡単なことも、米の種類を変えなければ、きっと私はわからなかっただろう。

令和の米騒動に、感謝を。

そして、目の前の米に、たっぷりの水と愛情を。








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