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おはよう。
いつもはノートにそう書くんだけど、なんだか今日はパソコンで文字を打ちたい気分になって、こっちに書いてみた。
おはよう。
今日もいい朝だね。
昨日はゆっくり寝れたよ。
起きたら朝の10時だったからびっくりしたよ。
こんにちは、の時間になりそうだったよ。
今日したいこと。
無理せずまったり。
なんか美味しいものを食べる。
コーヒー豆を買いに行く。
いいね。
美味しいトーストが食べたいなあ。
海沿いの、あのカフェに行こうかなあ。
ああでも車を運転する体力がないかもしれないなあ。
悩ましいところだね。
こうして考えると、体力の限界を無視して何かをすることって、本当に誰のためにもならないなあと、改めて思う。
体力の限界を無視して、何かをする。
たとえその何かが、自分のやりたいことであったとしても。
それは、エネルギーの前借りをするということ。
その日は良くても、次の日に電池切れになる。
でも電池切れでもしなきゃいけないことはあって、それで、また未来からエネルギーの前借りをする。
そうして3日くらい寝込むことになる。
反省。。
はい、今反省しています。
やりたいことをするにしても、何をするにしても、
それをしているのは生身の人間の体なのだから。
アイデアは無限に湧いてきても、それをする体のエネルギーは有限なんだって。
はい。
反省してます。
走りすぎちゃう癖があるから、知恵熱というシステムが私には備わっている。
とても便利な制御システムだ。
体がぶっ壊れる前に、知恵熱が教えてくれる。
あんた、そろそろ一回休みなさいと。
そうして私は布団の世界で、おでこに水色の相棒を乗せながら、一人反省会をするのだ。
いつでも一人反省会を開けるように、冷蔵庫には、いつも水色の相棒たちが2枚セットでスタンバイしている。
しかしここで思う。
そもそも、知恵熱が出る前に、休むということを覚えればいいのではないかと。
いつも水色の相棒におでこを冷やされながら、思う。
しかしそれができないのだ。
休むことが私は苦手だ。
でも、だからこそ、この知恵熱にとても感謝している。
強制的にお休みを取らせてくれる、素晴らしい制御システム。
熱が出るとしんどいが、熱は浄化なのだ。
熱は火。
火は浄化をする。
ほら、神社でも、火で燃やして浄化をするだろう。
もしかしたらそれと同じことが体の中で行われているのかもしれない。
そう思うと、熱も悪くないと思える。
高熱が出た時の翌日は、体がどこかスッキリしている。
熱が、悪いものを祓ってくれたみたいだ。
そんなことを思いながら、おでこで干からびている相棒をひっぺがす。
「ありがとう。」
さあ今日も新しい1日がはじまる。
今日は、何をしようか。