飛べない蝶。

ある日曜の午後、私は植物を買いにホームセンターへ出かけた。

様々な植物が並べられた棚。

ふと足元に目やると、金属の棚の影にアゲハ蝶がいた。

正しくは、”アゲハ蝶だったもの”が落ちていた。

黄色の羽だけが、2枚重なって置かれている。


蜘蛛か何かに食べられてしまったのだろうか。

そこにあるはずだったものがない。

”頭”も、”むね”も、”はら”も、ないのだ。

鮮やかで美しい模様をした羽だけがそこにあった。


この蝶は、一体いつからここにいたのだろう。

今日?

昨日?

ついさっき?


冷たいタイルの上に残された羽を見つめながら、そこにあったものを想像する。

どうして君はここにいるんだ?










「あら、可哀想に。」

横を通り過ぎた誰かが、落ちた蝶を見て、そう呟いた。


可哀想ーーーーーー

可哀想、なのか?

本当に?


私はしばらくその羽を見つめていた。

どうして君はここにいるんだ?



君の大切な”からだ”は誰かに食べられてしまったのか。

だからここに羽だけが遺されたのか。

君の大切な”からだ”はどこに行ってしまったのか。

本当に、奪われてしまったのか。

なくしたものは、なんだったのか。

君は今、どこにいるんだ?






私はもう、買い物をする気分ではなくなっていた。

店の外に出ると、急に雨が降ってきた。

大粒の、久しぶりの雨だ。


私は急いで運転席に乗り込んだ。

肩が、頬が、濡れていた。

ハンドルを握り、車のアクセルを蹴った。

唸るような音を上げながら、車は進む。


フロントガラスに、雨が打ち付けられている。

段々と激しくなってきている。

道の先がよく見えない。

右に左にそれを掻き分ける。




不思議だ。

こんなにも外が荒れているのに、何故か雨の音は聴こえない。

車の中はとても静かだ。


走りながら私は考える。

あの蝶は今、どこにいるんだ?






どうやら雨は上がったようだ。

道の向こうに、見慣れた建物が見えてきた。

私の家だ。

アクセルを強く踏み込んで、家の駐車場を通り過ぎた。



まだ帰りたくない。

目的地などない。

ただもう少し走っていたい。



走りながら私は考える。


きっと、あの蝶は飛び立ったのだ。

重たく美しい羽を脱ぎ捨てて。

私は、そう思った。


















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