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対立を終わらせるための自己受容

自分の中に大きな恐れがある。

表面的なポジティブでは
すぐに元に戻ってしまう。

この恐れはなんだろう。
自分の中の感情を内観する。

莫大な怒り。
そしてその下の大きな大きな悲しみ。

対立で傷つく。
なぜか?

他人が自分と違う価値観を持つこと
それは変えることはできない。
他人を変えることはできない。
それなら自分を変えるだけだ。

自分を変える。
自己と向き合い
対立で起きた感情と丁寧に向き合う。

結局、自分の中の調和なしには
他人との調和はあり得ないのだ。

自分を調和させるために
私は深く自分と向き合う。

あぁ
私のインナーチャイルドだ。
父親に私の気持ちや意見を間違っていると言われ
私がおかしいと言われたこと。
ずっと我慢して父に表現できず抑圧した怒りの感情は
大きなエネルギーを伴って私の中にまだいる。

怒りは二次感情だ。
怒りの下にある感情は
そう。
大切な人に理解してもらいたかったのに
理解してもらえなかったという
大きな大きな悲しみ。

全て私自身の未解決な課題の反映。
痛みと向き合うのは辛くて無意識に避けがちだ。
それでも心から他人も自分も幸せにできる存在になりたいのなら、私は自分と向き合い続ける必要がある。

未解決な感情をちゃんと感じきること。
それは浄化だ。
自分の魂がキレイな状態に保つための試練。

そう。
痛みと向き合い続ける勇気。 

しんどすぎる時は休みながら
1日で無理なら毎日少しずつでも
気づいたならば必ず抜ける。

光の存在になるのなら
私は中から変わらなくてはならない。 
生まれ変わるのだ。

内的努力をし続けることが求められる。
高い倫理観も求められる。
全人格的成長が求められるのだ。

努力というか
内なる自分を覚醒させるための努力。

教科書などない。
手探りでの継続的な努力。
でもそれは朝と晩の瞑想が主だ。

ネガティヴな思考を持ち続けることに執着するのか
ただそのネガティヴな思考やモヤモヤした感情を
瞑想によって俯瞰してみることで
自分の中に内なる平和を保つのか。

感情はジャッジしないでただありのまま観察する。
そう感じているんだね。とただ受け止める。
そうして見てると自分の思考の癖に気づく。

人は不快な出来事を何度も思い出してしまう性質がある。快と不快であれば不快なことの方が心に残りやすいという性質がある。なぜなら不快なことは命の危機的な状況を感じ、防衛するという人間の本能からだ。

自分の感情を眺めてみると
私は不快な出来事を何度も思い出して
何度も嫌な気分になっていた。

そう。
私は不快な出来事や
嫌な気分に「執着」していたのだ。
 
それでは負のループから抜け出せない。

私は意識的に快を感じる機会を探した。
そう。
気分転換だ。
嫌な感情を手放す努力をした。

私が生きてきて感じたこと。
それにはこの方法しかない。
瞑想だ。

なぜ瞑想がいいのか。
ずっと絶え間なく嫌なことを考え続けること
そうすると脳が疲れる。
でも無理矢理ポジティブになろうとしても
表面だけでは意味がなく何も変わらない。

そこで一瞬だけでも
今握りしめている不快な感情から
「無」になることができると
驚くくらい脳がリフレッシュするのだ。

マインドフルネス。
今、ここにある呼吸などに集中できると
その考えが止まる瞬間が
自分をリフレッシュさせてくれるのだ。

対立した時ほど
相手ではなく自分を見つめ
自分の内面を整えたい。

結局、自分とうまく付き合えなければ
他人とうまく付き合うことはできないのだ。

未熟な私なら訪れる沢山の試練。
それでも深いところで
私ならそれらを乗り越えていけるだろうと強く信じている。そして強い意志を持って必ず乗り越える。
宇宙からの支援に心から感謝しながら。

私は一人じゃない。
私は信じた道を貫く。
覚悟を持ち自分の意志で決めたことだ。
自分で決めたことは後悔しない。

完璧ではない私でも生かされている。
他人を変えられることはできないと私は経験上知っている。
だったら私を変え続けよう。
常に進化していけばいい。
他人に左右されない私に。
感情に巻き込まれない私に。
だけど寄り添える優しさを持つ私に。
客観的に見えているからこそ寄り添えることもある。
巻き込まれ過ぎでは長く関係は続けられない。
私が成長していこう。
嫌なことは嫌だと言うことの重要性を学んだ。
自分を大切にしなくては相手も大切にはできないのだ。

私の心を整えている。
透明に保ち続けられる私でいられるように。
大切な人たちと長く関係を続けられる私になれるように
私は毎日魂を磨いているのだ。
愛と平和のために。


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