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24.断片集、つぶやき集14 トワイライトゾーン「歩いていける距離」

断片集、つぶやき集

文字数2600ほど


前に、情熱大陸の、俳優・女優の松本まりかさんが取材された回を観た。
松本さんは遅咲きと言われる俳優だが、急激な人気と知名度の上昇、ブレイクに戸惑いを感じていたらしい。
内心、「嫌われるのが怖い」と感じていたらしいが、オフの日に立ち寄った雑貨店の店主さんが話した

「人に嫌われるようになって一人前と言える。自分のやりたいことを押し通していくと誰かに嫌われる可能性も出て来るが、誰かに嫌われてこそ、立派な仕事ができるようになる。」

というような意味の言葉を聞いて、心にいたく響いたようであった。
自分もこの言葉が印象に残り、時々思い出す。





ヴァレリーの著書「ドガ・ダンス・デッサン」によると、ドガは、人に譲った絵を後で見かけると、手直ししたい強い情熱にかられる、との話だった。
ある男性(たしかヴォラール)は、ドガの頼みを承諾して、気に入っていた絵をドガに渡し、修正後の返却を待ったが、一向に返ってこなかった。
ドガにそのことについて問い詰めると、ドガは「実は手直しするつもりで、あの絵を台無しにしてしまった。代わりに別の新しく描いた絵を渡す」と白状したらしい。

男性が新しい絵を飾っていたところ、ドガが訪れ、新しい絵の欠点を見つけたらしく、手直ししたいと懇願した。男性は懲りていて、ドガの再三の要求を退け、絵を壁から取り外せないように工夫したと確か書かれていた。

自分はこの話を書きながらこんなことを思う。
ドガと自分とを引き比べるのも恐縮な話だが、文章を書いて、時間が経ってから何か気に入らないところがだんだん見つかって、そこを修正しようとすると、最初に書いた時の気持ちと、今の気持ちとが別物になってしまっているせいなのか、修正を加えても、なんだかしっくりこない感じが続くことがある。
結局、最初のままの方にとどめておいた方がしっくりくる感じがあったように思い、後になって追記、編集することの難しさを感じることがある。

井伏鱒二は山椒魚を書いて、長年経ってから、全集を出す機会(たしか)に、大幅な修正を加えたらしい。
山椒魚は、話の中で、たしか大きくなって岩のすきまみたいなところから出られなくなる。それで話は終わる。
井伏鱒二は、山椒魚をそんな窮屈な状態にとどめおいたことを内心、気の毒に思って長年心のしこりに感じていたらしい。
それで、話に修正を加えたらしい。
さだまさしの「私の愛読詩集」という宮沢賢治・井伏鱒二の詩の朗読CDを昔視聴した時に、さだまさしと井伏鱒二の対談(肉声)が収録されていて、上記のエピソードに触れていた。





昔、トワイライトゾーンというドラマCDの音源を視聴することがあった。
アメリカの昔のヒットTVショーの数十話分の中から、日本語に訳して、ドラマCDにしたものだったらしい。
自分が視聴したのは、2話だけだった。
(「歩いていける距離」と「バンディットというスロットマシーンの話」が収録されていた。)
(主要な作家はサーリング)

トワイライトゾーンシリーズは、不思議なSFものが多いようで、例えば、「歩いていける距離 the walking distance」という話を聞いたが、

それは、不満を抱えながら生きる若い男性が、ふと地元の街に戻ってみたら、どうも様子が変で、だんだん自分は自分の子供の頃の時代にどういうわけかタイムスリップ的に来てしまっていると気づく。
青年男性の若い子供時代の自分も、街で遊びまわっていて、亡くなったはずの両親も家で生きている。
青年は混乱した気持ちになるが、亡くなったはずの父との改めての交流で、心の転機を得る、というような内容であった。

この話について、繰り返し思い出す。
ちなみに、日本語訳で数十話分が収録された「ミステリー・ゾーン」という文庫が数巻出版されている。

自分としては、ミステリーゾーンより、トワイライトゾーンというタイトルのままの方が良いように思う。

「歩いていける距離」はドラマCDで知ったが、後になって、日本語訳の版(ミステリーゾーン1巻)を読んで、面白く感じた。
面白かったが、主人公の青年をずっと気にかける女性が作中現れ、その女性が一体どんな存在なのか最後まで正体がわからず、未消化のまま作は終わったように感じた。自分の読み落としによるものなのか。
だが、その女性のいわゆる伏線回収の「されなさぶり」が、「歩いていける距離」の中の主人公の父の言う「謎は謎のままにしておこう」という言葉と妙になじんで、自分にはかえって興味深く感じられた。


それにしても、「歩いていける距離」の作中の、「(人生の)謎は謎のままにしておこう。」という言葉からいくつかの連想をしている。

一つは、ユング自伝におけるユングの秘書ヤッフェの言葉で、ユングは人間の内的世界の探求と解明を徹底して行ったが、謎の解明を突き詰めて行う道が、かえってより強い当惑とジレンマに人間を導くように感じたヤッフェは、「謎は謎のままにしておくことが良いのではないか」という意味の言葉を残しているようである。

(この言葉が、ユングとの会話の中でユングが発したものを引用したのか、ヤッフェ個人の感想として出てきたものか今よくわからない。ちなみに、ヤッフェはユングの自伝執筆に際して、ユングとそれほど関係が良くない状態に陥ったのではないか、と自分には思われる。ユングは「ヤッフェの企みにより自伝を書くことになったが」などと書いている。実際のところはよくわからないが。)

もう一つは、WANDSの、スラムダンクの昔のアニメの主題歌の「世界が終わるまでは」の序盤の歌詞、
「互いの全てを知り尽くすまでが 愛ならばいっそ永遠に眠ろうか」というもので、時々この歌詞が自分の頭に浮んでくる。

自分はこれは、「全てを解明することを目指すと、結局は終わりのないジレンマにさいなまれることになる。そんなことを強いられる世界なら自分は冬眠して、まるでいない振りをしてしまいたい。謎は謎のままにしておくので良いじゃないか。」という具合に勝手に解釈している。
(多分かなり勝手な解釈である。)


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OndokuAikouka(音読研究×小林秀雄散策)
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