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続・新卒で入った会社を2ヶ月半で休職し北海道で農業した話。
みなさんこんにちは。
さてさて、前回の続きです。でも書いていたら、思い出の備忘録みたいになってしまいましたし、一回寝かせたら5ヶ月以上寝かしてました。まあ、北海道での出来事一つ一つに思うことがあったのよ。
長くなってしまうけど、それでもいいよって人だけお進みください。
今回北海道で農業を選んだわけには、自然の中に逃げたいという意図の他にもあった。シンプルに職業として農業に関心があったし、漠然と昔から憧れている田舎で暮らすということをやってみたかった。東京生まれ、東京育ち、両親も東京出身の私は、東京のコンクリートジャングルには飽き飽きしていたし、田舎で生活することがほとんどなかった。けれど、田舎暮らしに憧れる理由が、自然と美味しい空気が好きで、人混みが嫌いだから、ぐらいの解像度であった。今回田舎で生きることを体験することで、より自分について深く知れることを期待していた。
【北海道の洗礼】
北海道に到着して、空港でさっそくソフトクリームを食べながら、集合場所を確認した。鵡川駅という日高線の最終駅だった。空港からは約1時間半ほど。ダイヤを確認したら、ギョッとした。1日に8本しかない、この線路。ふむふむ、日高線は2015年に路線の大幅縮小して、100km以上伸びていた路線が今は3駅しかないのか。
国鉄の民営化で地方の路線が次々閉鎖されているという話は聞いたことがあった。その地に足を運んでみると、そこにもちゃんと人々の暮らしがあったのに、突如陸の孤島になってしまったのだろう。車なしに生きられないし、新規の住居者などやってこないだろう。歴史ある路線の廃線で彼らの感じたやるせなさに思いを馳せてしまう。
新千歳空港駅から南千歳駅での乗り換えの電車はいきなり一両編成になって、待っていた乗車位置からかけ離れたところに到着していた。ボコついたホームで必死にスーツケースを押して急いで電車に乗った。
そうしたらなんと、反対方面の電車だった!気付いた頃には電車は動き出していて次の駅ですぐに降りたけど、次の電車はなんと2時間後だった。。。
日頃からギリギリを攻めて、電車を一本逃して「ごめんちょっと遅れる」の常習犯な私は、早速北海道の公共交通機関の東京での当たり前との違い、自分もそれを当たり前として生きていたことに気づいた。
田舎の交通公共機関、時間に余裕を持つこと。
ダイヤはしっかり調べること。
ファームの方がとても親切な方で、2時間後の電車に合わせて迎えにきてくれるとのことだった。その優しさにすでに泣きそうになった。メンタルはボロボロだ。優しくされるとなんでも感動する次元だった。
【シェアハウス】
2時間遅れで最寄駅に着き、軽トラで拾ってもらい、雑談をしながらさらに進むこと1時間。車内では今日来ることになった経緯を話していた。初対面のコミュニケーションには定評のある私、ファームの方に「思ったより元気っすね。」なんて言われた。たぁしかに。私もともと人と話すこと大好きだし、コミュニケーションが取れない状態って異常だったんだなと、痛感した。
夜もそこそこ、やっと到着して、一緒に働く人たちとシェアハウスが始まった。
そこにいたのは、2つ上の転職して農業始めたお姉さん、もう5年ほど毎年ブロッコリー収穫を手伝いに来ている大阪のおばちゃん、特定技能で出稼ぎに来ているネパール人3人、そして私と同じ期間でおてつたびに申し込んだ、日本をチャリで旅しているフランス人という異色の組み合わせだった。
みんな人が良くて、とても優しくて、ムードメーカーの大阪のおばちゃんは言語の壁をものともせずひっきりなしにみんなに話を振り、場を賑やかにしていた。
つい昨日まで東京の一室で惨めに泣いていた自分が、今北海道で見知らぬ人たちとネパール人のカレーをもらいながら過ごしているこの急激な変化に流石に自分でも笑ってしまった。布団は薄くて硬かったが、ぐっすり眠りについた。
【怒涛のブロッコリー収穫】
朝になって、ほとんど川に行く時と同じ格好で畑へ向かった。こんなど田舎にあるハウスなのに、畑まで車で1時間だそうだ。どういうこっちゃと思いながら、車に揺られてブロッコリー畑に到着した。
ブロッコリーは畑の畝に等間隔で実っている。大きな葉っぱが中央のブロッコリーを囲うように広がっていて、中央に向けて傾斜を持って生えるその葉っぱは、雨水を中央の実に流すためにその大きさと角度、撥水機能を兼ね備えていた。ブロッコリーすごい、自然の無駄がない美しい仕組みに早々と感動していた。
収穫は、一人で4つの畝を担当し、カゴがたくさん乗ったカートを押して収穫したブロッコリーと次々そのカートに乗せていく。
茎の5センチしたくらいをナイフでザクっと切り、葉っぱを落とす。収穫するブロッコリーは小さすぎても大きすぎても市場に出回れず、ちょうどいいサイズで収穫しなければならない。縦の長さも、長すぎても短すぎてもいけない。
疲れてくると、楽をしようとやわらかい切りやすいところから切り出し、短くなって出荷ギリギリのものを何個か生み出してしまった。後半は集中力が必要だった。
この時ファームのブロッコリーは昨今の温暖化により時期をずらして植えたはずのものも異例の速さで成長を遂げてしまい、収穫待ちで長蛇の列をなしていた。一刻も早く収穫しないと大きすぎて市場価値が落ちてしまったり出荷できなくなるためとにかくスピードが求められた。自然は待ってくれないし、成長を止めない。朝7時から夕方5時まで、1時間のお昼休憩を除いて、永遠にブロッコリーを刈り続けた。
1日目にして、疲労感がえげつなかった。久しぶりにこんな運動したよ〜、めちゃくちゃ過酷なんですけどひ〜ん。
と思いつつ、全て刈り取られた畑の跡と、目の前の山積みになったブロッコリーの入ったコンテナは自分の努力が可視化されていて達成感があった。
帰ったら、代わりばんこにシャワーを浴び、洗濯をまわし、自炊をして、みんなと喋って10時には就寝。という形だった。合宿か?ここは。って感じで、おてつたびの旅要素が一ミリもない気はしたけど、外を見れば夜空に降ってきそうなほど星がいて、人工的な灯りがなく森の匂いがするこの地に癒されていった。
【ブロッコリーを刈り続けて考えたこと】
ブロッコリー収穫は、もっぱら己と向き合う時間だった。仕事、パートナー、生き方。いろいろ考えた。
少なくとも、これだけ肉体労働で、朝から晩まで働くことは大変だけれど、顔を上げて耳をすませば鳥のさえずりが聞こえ、遠くに鹿の親子が見え、広い空の下で深呼吸できる環境は自分にとってストレスフリーだった。
東京で働いていた時は、毎朝目覚ましに叩き起こされ、満員電車に乗り、オフィスという箱に一日中閉じこもり、退社する頃には薄暗くなって、一度も青い空を眺めない日だってあった。
オフィスではずっと同じ体勢をキープするから肩が凝るし、目も悪くなった気がする。先輩たちからは整体に行くことやマッサージガジェットを勧められた。
あまり体を動かさないから、筋肉は減って見た目がよぼついてきたように感じた。疲れて仕事終わりに運動しようとも思えなかった。
時間に余裕のあった大学生の時は、自炊をして、新しい料理に挑戦したり、コスパよく栄養を考えて作ったりしていて、多めに作ってタッパーで保存して、毎食ちょっとずつ食べる。そんな日々をこまめに、着実に自分で生きているという感覚が好きだったのに、仕事を始めるとそんな時間も余裕もなく、外食やスーパーで買うことが増えた。
東京での仕事に費やした時間が、自分に余裕をなくし、自分の心を削り、なんとか余裕を作ろうとお金を浪費して。自分が好きだった生活からかけ離れたものへと導いていたことに気がついた。
私、なんのためにあそこで働いてたんだろう。
ブロッコリーを収穫している私も、これは立派に労働をしているらしい。自然の中で体を動かし、泥だらけになって、遅れを取ったら周りの人が手伝ってくれ、重いものを一緒に運び、みんなでやり切った〜また明日!って感じでご飯を食べて眠りにつく。これだって、働いていて、お金がもらえて、社会に貢献している。自分の働く、という考え方があまりにも狭く、小さい世界の中での基準の中で自分を合わせなければと考えていたことに気が付かされた。
同時に、自分にとって働く・生きる上で大切にしたいことが明確になった。
・自分に余裕を持っておくこと
そして、
・相手を思い遣ってくれる人と関わること
今回ブロッコリー畑でストレスなかったのは、自分に余裕が持てて、周りの人々も困っている人がいたら助けると言ったように人を思い遣ってくれる人々に囲まれていたからだった。
人は、自分に余裕がないと他者を気遣うこともできないと思うし、人に当たってしまうと思う。私の東京での職場の上司も、間違いなくその状態だった。自分自身も、そうした環境で余裕がない中で頑張り続けた結果ここまで陥ってしまった。
余裕って大事。
そして、自分がやりたいことは、人に余裕を提供することなのかもと考えるようになった。多くの人が、自分の心に余裕を持つことができたら、他者に優しくなり、時に他者に関心を持ち、自分の人生を見つめ直し、自分の人生で大切にしたいことにより時間を費やして、みんなが幸せになれると思った。
こうして、毎日ブロッコリーに塗れた10日間が終わった。
終わる頃には、新しい人生が切り開かれる感覚があった。ここにきてよかった。
【自分の想像していた農業や田舎の生活とのギャップ】
でも一方で、農業を生業にしたいと思ったかというと、それはそれでNOというのが現状の自分の答えだ。
私のお世話になったファームは北海道のあちこちに大きな農場を買い占めて、大規模農場を会社として行なっていた。日本の農業は従来、農家という言葉の通り多くが小作農というか自営業であるケースで、昨今の気候変動や燃料・肥料高騰、外国産のものとの価格競争などなどその経営は非常に厳しいものになっている。オーナーの方は世界規模で起きている異常気象を前に食べ物がなくなる世界線に向けて、本州ではなく北海道の開拓を進め、食料を大量に栽培できる土台を作り上げて、戦後のような食糧飢饉に備えているらしい。
「もう小さい土地で小さく作って市場で勝とうなんてするんは無理や!アメリカやフランスみたいに大規模な土地で効率よく作って会社として経営せな、日本の農業は生き残れへんで。これから食糧とか水不足になって結局現物を持つ奴が力を持つんや。政治にだって口出せるくらいな。」
北海道の大地に響くオーナーの関西弁はやたら説得力を感じた。先見の明とともに行動力がある人だった。
それでも、こうして大規模化した農業の形態に合わせて働く身を経験した自分の感想としては、これではあまり都市での生き方と差異がないように思えた。1日8時間かそれ以上、ノルマが終わるまでしっかり働き、同じような作業を繰り返す。農業といっても単一作物を大量に作るだけで、大規模な都市の人口を支えるための分業の一端を担うという姿がここにはあり、自分で自分を生かすような生き方ではなかった。さらに、出来上がったものは全て会社のものだから、自分の取り分は労働に対する対価の給与のみだ。
字に起こしてみるとより都会のサラリーマンとあまり変わらないのを感じる。途中で自分って何のために生きているんだっけ。と我に返りそうだと思った。
少なくとも自分が理想とする農業はバリエーションの富んだ作物で自給自足でき、労働に対する対価が給与だけでないという点なのだとわかった。金はもはや農業では稼ぎたくないのかもしれない。市場に出すということは見栄えや規格に囚われ他者との価格競争にも追われる。そんなことせず、愛を込めて作物を作って、形とか大きさ関係なく無駄なく最後まで愛を持って食べ尽くしたい。
漠然と捉えていた自分の理想の農業観を経験を持って少しクリアにできたこともこの旅のいい収穫だった。
人は経験してみて、知ることで、自分の中で考える要素を得られる。経験は人生のかけがえのない価値だ。これからも臆することなく気になるものに飛びつく精神とフットワークを備えて生きたい。
以上、5ヶ月くらい温めておいた(放置した)休職期間の北海道農業レビュー(?)でした。