話題の鬼滅の刃から人生を学ぶ vol.1
“鬼滅の刃”という言葉や主題歌を聞かない日は無かったのではないか
と思うほど、ムーブメントな鬼滅の刃。
現在だと映画も絶好調で、興行収入がスゴイことになってますね。
数年単位で漫画やアニメを新しく見ることをしていなかったのですが、遅ればせながら、鬼滅の刃を見てみました。
ブームだと逆行したい人間なので、あまり期待はしていなかったのですが。
漫画・アニメ・映画を全て見た結果、
一言で言うと、すごく良かったです。(月並みの感想…)
面白さやテンポの良さはさながら、その中に感動や人生の学びもあり、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、【本当に自分もこうして生きられたら良いのに。】とも思いました。
また「なんか鼻につくな!」って思うキャラでも、最終的に好きになってしまう個性と魅力が全員にあります。
物語はthe 王道な印象ですが、様々なコンテンツが飽和状態かつ消費が早い現代においては、鬼滅の刃のような王道ストーリーは、逆に今の時代でマッチさせることが難しかったのでは。とも思います。
今回はその中でも、【自分もこうして生きられたら良いのに】という人生の本質的なところを自分の備考録として残していきたいと思います。
忘れていた初歩的なことや自分の成長についても考えさせられました。
人生はもちろんながら、ビジネスパーソンに役立つ本質的なところ数多くありました。
ざっくり あらすじ
主人公:竈門 炭治郎(かまど たんじろう)
ヒロイン:竈門 禰豆子(かまど ねずこ)
主人公は6兄弟の長男で、心優しき芯が真っ直ぐでございます。(弟は六太という嘘みたいな名前)
ある日、炭治郎の家族は“鬼”に殺されてしまウノですが、妹の禰豆子だけは“鬼”にされてしまいます。
“鬼”と呼ばれるものは、元は人間であり一応自我があるのですが、人間を襲い食べます。
しかし禰豆子には人の心が残っており、人間を喰らいたい欲求を自制しています。
そんな禰豆子を人間に戻すため、炭治郎は鬼狩りとなり、鬼の始祖 無残を討つため“鬼殺隊”に入ります。
“鬼殺隊”の中では、“柱”と呼ばれる最も強いトップ集団がいます。
それと同じく“鬼”にも、トップ集団がいます。強い鬼ほど、自我や複雑な過去を持っています。
炭治郎と禰豆子は、個性豊かな仲間や鬼と出会い、困難や悲しみを乗り越え、成長する物語です。
1. 思考を止めない
ストーリーは、基本的に壁の連続です。
主人公は勿論ですが、主人公よりはるかに強い柱でも、壁にぶつかりまくっております。
戦いを通して鬼殺隊の皆さんは確実に強くなっていきますが、それに比例するかのように強い鬼(敵)がわんさか出てきます。
正直、チートだろ!みたいな鬼が多すぎます。
鬼との戦闘は、基本的に極限状態の中で様々な情報を瞬時に処理しています。
高度な“高速マルチタスク力”が必須です。
単純に戦うといっても、刃を交えるのみ とは一概には言えません。
例えば、鬼の攻撃・鬼の精神・鬼の次の行動・距離・精神的な駆け引き・会話・自分の攻撃を入れるタイミング・自分の体力・時間・周りの仲間へのフォロー etc...
と、ビジネスパーソンがほしいマルチタスクですね。
鬼滅隊のみなさんも、考えが追いつかず今までの経験値と身体の感覚で対応することもしばしば。
しかし、人間なので
【判断を誤った】 パターンが幾度も出てきます。
そうなると形勢逆転されたり、追い詰められる状態になり、とても焦ってしまいます。
お互い命の削り合いですから、ひとつでも何か判断を誤れば死を意味します。
頭が真っ白になり思考放棄や諦める気持ちが出てくる時に
【思考を止めるな!考えろ】と、鬼殺隊の皆さんは自分自身を律して必死に考え続けます。
その結果、新たな活路が見つかったり、応用したり、何かを思い出したり、自分の成長へ繋がっていきます。
- 思考を止めないから、人生を考える
極限状態でも思考を放棄しない
活路を見出す
これは人生において本当に大切なことです。
上手くいかない時や自暴自棄の時に、思考回路が停止してしまう経験は誰にでもあります。
また、無意識に思考停止状態だったり、その場をやり過ごすためにあえて考えない場合も人間なら多々あります。
特に職場や学校では、そういう場面が多かれ少なかれありますよね。
わたしはしんどいくらい辛くなると、ネガMAXになり、考えないように現実逃避することがあるのですが。
実際に仕事だと、自分一人が考えたところでどうにもならないことがあります。例えば、仕事の環境や福利厚生・残業続き・休日出勤などなど。
2年に1回は、経験したこともない物凄い体調不良に襲われます・・。
ですが、「どうにもならない」「仕方ない」という思考停止状態の考え方、とても反省しました。
判断を自分でして、誤ったなら素直に認めて、
思考を停止せず最善を考え尽くすのが人生において重要です。
それは仕事のみならず、どんな場面でも通ずる基本的なことだと思います。
実際に、残業続きや休日出勤は自分ではどうにも出来ない問題の場合も多いのですが、それだったら【どうすれば良いのだろう】と考えることが大切ですよね。
出来る出来ないの前に、【考える】が何よりも重要です。
至極当たり前のことですが、現代社会においては忘れがちな考えかもしれません。
現代社会では思考停止しても身体は死にませんが、心は死んでしまいますね。
思考を放棄した瞬間に、自分の成長は絶たれます。
結局思考停止状態は自分への甘えということに改めて気付きました。
2. ひとつの目標に向かって一致団結
鬼殺隊の目標は、鬼の始祖含めての滅殺、多くの人が笑顔で安心して生きられる世の平穏です。
そのため、日夜鍛錬や鬼と激しい戦闘を繰り広げております。
鬼殺隊の柱達は個性豊かですが、主要キャラ各々にそこそこ深い闇があります。鬼に家族を殺された・仲間に裏切られた など。そのような過去を背負っているため、ひとりひとりの個性が強く、相性が良い人・悪い人・認める人・認めない人など様々います。
炭治郎は柱と初めて会った際に、なんとも許し難い行動を取られます。
鬼の実情や柱の抱える過去を知ると、正直柱が取った行動も理解できるのですが、炭治郎は怒りに震えます。
険悪になるのですが、そんないざこざなど、終盤には忘れております。
というか、気にしていません。
なぜなら、“組織に属して共通の目標”を持っているためです。
目標達成に向けて、重圧や熱量が人によって若干違うので、幾たび衝突や問題も起こります。
基本的に皆さん暗い過去をお持ちなので、人と距離をとったり疑心暗鬼な部分があるのです。
しかし、目標を目の前にした時に嫌でも歩み寄る必要や、言葉ではなく行動で表すことで、お互い理解が進み、息を合わせて戦います。
まさに百聞は一見にらしかず。です。
- ひとつの目標から、人生を考える
今の社会では、組織というよりも個々の生き方・働き方に舵を切られ、昔よりは“おひとりさま”でも過ごしやすくなってきたかと思います。
とはいえ我々の長い人生のなか、学校や会社・サークル・家族・組合でも、スケールは違えど何かしらの組織に属する場面が多いです。
その中で衝突や、自分の描いた通りにならないこと、上手く連携できないこと、諸々ストレスが溜まる場面は多いのではないでしょうか。
しかしそれは案外簡単に消化できるかもしれません。
明確な目標やビジョン、それにより起こり得る、自分や周りへの変化
の認識をすり合わせて共有することで、その過程で起こる問題は些細なことだと気付き、力を合わせることができると思います。
全体で核となる何かひとつび目標やビジョンが設定できたならば、いつの時も何が最善か考え行動できるはずです。
必要以上にギスギスせず、他人に対しても自分に対しても優しくなれると思います。
3. 有限なもの
鬼滅の刃の人物達には【特殊なこと】がないのです。
あの世界では、持ち前のセンスがあるのは前提ですが、死ぬほど鍛錬をすれば何かしら技を使えるようになるのです。
(元々、勘が良い・鼻が効く・耳が良い・身体が頑丈があるくらい)
ただ、それだけです。
時が戻せる・魔法が使える・死んだ人が生き返る・一瞬で怪我が治る・瞬間移動ができる・実は未来や過去からタイムスリップ...
など昨今ではよくある設定が一切ありません。
あくまで“泥臭い人間軸”です。
そのためか、読者の方が、物語が進むにつれ「時よ戻ってくれ!」という心情になることも多く…。
人間の手や足は、無くなれば戻りません。
1秒も戻らず、怪我の治癒も遅い。
命も同じく散ったものは戻ってきません。
救えない命・儚く散る命 さまざまです。
物語は忠実に人間ルールを守っています。
人間・人生・身体・時間、全て有限です。
「明日がくる」「大切な人が生きている」は、当たり前ではないのです。
でも人間は盲目に信じているものですよね。鬼滅の刃の人物達も例外ではなく。
鬼は人間と違い怪我をしても、すぐ自動で治癒されます。
寿命はなく老けませんし衰えませんし、なんなら鍛錬して人間を喰らい、強くなる一方です。
圧倒的に鬼が有利な立場です。
死んだ人や斬り落とされてしまった手足が戻ることは、現実的にはもちろんないのですが、漫画の世界だったら「実は生きてました」パターンが多いですよね。
しかし、鬼滅の刃では一切ないです。
潔い…そして儚い…。
物語的に「死なないでくれ!」というドキドキや、死んでしまった時や手足がなくなった時に思わず涙が出ます。
- 有限なものから、人生を考える
「明日がくる」「大切な人が生きている」は、当たり前ではないのです。
なぜかこの瞬間や生活が永遠に続くと盲信してしまっています。
天変地異で実感したり、何気ない時にぼんやり思うこともありますが、忘れていきます。人間ってそういう生き物です。
失ってから、本当に初めて気づくのです。
それを繰り返すのが人生でもあります。
今を生きる。今しかできないこと。この大切さ。
有限な人生を、時間を、考えるキッカケになりました。
現代の我々の生活でも、天変地異や不慮の事故など明日を迎えることは当たり前ではありません。
特に2020年はコロナもあり、既成概念すら変わりました。
人と会えなくなる日、人と会うのが怖いと思う日が、来るとは思いもしませんでした。
大切だからこそ人と会わない という新たな価値観が生まれました。
ペストやスペイン風邪なんてものは、教科書の歴史上の出来事でしかなかったのです。
“当たり前の日常”はもう戻ってこないかもしれません。
もっと周りを大切にしよう
ひいては自分の進みたい道へ進もう
人生一度きり。後悔しないために、もっと素直に生きよう。
自分に自信があるわけでもないが、短所も含めて、あるがままの自分を受け入れる。(これが難しいのですが)
【他人の目を気にするより自分のやりたいことをしよう】と思いました。
love myself ということを考えるキッカケになりました。
最後に
と、、他にも色々語りたいことがあるのですが、vol.1は一旦〆たいと思います。
自分の備忘録でしかないのですが、誰かの何かのお役に立てれば嬉しい限りです。
まだまだ語りたいので、vol.2にもまとめたいと思います。
それでは〜 (´・ω・`)ノシ
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