ギャップ
"ギャップ"
私はギャップに弱い。
普段明るい人が自分の好きな物事に真剣に取り組む姿。これによくやられる。
「絵を好きになったのはいつ頃からですか」
「絵を好きになったきっかけは」
「なぜ絵を描くのが好きなのですか」
「絵が上手い理由はなんですか」
私が絵を描く度に、私が『絵の勉強をしています』と言う度に聞かれる。
ここ最近では聞かれるタイミングがわかるほど。
しかしこの質問はかなり困る。
1つ目の質問は正直覚えていないのだ。
いつの間にか描いていたし、いつの間にか私の生活に「絵」という物が溶け込んでいた。
2つ目の質問もそうだ。覚えていない。
いつの間にか描いていたのだから。
3つ目の質問はとてもとても困る。
「好き」とは何か。私は本当に絵が好きなのか。未だに悩むし分かっていない。
1日に1回は「絵を描くのを辞めたい」「飽きた」「嫌いだ」とマイナスな事を考える。
だから本当に好きかと聞かれたら悩む。
嫌よ嫌よも好きのうちというが果たして本当にそうなのだろうか。本当に好きなら嫌だと思わないのでは無いのだろうか。考え出したらキリがない。
4つ目の質問。確かに私は絵が得意ではある。だがしかし絵が上手いかと言われればどうだろうか。芸術の定義やセンスは人によって違うし、私の絵を上手いと感じる人もいれば下手だと感じる人もいるだろう。そう考えると「上手い理由は〜」と鼻高に話すのはどこか気が引ける。
さて、私は最近クイズの勉強をしている。理由はなんだろうか。『かっこいいから』、『知識を身につけたいから』、はたまた全く違う理由か。分からない。きっと、最初に話した「ギャップ」というものが欲しいからというのも候補に上がるだろう。
では、私はクイズを勉強することによって「ギャップ」を手に入れれるだろうか。
きっとそれは私の頑張り次第であり、大勢の前で披露する場があるかどうかでもある。
私が頑張れば経験値もあがり、どんどんと博識になっていくだろう。それを大勢の前で披露すれば「あの人は普段絵を描いているだけだと思っていたのにクイズもできたのね。素敵」と思ってもらえるだろう。
どのくらい頑張ればいいのか。ゴールはどこなのか。
きっと、ゴールは「きっかけを思い出せないところまでやる」だと思う。
私が絵を描いている理由は先程も言った通り覚えていないし、きっかけも覚えてない。質問されたら曖昧な返答しか出来ない。
きっとこれが正しいのだと思う。
それくらい熱中出来ているし、続けれているということだから。
きっとギャップというものを持っている人もこれくらいの気持ちでやっているだろう。そう考えたら、簡単には手に入らない。頑張って、頑張って、頑張り続けた先にある1つのトロフィーに「ギャップ」というものがあり、それを貰ったことに自分は気づいていない。
もしかしたら今の私には何かしらのギャップがあるかもしれない。でも私はそれに気付いていない。無理に気づく必要もない。
私がこのnoteで伝えたかったのは「始めることに理由もいらないし、結果も何もいらない。道中で何かを拾えたら万々歳」という事だ