ゴミ箱の帰宅
昨夜は寝ようとしたところで大雨と雷の音で一旦目が覚めてしまった。窓に雨が打ちつける、いや打ちつけまくり。外に置いているゴミ箱があれよあれよと飛ばされていくのを家の中から見守ることしかできず、「もういいのだ・・・明日の朝探しにいくから・・・」と思い眠り、先ほど起きたので窓から外を見てみると、ゴミ箱が帰宅していた。ご近所の誰かに本当に感謝である。
昨日出演した朗読劇の舞台が無事に終演した。全てに感謝です。ありがとうございました。
終えてみて、今まで距離を置いていた演劇が急に目の前にあるという状態になり、昔めちゃくちゃ仲良しだったけどしばらく会ってなかった友人に再会したみたいな気持ちなので整理のために書く。
最近私は、朝起きる瞬間に仕事の不安なことがどばどば頭の中がいっぱいになって嫌な目覚めになることに悩んでいる。仕事も多少補充されてきたとはいえ基本的に人手不足なのと、「無理やん…」というスケジュールで何かを何かしらなんとかする(本当に無理な時はギリギリで謝る)みたいな感じなので、考え出したらきりがなく、日中は不安要素を意識的忘れるようにしている。しかし朝はすっきり頭が整理されて、「あれもやばいよね?」「これもやばいよね?」ということが駆け巡る。
その解決方法のために、朝目が覚めたら一旦ラジオを聞いて、思考をストップさせるように試みている。
息子は三歳になった。トレーニングパンツを買ってみたが、履かせるタイミングがまだよくわからない。トイトレという課題。子育てというものに、もっと向き合った方がいいんだろうなと思う時と向き合いすぎて言いすぎてしまう時と疲れて向き合えない時と色々ある。保育園への送り迎えは私がしている。帰りに公園に行く。そろそろもう暗くなるのが早いのですぐ夜になる。私は基本的に疲れているので、ずっと早く帰ろうと文句タラタラなのだが、文句タラタラなのが自分だけのようにも感じることがあり、他の親御さん方の余裕感があるように見える感じが(見えるだけで本当のところはわからないが)羨ましい気持ちになる。
もっと楽にできる方法はないのだろうか、毎朝不安にならない仕事だってあるんじゃないだろうか、気持ちの余裕が出る生活ができる方法だってあるんじゃないか、だけど収入はできればキープしたい、仕事を辞めたら保育園に行けなくなるから絶対に保育園に行かせ続けられるようにしたい、絶対に辞めない、そもそも仕事も特別なスキルが必要ない仕事ではあるから経験を積むしか何も残らない、っていうか子育てしながら働き続けていること自体が恵まれているのではないか、夫とご飯作りを1週間交代しているし、実家も近いし、それに、もっと楽にはなりたいけど、人生自体を楽したいわけではなくて、それに、求めたものを得て、得てみたら大変だと思うこと自体もわがままなのかもしれないとか、そんな感じで
そんな感じの
目の前の生活に混乱しているのに
その混乱に演劇を食い込ませていいのか・・・?という気持ちあり。ありつつ。
稽古、本番準備、本番、体が覚えていたと思う瞬間があり、20代前半の頃の「とにかく演劇が好き!」と自信を持って言えていた頃の自分のままだと錯覚する時間があった。
演劇は本当に豊かだと思う。本当に豊かだけれど、その豊かさを生み出すために生活を削るしかなくて、いつも苦しかった。体力ないのもあり。
だけど、生活も子育ても仕事も演劇も、たとえ細くても、できる方法を考えてみてもいいのかもしれないと思った。演劇が、その他すべてを解決することだって、もしかしたらあるかもしれないじゃないか。
次に向けて頑張りたいなと思っています。
久々にApple Pencilを充電しています。
短歌本も作りたいなと思っています。
溜まっているラジオ中国語も聞かないといけないなと思っています。
シルバニアのアザラシファミリーにも服を編みたいと思っています。
まあ少し欲張りすぎている気もする・・・
やはり体力増やすために運動するしかないのかもしれない。
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