住処を選ぶ。生き方を選ぶ。未来を選ぶ。/気まぐれ雑記(#暮らしたい未来のまち)
サケは故郷に回帰する
北海道に生まれ育っておよそ半世紀。不便を感じたこともあるが、愛着は深い。人生の記憶は、故郷の風景と強くリンクしているからだ。
少年時代を過ごした道東のマチでは家を出ると目の前はすぐ草原。100mほど離れたところに大きな松の木があり、近所の子供たちとはそこで待ち合わせて遊んだ。時には氷点下20度にもなった厳しい寒さも、今となれば語り草だ。
中学高校と札幌で過ごし、「都市」を知った。計画的に構築された街区。冗談のように積もる雪を、全力で排除して生活を維持するシステム。そこには古都のような雅やかさはなかったが、「機能美」と、この場所で生きていく、という「決意」があった。
いっとき北海道を離れはしたが、結局、というか必然的にまたここへ戻ってきた。サケは稚魚として暮らした川を忘れずに回帰するが、人間にももしかしたら、その仕組みに似たプログラムがビルトインされているのではないかと、時々思う。そのプログラムは「思い出」という名の心因的なもので、経済や環境などの物理的要因にしばしば阻害されるが、それでも生涯にわたって、きわめて微弱な電波のように人を誘導しつづける。
『財政破綻』の夕張に残る人
さて私が生まれたころはほぼ「第2次ベビーブーム」に合致する世代で、日本の人口がこれほどまでに先細っていくとは、思いもよらなかった時代。それが気づけば絵にかいたような少子高齢化。これという打開策も見受けられないままに、地方は急速に衰退している。
その最先端をひた走るのは、北海道の中央部に位置する夕張市だ。石炭産業の衰退、その後の観光業の不振などが響き、2007年には財政再生団体に指定された。最盛期に11万人以上いた人口はみるみるうちに減少。現在の人口は8000人を割り込んでいる。
いや、むしろ「まだ8000人もいる」というべきなのかもしれない。公共料金は軒並み高く、行政サービスは必要最低限。11校あった小中学校もそれぞれ1校ずつに統合。自然災害をも上回るほどの苛烈を極める環境の中で、マチに留まっているのだから。
数年前、移動販売車の同行取材で夕張を訪ねた際、かつての団地集落を訪ねると、1棟ごとの住人はわずかに数人。現在の夕張を『ゴーストタウン』と呼ぶ人もいるが、エリアによっては否定しがたい現実、というほかない。
だが、それでも。
マイナス要因がクローズアップされがちなこの地で、ささやかな希望を胸に、歯を食いしばって残る人たちがいる。その多くは「思い出」に奉ずる生き方を選択した人たち、とも言えるかもしれない。
「ポスト・コロナ」で見えてきた課題
「コンパクト・シティ」という構想がある。行政や交通の機能を重点エリアに集中し、住民の意志を重んじながらも段階的に集約することでマチを維持しようというものだ。しかしながらこの構想の背後には「行政の都合」が透けて見える。
近年は「スマート・シュリンク=賢い縮減」という言葉も聞こえ始めたが、こちらはコンパクト化を進める上でのコンセンサスを得るための「概念」のようにも感じられる。
だが心の芯に「思い出」を持つ人たちは、正論や損得勘定という物差しではなかなか動かない。そして、そうした選択は「人間らしく生きるための価値観のひとつ」として、やはり尊重されるべきと私は思う。
はからずも新型感染症のパンデミックにより、世の中の仕組みは「オンライン」へと大きく変わりつつある。行政サービスの大半は「オンライン」で施行可能であるのではないか。病院への通院も「オンライン診療」、銀行も、買い物(ドローンで配送)も、娯楽ですらもオンラインで代行できれば、移動の必要も減り、赤字の鉄路やバス路線を維持する必要もなくなる。
『人々を物理的に集約する』という構想に加え、『現住地を離れがたい人たちのためにあらゆるサービスをリモートで提供する』という可能性を並行して模索してもよいのではないか。
暮らしたい未来のまち
縄文時代の日本。海辺に住んでいた人々は『縄文海進』による海水面の上昇のために、内陸への移住を余儀なくされたという。『人口減少による過疎化』はそのような物理的要因でアネクメーネ=非居住地域が広がる現象ではない。
利便性が低下してもその土地に住み続けたいと願う人がいるのならば、そのためのテクノロジーは確保されるべきである。いや、この先はむしろ逆に、「不便」を求めて移り住む人が出てくるのではないか。
日帰りできないマチ、電力のないマチ、電波の届かないマチ。・・・そして、人口の少ないマチ。行政サービスが過剰ではないマチ。
残念ながらどのような手立てを打ったとしても、「少子高齢化」を一発で解消する特効薬はない。
多様なニーズを掘り起こし、それぞれの「理想の住環境」に自治体のくくりを超えて、マッチングさせる。「ひとりひとりの幸せにしっかりと寄り添う」ことの先にこそ、未来のニッポンがあるのではないだろうか。