「北斎の娘」をめぐる『謎解き』が熱い/気まぐれ雑記
日本に暮らす人間ならば誰でも、天才浮世絵師・葛飾北斎の名を聞いたことくらいはあるはずだ。
だが、葛飾応為(おうい)の名を知る人はどのくらいいるだろうか。
かくいう私も少し前までは、ドラマや小説の紹介記事で見たことがあったかな、という程度でさして気にしたこともなかった。
だが2年前にある女流落語家の噺を聴いて、大いに興味が沸いた。
林家あんこさんの創作落語「北斎の娘」がそれである。
そう、葛飾応為とは「北斎の娘」お栄の雅号。
あんこさんは、応為の筆であることが確定している代表作「関羽割臂図」と「吉原格子先之図」を足掛かりに、彼女の北斎の事実上の「共同制作者」としての痕跡を落語で表現しようという試みを続けているのだ。
江戸期の絵画を巡る謎は少なくない。
西洋のヴァニタス画のように多彩なメッセージが埋め込まれているともいう浮世絵。いったいなぜ、どのようなプロセスを経て、ブームは拡大・拡散していったのか。一世を風靡したはずの絵師・東洲斎写楽の正体も、不明のままだ。
こうした中で、ミステリーのひとつともいえる「応為の生きた証」を探る林家あんこさんのアプローチは進化=深化を続けている。
2023年6月の時点で「北斎の娘」は全3部作として演じられた。だが先日、2024年10月19日の口演では前・後編にまとめなおされ、登場人物の構成やせりふ回しに大幅なアップデートが加えられた。
熱心な新聞記事があったので、ここは引用しよう。
学術的な要素を含むテーマを「落語」に落とし込む作業。それはあんこさんにとっては「探る」「作る」「練る」「演る」という、それぞれに膨大なエネルギーを必要とする工程の積み重ねとなる。
だが、やるしかない。
これと決めた道ならば、進むしかない。
「創作落語」という土俵で勝負を続けるからには、ひとりでやりぬかねばならない。
あんこさんがそう感じているであろうという気配は、この日の口演から強く伝わってきた。
そしてその熱意は終盤の熱演で発揮され、私の周囲では、ほだされてすすり泣く声も聞こえてきたほどであった。
奇しくも、マンガの世界で「北斎の娘」を描く作品も誕生している。
ヤンマガWEBの「女北斎大罪記」である。
急死した北斎に成り代わり、娘である栄が人知れず偉業を成すというストーリー。
ここにも「美人画を書かせたら北斎も及ばない」といわれたほどの画力を発揮した応為=栄をめぐるミステリーが花開こうとしている。
どこまで大胆な脚色に挑むのか。応為の代表作そのものをマンガというメディアの中でどう表現するのか。
興味は尽きない。
聞けば、作者の「末太シノ」さんは、この日の林家あんこさんの「北斎の娘」口演に姿を見せ、終演後にエール交換をされたとのこと。
落語。
マンガ。
それぞれのステージで、己の道を切り拓こうというクリエイターたち。
その姿は時代と境遇に抗い、深く爪痕を残した応為=お栄の姿に重なるようにも見える。
「北斎の娘」は、まだまだ道半ば。
行く末を、しっかりと追いかけていきたい。