【小説】ラプソディ・イン・ブルー①/「#創作大賞」参加作品
札幌市の中心部を、一キロあまりに渡って東西に横切るように設けられている大通公園。一丁目から十二丁目まで大きく十二の区画に区切られ、夏はビヤガーデン、冬は雪まつり、と四季折々の彩りを見せる札幌の『顔』ともいえる場所だ。
直下の地下鉄大通駅は市内各所に枝を伸ばす交通の要所で、周辺には官公庁やオフィス街が広がる。日中は通勤通学の市民はもとより、国内外からの観光客でにぎわう人気スポット。
だが八月下旬の未明、午前三時のこの場所にはさすがに人の気配はない。
巨大な墓石のように静まり返る周囲のビル群の足元を、一台のタクシーのヘッドライトが東から西へと移動していた。
十五分前に目を覚ましたばかりの有村光毅(ありむらみつき)は、タクシーの後部座席から窓越しに誰もいない公園の様子を眺めていた。
緑がその濃さを深めている木々。
合間から見えるベンチ。
水の出ていない噴水。
やがてタクシーは交差点を右折して公園を横切り、とある建物の駐車スペースに滑り込んでいく。
「2250円です」
「はーい。じゃこれ、お願いします」
タクシーの運転手は事務的に金額を告げ、有村はかねて用意のタクシーチケットを手渡して降車する。
7階建ての建物の、明かりが点いている通用口から中に入ると、
「おつかれさまです」
当直の守衛と挨拶を交わして1階フロア―の薄暗い廊下を進み、ロックされた自動ドア入り口でカードキーをかざす。
その先は、道都テレビ報道部のニュースフロアーだった。
1958年創業の道都テレビは、長年に渡って北海道内で視聴率ナンバーワンを維持し続けている老舗テレビ局だ。
早朝と夕方に展開する生ワイド番組は、北海道民の生活習慣に浸透し、根強いファンを獲得し続けている。
看板番組「なまら早起きワイド」の放送開始時刻は午前5時。
有村はその番組のニュースコーナーを担当するニュースデスクとして出勤してきたのだった。
番組名の『なまら』とは北海道弁で『とても』を意味する言葉。道民には『なまはや』の愛称で親しまれて20年という長寿番組だ。
「おはよう」
フロアー内に散らばり、それぞれの作業を始めている番組スタッフらに声をかけながら有村はニュースデスク席に腰を下ろす。
「きょうもよろしく頼んます!」
と、声をかけてきたのは番組プロデューサーの坂本だった。
四十代前半の有村より三つほど年下の坂本は、学生時代ラガーメンだったという経歴がわかりやすいがっしりとした体形で、挨拶ひとつとっても体育会系の匂いが発散されている。
番組全体の構成を管理しているのは坂本で、有村はニュースコーナーの責任者だ。番組自体は制作部が作っているが、ニュース情報の扱い方や原稿の管理は専門性が高いため、報道部が受け持っている。
「きょうも何も起きないといいけどね」
対称的に細身でメガネという、文系らしい見た目の有村がニヤリとしながらつぶやくと坂本は、
「勘弁してくださいよ!リピートばっかだと客が逃げる、って局長がウルサいんすよ。発生モノ、お願いします」
と大仰に頭を下げて見せた。
「同情するよ。だが、こればっかりはな」
眉を寄せながら有村は、PCの原稿システムを起動する。
発生モノ、とは新規の事件事故のことを指す。
早朝のテレビ番組では30分に一度のペースでニュースコーナーを構えているが、新たなニュースネタがなければ必然的に前日夜までのニュースを繰り返して放送することになる。
視聴者は興味を失うし、原稿を読むアナウンサーも最新ニュースと同じテンションでは伝えられない。
もちろん、ニュースデスクとしても忸怩たる思いはある。
NEWS、というくらいなのだから新鮮なネタをいち早く伝えたい、という気持ちこそあれど、全道放送に値するものかどうかはその都度、慎重に判断しなければ後に禍根を残すことにもなりかねない。
番組冒頭のニュースコーナーまであと2時間足らず。
冒頭ニュースではデフォルトで8分のニュース枠が予定されている。その時々の話題性の高いニュースがあれば2分から3分程度の長尺でそれを扱うが、めぼしいものがなければ1分程度のいわゆる「ストレートニュース」を連打することになる。
有村は前夜までのラインナップから、システム上で項目を組み立ててゆく。
市内の繁華街・ススキノのラブホテル街で女性が猟奇的な殺され方をした殺人事件の初公判。これは前夜の素材を生かしてリード20秒のVTR2分。だが、その前に昨夜遅くに発生した歩行者×乗用車の死亡事故。深夜ニュースで一度放送しているが、新しめの発生モノだし、撮影したカメラマンのオフコメ(顔を出さない形式)のリポートもあるから、トップはこれからいこう。これはリード15秒のV1分。
有村は報道システムの中に蓄積された項目と原稿を確かめながら、朝一番のニュースとして視聴者の興味関心をできるだけ惹きつけるようなラインナップを構築しようともがく。
ふと目に留まったのは、翌年の四月に実施される予定の知事選挙に北海道出身の人気タレントが出馬を検討している、というニュースだった。
ヒノデアキラ、という名の30代後半のその男性は、もともとはお笑い芸人として活動していたがそちらでは芽が出ず、苦し紛れにYoutubeで北海道の食材を食べまくる『大食い』コンテンツを配信していた。その中で『夕張メロン、いくつ食えるか』というテーマで24時間メロンを食べ続けた動画があたり、バラエティ番組への出演機会を得て一躍、時の人となっていた。
そんな彼が東京で開かれた『北海道物産展』のイベントに参加して、サービストークとして知事選出馬への意欲を語ったというものだが、本人があまりにも真顔で熱っぽく語るので、その真偽のほどが芸能ニュース的なトピックになっていたのだった。
「なあ、坂本」
「なんすか?」
「ヒノデアキラ、冒頭ニュースの後半にいれてみようかと思って」
「あー、知事選のやつっすね。芸能ネタで扱うか迷ってましたけど、ニュースでいけますかね?」
坂本は自分のPCで番組の予定項目を確認しながら答える。
「いやさ、現職がなかなか出馬表明しないし、対抗馬の話もあんまりでてないじゃん。ちょっと煽って、知事定例で質問させたいんだよね」
「あー、それならニュースでやりますか。芸能ネタからは外しときます」
助かるよ、と言って有村はそのネタをニュース項目に追加する。
政治経済担当記者の経験がある有村は、選挙担当デスクという業務も受け持っている。半年後の知事選挙に向け、毎週金曜日の夕方に開催される定例会見で、出馬への意欲を語らせたいところだった。
有村がニュース項目表と格闘していると、寝ぼけ眼の若い男性がのそりと近づいてきた。
「おはようございます」
「おう今日は加賀君か、早いね。まだ寝ててもいいのに」
報道フロアの隅の奥まったスペースに設えられた宿直室から出てきたばかりの加賀康介は五年目の記者だ。泊まり勤務の記者は緊急の案件がない場合は深夜零時から午前四時までが仮眠時間となっている。
ギリギリまで寝ていてもかまわないのだが、三十分以上も早く起きてきたのには何か理由があるのだろうか、と有村は思った。
「いやー、キャップが小ネタでもいいからネット記事上げろってうるさいんですよ。二本ほど書きますんでチェックお願いします」
「メモ、なんか面白いのあった?」
メモとは北海道警察が記者クラブ所属の報道機関にリリースする『報道メモ』のことだ。殺人事件から小口の窃盗に至るまで、およそ事件と名の付くものの大半と重大な事故などについて発せられる公式情報で、深夜早朝の場合はこの『報道メモ』が取材の糸口になることは少なくない。
「資材置き場から銅線を盗んだ男が捕まった件と、路上強盗。銅線は被害金額一万程度、カツアゲは被害金額三千円でケガなしです」
「うーん、WEB記事だな。わかった、よろしく」
テレビニュースとして放送に至るまでにはいくつかの判断が必要となる。まずは世間の関心度が高い案件であるかどうか。取材に人を差し向けるにもコストがかかる。そしてリスクもある。泊まりカメラマンをひとつの現場に差し向けているうちに別場所で大規模な火災が発生した場合などで、出遅れてしまう可能性がある。
昨今ではテレビニュースで扱うまでのバリューではない事件や事故は自社のWEBニュースに掲載することになっている。映像を伴わないベタ記事でもそこそこのPV数をカウントすれば、その数に応じて収入が得られるケースもある。チリも積もればなんとやら。世知辛い時代になった、と有村は心の中でつぶやいた。
その十分後だった。
「有村さん、ちょ、これ見てください!」
少し離れたワークスペースで原稿作成に励んでいた加賀が、自分のノートPCを手に近づいてくる。
百九十センチ近い長身の加賀がどすどすとフロア横切ってくる姿は、水をかき分けて歩くブロントザウルスのように見えた。
「なに、もう書いたの?」
「いえ、ネットの投稿動画です。これなんだろ、サバ?いや、サバじゃねえ、イワシかな」
つぶやきながらPCを差し出す加賀に、どれどれと有村は覗き込む。
それは二十秒ほどの短い動画だった。
場所は開けた海岸線。
その砂浜には大量の魚が打ち上げられている。映像で見える限りでも百メートル以上先まで波打ち際から砂地まで夥しい数の銀輪が積み重なっている。魚体は十五センチ程度で、形は一見イワシのように見えるが定かではない。
中年男性らしき声が聞こえ、スマホでの撮影だろうか、映像は右から左へと百八十度パーンする。その先にも、同様の光景が広がっていた。
「これ、いつアップされてる?」
「五分前です」
「コンタクトして。投稿サイトに誘導して真贋確認。場所特定して朝ニュースでやろう」
「はい!」
「なんか見た目、小樽っぽい感じするなあ。カメラだそう。あ、坂本―!」
「発生モノっすね!ありがとうございまーす」
「礼はいらんけど、クルー貸して。多分小樽だと思うんだけど、イワシが大量に海岸に打ち上げられてる。LIVEーUで中継出さない?」
「やりましょう。知事選ネタよりはそっちの方が断然いい」
坂本は即座に周辺のスタッフを呼び集める。
放送局の前から天気中継をするためのカメラスタッフを簡易中継機材付きで現場に向かわせる手はずをとるためだ。
加賀はSNSで動画投稿者にコンタクトを取り、道都テレビ社の独自投稿サイトに投稿させる作業にかかっている。
新規の画像かと見えても、実は数年前のものだったり、そもそもフェイクである可能性もある。真贋を見定めるためには撮影時のメタデータが必要なのだ。何月何日、何時にどの機材で撮影されたものか。場所はどこか。スマホで撮影された映像にはこうしたデータが付随していて、それを確認するシステムに誘導する必要があるのだ。
「DMの返事、きました!銭函の海岸ですね」
「よし。先に小樽駐在カメラもだす。加賀君は投稿者のテレピックがWEBインタビュー頼む。それ取れたら原稿ね。リード15のV1分で冒頭に入れたい」
「間に合わせます!」
加賀はバタバタと駆けていく。
「有村さんッ」
坂本が有村を呼ぶ。振り向くと、
「中継アナ、橿原だしますんで、現地に記者も出してもらっていいですか」
「いいよ。道警キャップと話して誰か直行させる。冒頭、現着まにあうかな?」
坂本は壁掛時計を見る。午前三時五十分。
「ギリいけるでしょう、間に合わなかったら車の中でもリポートさせます」
「じゃあリード十五のV一分でまずやって、中継枠二分半くらい見て項目組むよ。そのあとにラブホ殺人。あといくつか積んどくけど、出来高で落としていこう」
「了解でーす」
つい数分前まで気だるげだった報道フロア内の空気が、勢いよく攪拌され始めていた。
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