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静かなる革命(2)林家あんこ「北斎の娘」/私の落語がたり

林家あんこと二人の「父」

創作落語「北斎の娘」を生み出した女性落語家・林家あんこ(以下敬称略)には、実父以外にもう一人『父』がいるのではないか。そんな話をしてみようと思う。
その前段として葛飾北斎とはどのような画家であったのかを、かなりざっくりではあるが、触ってみよう。

10代後半に浮世絵修業を始めた北斎は、30代半ばで師匠・勝川春章のもとを離れ、琳派(本阿弥光悦・俵屋宗達らが創始した京の町民アート)の流れを汲む「江戸琳派」の頭領として活動。しかし、10年ほどでその琳派からも離れ、独立独歩の道を歩み始めた。
浮世絵から得た『筆致』を、琳派の『構図』で生かす。
『葛飾北斎』としての土台は、こうして出来上がっていったのではなかろうか。

『神奈川沖浪裏』では、大きく曲線を描きつつ巻き上がる波と、人間の対比。さらにはその遠景に見える富士山のバランス。細かく波が砕けるさまをフラクタル的にあらわした独特の表現が強く印象に残る。

江戸期前半の絵画は、権力者のために描く狩野派のような『御用絵師』が権勢を誇った。しかしやがて町民のための文化が生まれ、『奇想』の花を咲かせてゆく。師宣に端を発する浮世絵しかり、琳派しかり、である。
北斎は年代的に『奇想』のネイティブ世代ともいえるのかもしれない。

奇想、という言葉で大胆に発想を飛ばしてみよう。

林家しん平、という落語家がいる。
…というか、北海道在住・50代の私にとって彼は『憧れのラジオパーソナリティー』だった。1983年から88年までの5年余り、STVラジオの深夜番組「アタックヤング」で絶大な人気を誇っていたからである。また、同時期には俳優として映画に出演するなど、落語家としては二つ目でありながらも、人気タレントとして活躍していた。
その後、1990年に真打昇進。以降は、奇想天外な新作落語を中心に人気を博している。
ラジオで磨いた『聴かせる話力』に、新作落語を組み上げる『緻密な構成力』。令和の世に繋がる『現代落語』の地平を切り開いた立役者のひとり、と言えるのではないだろうか。

そして林家しん平は、映画監督しての一面も持っている。

弟子の林家あんこは、助監督として手足となって師匠を支え、その飽くなきクリエイティビティを間近で感じることができたはずだ。

師匠といえば親も同然。
『時蔵の娘』である林家あんこは、その意味では『しん平の娘』でもある。

芸名、『あんこ』の由来について、しん平はこう記している。

芸名のあんこは正に和菓子の餡子からとりました。小豆は時間をかけないとよいあんこにはなりません。時間をかけて良い噺家になれとの思いです。
(中略)
練って練って、まさに餡子のように光る話にする!お客様が帰るときに、「北斎の娘って面白くて魅力的な人だったんだね」と思っていただけたら大成功!
創作落語「北斎の娘」はそうなる様に期待していますよ。

「北斎の娘」を聴く会 パンフレットより

お栄=葛飾応為が、それとは知らずに北斎のエッセンスを身に着けつつ、独自の表現へと発展させていったように、林家あんこも、師匠・林家しん平のクリエイティビティを継承しつつ、ひとつの作品を生み出したのではないか。

そんな妄想をしながら「北斎の娘」を聴くと、ワクワク感が倍増しますよ、ということをお伝えしたい。

次回、葛飾応為の作品「吉原格子先之図」の意味を深読みしてみたい。


(つづく)


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