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ショートショート「鬼百合と刀」/おせっかいな寓話


深山幽谷。一人の浪人者が無心に剣を振るっていた。

物心ついたころから道場に通いつめ、若くして師範代を任されるほどの腕を誇っていた男であったが、急な病で藩主が死亡。跡取りがいなかったことから藩は取り潰しとなり、一族郎党、家臣らは散り散りとなった。

「自分の剣の腕があれば、仕官の道などいくらでもある」

男は新たな主を求めて他流の道場を破り、他藩の剣術指南役を打ち倒しては自慢の腕を示した。だが、なぜか仕官にはつながらなかった。むしろ煙たがられ、わずかな金子を持たされては厄介払いされる日々が続いた。

「こちらから出向くのはやめた。鬼神の強さに達すれば、向こうから請われるに違いない。その方がこの腕を高く売れる」

熊が出れば熊を、天狗が出れば天狗を切り伏せる。その意気で男は山中の庵に寝起きし、己が剣技を研ぎ澄ました。

「もし、お武家様」

ふと、背後から声がした。振り向くと、どこぞの村娘といったいでたちの女が佇んでいる。

(気取られもせず背後を取るとは、さては人外のものか)

「お願いがございます」

「・・・申せ」

「父が臥せっております。森奥の泉のほとりに咲く鬼百合を煎じたいのですが、道中、物の怪が邪魔をいたします」

「ほう、物の怪とな」

「お武家様には手前どもの代わりに、泉のほとりから鬼百合をお持ちいただけぬものかと」

そのほうも物の怪であろう、とは言わなかった。娘の面影が、どことなく十年ほど前に亡くなった祖母に似ていたからかもしれない。

「よかろう。暇つぶしにはなるだろう」

男は娘に背を向けると、そのまま森の奥へと歩みを進めた。

ほどなくして、小道の先に奇怪なモノが姿を現した。直径六尺ほどの大きさの球体で、見た目はコンニャクの塊のよう。ふるふると揺れているところをみると生き物のようでもあるが、目鼻はない。

「やむを得んな」

男はひとりごつと刀の束に手を伸ばし、スラリと抜き放った。こちらの殺気を感じてか、物の怪の震えが止まった。と見えたその瞬間、それはいきり立った猪のように、男に向かって猛然と突進した。

間一髪。男は体をかわすと同時に、必殺の一撃で薙ぎ払った。手応えあり。振り向くと、物の怪には深手を負った様子はない。何事もなかったかのように再び男に突進する。

「なんとッ!」

さすがに声が出たが、紙一重で交わす。しかし、三度、四度と突進は続き、気づけば男は後退を余儀なくされていた。

「面妖な」

斬撃が効かぬとなれば、どうすればよいか。考えあぐねた男は、対抗策を練るため、いったん庵まで退くことにした。

「首尾はいかがでしょうか、お武家様」

庵の前には女が待っていた。

「うむ。きゃつがなかなか手ごわくてな。だが、案ずることはない。必ずや倒してみせよう」

「・・・さようでございますか」

男は庵に胡坐をかき、考え始めた。

(一刀両断とはいかなかった。ならば小さな塊に切り分けてはどうか。あるいは、火で炙れば焼け死ぬやもしれぬ。はたまた、かの物の怪の『核』の部分を貫けば、倒せるやもしれぬ)

そして二日が経過した。

「もし、お武家様」

庵で瞑想していた男がその声に目を開くと、入り口に女の姿があった。

「・・・そなたか。いろいろと試しておるのだが、思いのほか手間取っておってな。相すまぬ」

「いえ、お怪我はございませぬか?無茶な願いをしたばかりにお武家様がお怪我でもされましたら、お詫びのしようもございませぬ」

「いうな。怪我などはない」

「・・・失礼ながらお武家様、みどもの願いを覚えておいででしょうか」

「あの物の怪の息の根、止めればよいのであろう!」

「いえ、みどもの願いは『鬼百合をお持ちいただきたい』ということでございました」

「・・・」

男は無言のまま腕を組むと、再び目を閉じた。いつしか女の姿はなくなっていた。


翌日の夕刻、男は泉から庵への帰り道を急いでいた。手には鬼百合の花が握られている。庵の前で女が出迎える。

「お武家様、お持ちのものはもしや・・・」

「待たせたな。約束のものだ。持ってゆくがよい」

言いながら鬼百合を手渡す。

「物の怪はいかがなされました」

「はは、倒してはおらぬ。まだあの場にいるであろうよ。きゃつはこちらの殺気に反応するようだったのでな。それがしの大小はそれ、庵の中よ」

「お武家様、悟りを得られましたね」

「・・・教えてくれ、あの物の怪、名は何と申すか?」

「あやつの名は『理不尽』と申します」

言い終えた女はほんのわずか、口元をほころばせた。そしてその姿は、見る見るうちに霞のように薄れていった。


一か月後、男はとある藩の剣術指南役との御前試合に臨んでいた。明らかに腕前が上の男は、裂帛の気合で剣術指南役を追いつめる。と、次の瞬間、男は手にしていた木剣を放り投げ、大仰に土下座をしてみせた。

「ま、まいった!貴殿の必殺剣、振るわれでもしたらひとたまりもない。いや、これは拙者の及ぶところではない。ご無礼の段、平にご容赦を!」

突然のことに茫然としていた剣術指南役は、やがて取り繕うように言う。

「・・・き、貴殿もなかなかの腕前。拙者には及ばずともその技量、有用と見た。追って沙汰をいたす」

「は!」

頭を下げながら男は、山中で出会った女の、亡き祖母に似た面影を思い出していた。


<終>

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