「ライオンは草を食べない」/連作短編「お探し物は、レジリエンスですか?」
<「#この絵に物語をつけませんか」企画参加>
「おい、有村!キレイに抜かれてるじゃねーか。すぐ追っかけろよ!」
午前8時に出社した有村を出迎えたのは、北都新聞政治経済部のデスク・棚橋の怒声だった。棚橋は椅子から立ち上がると、有村に向けて両手で他社朝刊紙の2面を掲げて見せた。
「『カイザー沢崎、知事選出馬へ』・・・出馬『か』、じゃないぞ。『へ』、だからな」
「トバシですよ」
有村は自席に座りながら、冷静に返す。
「それにしちゃ、かなり確証ありげに書いてるじゃないか。」
「九分九厘、与党の観測気球です」
棚橋は掲げた新聞を簡単に折りたたみ、有村の机に放り投げる。
「だったらそのウラを取って来いよ、バカ。で『出馬せず』で出稿しろ!」
「へいへい」
有村は座ったばかりの自席から立ち上がり、肩をすくめながら部屋を出た。
〇〇〇〇〇
『カイザー沢崎』とは、地元のJ1サッカーチーム『北都グリフィンズ』のゴールキーパーだ。18歳のデビュー以来、グリフィンズ一筋19年。J2下位だったグリフィンズのゴールを堅実に、そして時には神がかったスーパーセーブで守り抜いてJ1へ押し上げ、いつしか『カイザー』の二つ名で呼ばれるようになった。だが2年前に椎間板を損傷し、手術後の経過が芳しくないため昨今は引退がささやかれている。
20分後、有村は県議会の与党会派・民自党県政会の議員クラブで田野倉幹事長を捕まえていた。
「幹事長、カイザーは正式にOKしましたか」
「我が会派が推す知事候補については、まだ選定中です。どなたが候補かも含め申し上げられません」
還暦を迎える田野倉は、茶をすすりながら、木で鼻をくくったような回答をした。狸親父とよばれる所以だ。
「今朝、他社にあんな感じで抜かれちゃったもんで、まいってます。なんかヒントでももらえませんかね?」
「それはご愁傷様。ああそうそう有村さん。あなたね、前にクジラが浜に打ち上げられた件で、ちょっと面倒なことを書きかけましたよね。漁業従事者が困るような記事には注意してほしいなあ」
「え、そんなことありましたっけ?いや、失礼の無いよう肝に銘じます」
「・・・まあ、きょうはこれでお引き取りください。私もこのあと会合がありますんで」
有村は苦笑いを浮かべながら、ペコリと頭を下げて議員クラブを後にした。
〇〇〇〇〇
午後8時。有村は北都市中央体育館の格技室前で、ぼんやりと佇んでいた。ちょうど合気道の教室が終わり、着替えを終えた10人ほどの生徒がどやどやと有村の前を行き過ぎる。やがて、格技室の出口から大柄の黒いジャージ姿の男が現れ、有村に目を止めた。
「きたな」
「ああ。少し、いいかい」
有村は『カイザー』こと沢崎壮介が武道の体の運びを学ぶために、週2で合気道を学んでいることを知っていた。
「短くな。同い年のいとこにも、答えられんことはある」
沢崎は10メートルほど離れた場所にあったベンチに座った。有村はその隣に、やや距離を置いて腰を下ろす。
「あれだろ?今朝の朝刊の」
言いながら沢崎はバッグからボトルを取り出し、水らしき液体をグビリと飲んだ。有村はその姿を横目で見ながら問いかける。
「・・・子供のころのナゾナゾでさ、ライオンのヤツ覚えてるか?」
「ライオン?なんだっけ」
「草原で一頭のライオンが、長さ3メートルのロープで繋がれてる。このライオンが草を食べられる面積は、ってヤツ」
「あったなあ。半径3メートルで、円周率が・・・とか考えちゃうヤツな」
「答えはもちろん・・・」
有村は知ってるだろ、といわんばかりに目配せをした。
「ライオンは草を食べない。・・・はは、懐かしいな」
「グリフィンは草を食べるのか。草ってのは『票田』の『票』って意味だけどな」
「・・・だからそれは答えられ」
「そんな答えを聞きに来たわけじゃないよ」
有村はベンチから立ち上がり、数歩はなれると沢崎に向き直った。
「守護神たる誇り高きグリフィンが、偽りの名声のために食べなれない餌を食うのか、ってこと。その餌を食うと、とたんに権力のペットに成り下がるんだ。俺は壮ちゃんのそんな姿は見たくない」
「俺は何も」
「きょうは仕事で来たんじゃない。明日の朝刊なんかくそくらえだ。俺は」
「だから聞けって、一平!」
沢崎は勢い良く立ち上がると、両手で有村の肩をつかんだ。それは荒々しいというよりも、興奮状態の有村を包み込むような仕草だった。
「チームのスポンサーに民自党の関係者がいるんだよ。だから無下にも断れない。それだけだ。グリフィンは黄金を守る守護神。俺だって守るべき黄金は持ってるさ」
沢崎は諭すように言うとポンポンと有村の肩を叩いた。
「お前は昔からそうだ。頭がいいクセに、肝心なところで計算ができない」
沢崎は振り返り、ベンチからバッグを拾った。
「まあ、あしたの朝のことは気にしなくていいと思うぞ」
気まずそうな表情の有村に言い残すと、沢崎は足早に歩み去った。
〇〇〇〇〇
翌朝午前6時すぎ、有村は電話の呼び出し音で目を覚ました。会社からだった。
「有村です」
「あ、泊まり勤務の稲堂丸です。昨日から今朝にかけてSNSで『カイザー』ってワードが急上昇してて、調べたら昨夜遅くに動画サイトで引退発表してたんですよ」
「え!」
「もちろん、スポーツ担当にも伝えたんですが、寝耳に水だって。沢崎選手は今後、グリフィンズの育成チーム『グリフィンズ・ガーデン』の監督就任が内定してるそうです。これで知事選出馬の話も消えましたね」
「・・・そうか。連絡、ありがとう」
電話を切った直後、手に持ったスマホに沢崎からのSNSメッセージが届いた。
『チームと相談して、知事選出馬記事はちゃんと否定しようという話になったんで、急だったが引退とガーデンの監督就任を発表した。このあとリリース出して、会見の手配もする予定』
『グリフィンも草は食わねぇよ。胴体がライオンなんだから、消化できねぇだろうがw』
少年たちの育成か。そう、伝説の守護神にはそれが一番似合っている。有村はメッセージを何度も読み返し、少し笑った。
<終>
ステキな絵なので、こちらの企画に参加させていただきます!