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M君がいる教室では嫌がらせされなかった

机の端に書かれた「付き合って」。学年で一番悪そうな君といれば、私も強くなれる気がした。いつも嫌がらせされてることは言わなかった。君と君の友達が周りにいてくれれば教室では嫌がらせされなかった。「頭良いくせに、おかしいよな」って笑ってくれるから勉強は頑張ったしクローズだって全巻借りて読んだ。自転車の後ろで背中に掴まりながらポイ捨てする君を「もう、だめだよ」って注意するのが好きだった。

14歳の栞を観た。客席は満員だった。最初に出てきた男の子、教室に一人戻ってきて文庫本を開くシーンがちょこっと映った。頭が良くてちょっとハブられたりしてるのかな、と思った。瞬時に見た目だけで判断した。でも全然違った。とても面白くてしっかりしている子だった。学校では何も興味ありませんって顔をしている女の子が、家だとにこにこしててすごく明るかった。私はまだまだ偏見の塊なのだと気付かされた。

14歳の私は今より分かりやすく酷かった。人を見た目と周りの評価でジャッジして、誰といれば自分の地位が上がるか見極めていた。私は女バスに所属していた。一度、男バスの数人が部活の時間に些細なズルをしていることに気付き、きつい言い方で注意したらその日以降男バスに嫌われた。私が男バスの横を通るときにコソコソ悪口を言われたり、私を見るなり息を止めたり嘔吐するフリをされたりした。ちょっとした嫌がらせだが、これが1年くらい続くとなかなか辛かった。女バスのメンバーは気付いていたのか気付いていなかったのか分からないけど、特に何も言われなかった。あの時は知られたくなかったので、何も言われないことにホッとしていた。
いじめと言えばいじめかもしれないが、いじめと認めたくなかった。家に帰って眠りにつく前に何度か遺書を書く妄想をした。私が万が一死ぬときには絶対やつらの名前全員分入れて、やつらのせいで死んだと遺書に残してやると思っていた。そしたらニュースになるかな?せめて本人はさすがに一生悔やむよね?やつらの親も泣くだろうなあ。そんなことを考えていると大抵いつの間にか眠っていた。私のクラスには本当に遺書を書いて黒板に貼る猛者もいたけど、ああはなりたくないなと思っていた。(ちなみに黒板に貼った翌日もそれ以降も普通に学校に来ていた。)


唯一の救いは、第三者がいる空間では嫌がらせをしてこなかったことだ。彼らは教室ではなるべく目立たないように必死だった。教室を牛耳るのは野球部とサッカー部。野球部は本気で結構危ないことをするような男子の集まりで、サッカー部はちょっとかっこよくてスカしている雰囲気だった。男バスの彼らは基本的に教室では端っこに集まり数人でぼそぼそと話していた。私は学年で2番手くらいの女子グループにいた。野球部とサッカー部の男子ともまあまあ普通に話せる関係だった。「教室では私はあいつらより上。だから大丈夫。あいつらが調子に乗れるのは部活の時だけ」そう思うことで少し楽になれた。

中2の秋頃、私は野球部の一番目立っているヤンキーM君と席が隣になった。M君はすごくガタイが良くて、授業中でもうるさくて、とにかく目立っていた。他の中学にも知り合いが沢山いるみたいだった。隣の席になり少しずつ話すようになって「こんな人と付き合ったら、私もう嫌がらせされないんじゃないかなあ」と思った。そのときM君は私もまあまあ仲の良いFちゃんと付き合っていた。M君はたぶんFちゃんのことが大好きだった。でもどうにかしてM君と付き合いたかった。中高生のころ私は男子と仲良くなりたいとき、その男子が好きなものは何か聞き、それを「貸して!」と頼むことで仲良くなろうとしていた。これが案外上手くいくので、中1から高3まで戦法は一切変わっていない。M君はクローズという不良漫画が面白いと熱弁してくれた。それ貸してよ!というと快諾してくれて、その日のうちにM君の家へ借りに行くことになった。部活が終わりM君の家を訪ねると、M君はいなかった。「ごめんねえ、友達とでかけちゃったみたい」とM君のお母さんが出てきた。お母さんが渡してくれたエコバッグに入ったクローズ全巻を抱えて一人で帰った。次の日「なんでいなかったの」とM君に聞くと、「悪りい、ユータ達とゲーセン行ってた!」と全然悪びれずに謝られた。でもM君はこういう人だからこそ付き合いたかった。自由で奔放で誰にも気を遣わない。気を遣わなくても誰にもいじめられないし、ちょっと図々しいくらいが逆に好かれている。私と真逆だった。私は先生や親に褒められたいから生徒会副会長になったし、目立っている女の子たちに嫌われないよう絶妙な距離感を計算していた。

その日の帰り道、女バスの友達Aちゃんに「M君のこと好きかも」と話した。Aちゃんは「じゃあ今から告白しに行こうよ!」と言い、「えー無理だよう」と言いつつも本当はAちゃんがそう言ってくれるのを期待していた。2日連続でM君の家を訪れた。今度はM君本人がいて、Aちゃんは気を利かせて帰ってくれた。
「ちょっとどっかいく?」と何かを察したM君は自転車の後ろに私を乗せた。「Fちゃんいるのに、いいの」とわざと聞く私に「まあいいの、最近なんか冷めてるし」とM君は前を向きながら答えた。しばらく自転車を走らせている間は2人とも無言だった。沈黙を破ったのは私のほうだった。
「私、Mと付き合いたいな」
「でも、知ってるじゃん」
「うん、だから待つよってこと」
「分かった、じゃあ待ってて、ぜってぇちゃんと別れるから」
その答えを聞けたとき、それまでの人生の中で一番興奮していた気がする。M君があんなに大好きだったFちゃんを振って私と付き合ってくれるんだ!!!私、奪っちゃうんだ!!嬉しい!!!完全に浮かれていた。

翌日からはもう付き合っているようなものだった。周りから見たら明らかにイチャイチャしていたと思う。机をくっつけて私の机にM君が線を引き、ここまで俺の領域なーと言い、はあ?勝手に決めないでよと言い合うのが楽しくて堪らなかった。Fちゃんとはクラスの中で一応同じグループだったけど、ぶっちゃけFちゃんと仲が悪くなろうがどうでも良かった。それくらい、M君と付き合うことは私にとって重大事項だった。あの告白から1週間後、暇な授業中だった。机の端をM君がトントンと叩く。叩かれた場所を見ると、「話したいことがある」と書いてあった。もうこれは、これはそういうことだよね??「なに?」と返すとM君は何分間かためらった後に同じ場所に「付き合ってください」と書いた。私は無敵になった。

理科室で「寒い」と言えばM君が学ランを貸してくれた。学ランを羽織りながら授業を受けていると学年主任の先生に怒られた。怒られ慣れていない私は少しびっくりして固まった。「俺が勝手に貸したのー、ごめーん」とタメ口で先生に謝るM君がキラキラして見えた。私、M君の彼女です!!!!怒られた分、そのアピールができたことが嬉しかった。今まであまり話したことのなかったM君の友達も、沢山話しかけてくれるようになった。「M頭おかしくてやばくない?」と聞かれて「うん、やばいよね。でも楽しいよ笑」と答えているときの私のドヤ顔は凄まじかったはずだ。男バスのやつらにとっては私がM君と付き合ったことなんてどうでも良かったみたいだ。相変わらずM君やM君の友達が騒いでいる教室では嫌がらせをしてこないし、体育館や廊下ではすれ違う時に大げさに息を止められた。
でも、もう私は無敵だった。眠る前はM君とメールしながら寝落ちするようになり、遺書のことは考えなくなった。部活の時間にひそひそ悪口を言われてもその後M君と帰れると思えば耐えられた。M君ありがとう、ありがとう。

ある朝、M君の様子が違った。直視できなかった。M君は坊主にしていたのだ。彼は野球部だったから当たり前と言えば当たり前で、ただ彼は常にちょっとフサフサな短髪だったのに。市内大会前だから気合を入れるためにさ、とかなんとかM君は説明しているが私の頭には全く入ってこない。実は私は坊主にした彼の姿にかなり冷めてしまっていた。部活終わり、いつものように校門でM君が待っていた。でもどうしても直視できなかった。M君の友達も沢山いる中で、「ごめん、、、今日一緒に帰れないかも、、」と伝える。「え、あー、まじ?」「うん。あ、でも雨降ってるから傘だけ借りてもいい?」となんと私は傘だけ奪い友達と帰った。理由も分からずいきなり避け始めた私に当然M君は戸惑っていた。そのままなんとなく気まずくなり、しばらく一緒に帰らず連絡も取らなくなった。M君から「どう思ってる?」とメールが来たことをきっかけに私とM君はお別れした。私の無敵期間は4か月間だった。

結局のところ私は自分が安全でいられるためにM君と付き合い、野球の大会のためにと気合いを入れて坊主にしたM君を「見た目がなんか無理」という理由で振っている。M君のことを自由奔放で気を遣わなくてわがままな人だと思っていた。それに対して私は真面目で遠慮深くて気が使える性格だと思っていた。でも本当に奔放で身勝手なのは私だった。

成人式で数年ぶりにM君に会うとFちゃんと復縁していた。私は地元の人と卒業以来集まることはほとんど無かったから全く知らなかった。M君は本当にFちゃんが大好きだったんだな。私はM君と付き合っている私が好きで、M君と付き合っていた。でもM君はちゃんと自分の気持ちを大切にしている。
嫌がらせをしていた彼らもさすがに卒業後は何もしてこなかった。たぶんあれは彼らの校内での娯楽みたいなものだった。成人式の二次会で顔を合わせても、特に話すこともなく謝られるわけでもなかった。あのとき遺書を書いて死ななくてよかった。

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