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なぜペーパードライバーになってしまうのか?

先日、文フリで買った『はこんでころぶ』(岡田悠)を読んだ。運転に関するエッセイで、初めての免許取得〜免許失効〜再取得まで描かれている。
とても面白いので、ぜひ!まだ買えるみたいです。
(私は一緒に文フリを回ったみゃーこちゃんに教えてもらって買った。みゃーこちゃんありがとう!)

教習所を卒業してから一度も運転をしたことがない生粋のペーパードライバーな私は、このエッセイにあまりにも共感し、感情を動かされた。そして、自分のペーパードライバー半生に思いを馳せたくなった。
思い出される涙涙の日々。運転に関する複雑な思い出の数々。助手席や後部座席でのやらかし。

数十万かけて免許取って、数年ごとに更新して、そこまでして、なんで運転しないの?なんでペーパードライバーになっちゃうの?と、理解できない方もぜひ読んでみてください。人間がどうやったらペーパードライバーになるのか分かる内容になってます。

8歳:遺伝?運転下手な母

私の母は高速道路に乗れない。怖いから。
地元の地形は超縦長なので、高速道路に乗れないと遠出がなかなか厳しい。それでも家族を楽しませようと母は奮闘し、片道2.5時間くらいかけてオール下道で遠出していた。私の脳には「高速道路は恐ろしい場所」と刻み込まれた。
兄弟3人がまだ小さかった頃、目の悪い弟のために眼科に強い神社へ行くのが毎年恒例だった。その頃はまだカーナビも普及したてくらいで(たぶん)、母は冊子のマップを見ながら下道を運転していた。
ある年、母は道に迷い、いつもは2.5時間で着くところ5時間かかった。車という密室に、2.5時間あれば着くと思っていたのに5時間も閉じ込められると、家族の雰囲気は最悪だった。
ちなみに母がバック駐車する数分前から完了するまでの間は、家族の誰も話しかけてはいけないという独自ルールもある。音楽も止める必要がある。怖いから。

16歳:助手席のプロを目指す

「きっとおなみは運転できないから、助手席のプロを目指しなさい」
先ほど登場した母は、高校生の私にそう教えた。たしかに私はゲームや運動すべて苦手でとにかく鈍臭かった。はじめてやることを覚えるのが苦手で、しかも諦めが早かった。悔しいからやってやる!とはならず、はーいやっぱりできないわー。とすぐに投げ出す子どもだった。だから母は私を運転に向いていないと思ったのかもしれない。
助手席のプロ、とは。運転手を最大限に手厚くフォローできる人のことだと母は言う。「ペットボトルを渡すときはキャップを外してペットボトルの底を持って渡す。そうすれば一番掴みやすいところは運転手が持てるでしょ」「ナビをやるとか、飲み物を買って持って行くとかも大事だから」と。
助手席の英才教育は珍しい。高校生の頃から教わっていたので、習得は早かった。それと引き換えに、あぁやっぱりこれだけ長く私を見てきた母がいうなら私って運転苦手なんだろうナァ.......と、ハンドルを握ったこともないのにじわじわ確信を強めていった。

18歳:道を間違えて姉に叱咤される

「助手席のプロ」への道を着実に歩んでいた私だったが、姉という壁が立ちはだかった。
姉と母は運転方針が相容れなかった。母は超慎重で、姉は運転が上手な方だったのでスイスイ進んで、少し危なかっしいところもあった。よく2人が言い争いになっていて、ただ乗っているだけの私はぎゅっと口を閉ざしていた。あまりに口論が勃発するので、姉は母に助手席へ座ることを禁じた。母、助手席出禁。
姉の運転は速いし滑らかなので、助手席の私が行う道案内が難しかった。なぜナビを使わないのか?実は、当時我が家の車についているナビは後付けしたもので、あまりに不安定なので運転中に使うと危ないということになり、置物と化していた。そこで、助手席に座った人がスマホのナビを見ながら口頭で指示を出すというスタイルに落ち着いていた。しかし私は指示を出すのが遅くて、たまに道を間違えることもあり、そのたびに姉に怒鳴られた。1,2回の話じゃない、100回くらい。運転席だけでなく、助手席すら怖くなった。そのせいもあってか、私の地元では18,19歳で免許取得するのが普通な中で、私のスタートは大幅に遅れた。(詳細は後述)

19歳:寝ているだけで友達に迷惑をかける

地元の大学に進学した。大学生になると、みんな車で出かけるようになった。ラーメンを食べに行くだけでも車。免許を持っていなかった私は、みんなの腰巾着のように着いていき色んなところへ連れて行ってもらった。
大学2年生の春、すっかり仲良くなった同じ学部のメンバー4人で少し遠くまでお花見へ行くことになった。私以外の3人で運転を交代し、私は後部座席でへらへらしていた。助手席のプロとして、助手席ではもちろん運転手の横で寝てはいけないと自分を律していたが、後部座席ではその限りではなかった。後部座席は緊張感が無い。思い切り寝てしまった。
ハッと目を覚ますと、パトカーが近くにいた。やばい!と急いでシートベルトを装着したけど手遅れだった。私はシートベルトをせずに寝ていたのだ。重罪すぎる。おそらく運転していた友達も、寝ている私を起こしづらかったんだと思う。点数を引かれた友達に謝り倒すも、そのあとしばらく気まずい空気が車内に流れつづけた。
桜を見ても、綺麗だなぁとは思えず、友達に迷惑をかけてしまった友達に迷惑をかけてしまった友達に.....と後悔の念がループしてしんどかった。こういう不注意さも、運転に向かない特性の一つだろうなぁと、これまたハンドルをまだ握ったこともないのに考えていた。

21歳:地元では遅めの免許取得

私は、雑さレベルと不器用さの波長が合う人とは仲良くなれる。大学時代の親友であるミノリは、その一人だった。
私とミノリは、免許ね〜取らないとね〜....と言い合って、みんながもう取り終えてる大学3年生の秋ごろにようやく教習所の申し込みをした。ちなみに、私の地元では「免許を取らない」という選択肢がほぼほぼない。バイト、サークル、免許。これが大学生の3点セットだった。
せっかくミノリと一緒の教習所に同タイミングで通うことにしたのに、私もミノリも毎日の講習に疲れ果てて、待合室ではお互いに無言で机に突っ伏していた。それぐらいしか教習所でのミノリとの記憶がない。
「雑さレベルと不器用さの波長が合う人とは仲良くなれる」と書いたけど、大体の場合、友達の方が私より少し器用で、私がワースト1で不器用なのだ。ミノリもそうだった。私より1,2歩先を進んで行き、私が仮免不合格となったところで圧倒的に差がついた。ちなみに私はS字カーブでガッツリ道から落ちて一発不合格になった、と思う。運転全体の記憶が薄い。

21歳:涙で進行方向が見えない

なんとか2回目の仮免で合格し(どうやって合格したんだろう、私は本当に運転していたんだろうか、覚えていなさすぎる)、路上に出た。
路上は、さらに過酷だった。確認することがとにかく多い。安全確認が雑という理由で、助手席の教官に怒られた。まっとうな理由だけど、怒り方がとにかく怖かった。がーーっと詰められて、涙が出てきた。止めなきゃ止めなきゃ、泣いてるとバレたらだめだ。そう思うほど、逆に涙が溢れて止まらなくなった。
そのときは精神状態が正常じゃなかったんだと思う。絶対にもう泣いてることはバレてるから意味無いのに、なぜか"涙の粒を落とさない"ことに全力を注いだ。そうするとどうなるか。試したことのある人は分かると思う(いないだろ)。下瞼に涙が溜まりまくって、進行方向が滲んで何も見えなくなるのだ!!!!!本当に本当に怖かった.........。
運転の記憶は95%頭から抜け落ちているのに、このことだけはボンヤリ覚えている。大声で怒られてるし前が見えないしで、逆に感覚は一番鋭くなっていた気がする。己の感覚のみで運転していた。運転なんてもういやだと強く思った出来事だった。
その後、なんとか無事に免許を取得した。(なんでできた?どうやって?)

22歳:速度違反と衝突事故(by 元カレ)

そんなこんなで、教習所を卒業しても免許を取っても全く自分の運転には自信がなかった。だから当たり前のように一度も運転をしなかった。
相変わらず友達の腰巾着になり、クラウンに乗っていた彼氏の腰巾着にもなり、車社会をなんとか生き延びていた。
当時の彼氏と県外へおでかけした。あるYouTuberのイベントに向かっていて、時間ギリギリだったので、彼氏は高速を飛ばしていた。私はそのときすでに教習所で学んだ記憶を脳内から抹消していたので、あまり何も気にしていなかった。おでかけから帰ってきた数日後、彼氏の家に封筒が届いた。オービスに撮られていたのだ。驚くことに彼氏は一発免許停止の速度違反をしていた。私も気づけよって話ではある。車を失った彼氏は、しばらくの間、バイト先まで1時間かけて歩いていた。
大学近くのスーパーに行くのも、車だった。歩いて行ける距離でも車で行くのが車社会なのだ。ある日、彼の運転でスーパーの駐車場から道路へ出たとき、道路を横切る車と90度の角度でバンッと衝突した。幸い怪我はなかったものの、そのときは目の前の光景がスローモーションで流れた。怖かった。
こういう速度違反や交通事故があるたびにめちゃくちゃ落ち込む彼を見て、やっぱ運転ってこえええぇと震えた。


ここまで、私がペーパードライバーになった理由(言い訳)をつらつらと述べてきた。運転しない理由を、少しは理解されると思う。
でも今は、少し運転したいかも.....?という気持ちになっている。もし私にもできるなら、してみたい。

そう思ったのは、最初に紹介した岡田さんのエッセイを読んだことがきっかけだった。そして最近、初めて電動自転車をレンタルして大きな道を走ったときにも、えっ自転車でこんなに気持ちいいなら車だったらどうなるの...?と感じたことも大きい。

ペーパードライバー講習を調べてみた。意外とそれほど高くなかった。でも電動自転車ですら、車の流れを見て危険を察知して回避しながら大通りを運転することには怖さもあった。まだどうするかは分からないけど、とりあえず運転の記憶を思い出してみるという一歩は踏み出した!

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おなみ
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