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彡柳句集『彡柳百句』
彡柳句集『彡柳百句』のZINEを発行した。プスプス市春の陣2024へ委託販売する。
彡柳とはなにか
彡柳は川柳っぽい。十七拍だ。でも絶対に十七拍だ。たとえば彡柳にはこんな句がある。
靴ひもはなぜ蜜蜂の音なのか #彡柳
— onaï kōtarō (@onaikotaro) April 1, 2024
これは川柳だ、と思う人もいるだろう。正解だ。でも私は彡柳と主張する。
自分が川柳という道具を使ってどういう音を出せるのかを探る過程でときどき五七五から外れることもあるのさ。
とされる川柳とは違い、五七五から外れても彡柳には十七拍を死守する謎の縛りがある。その縛りが今後、謎の洗練を生むかもしれない。ちなみに撥音・促音・長音は一拍、拗音は〇拍として数える。外国語は仮名に転字して拍を数える。
川柳とはちがうの?
川柳は柄井川柳さんの名前がジャンルの名前になった。それからさまざまな川柳ジャンルが分岐しているように門外漢には見える。新聞川柳・時事川柳・サラリーマン川柳や近代川柳 modern senryuに現代川柳 contemporary senryu、それに新川柳や新興川柳や「NEO川柳」など。いろいろあって楽しげだ。でも
「川柳は遊び」という軽い意味のとらえかたはしないでおきたい。
とちょっと怖いことも書いてある。そんな誇りある川柳ではなく遊歩者 flaneurが軽く口ずさむような軽い形式として彡柳を私ははじめた。三柳ほど寝そべってはいないけれどやや傾いている彡柳として、ジャンルのような他を排斥する膜を持たない詩歌のありかたとして。
空が来て何を書いてもいいと言う/なかはられいこ
彡柳をはじめたい人へ
彡柳をはじめたい人は、かのあたらしいZINE『彡柳百句』を読め、とは言わない。もちろん川柳の句集や入門書やアンソロジーに逃げても構わない。なにしろ十七拍というルールしかないのだから彡柳をはじめる人は自分が新しく彡柳を創始する心積りでやってもらいたい。そして、彡柳は言語哲学の成果の上にうまれ、いまだその上にあるのでそこらへんを読むといいだろう。
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特にウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、略して『論考』は理解しなくても一度は目を通すといいだろう。『論考』は決定的な論理的破綻があるのだが彡柳創作ではまだまだ有効だ。
動的に推移していく言語の、いわば時間的な断面図――ある時点における言語使用のあり方を捉えた議論――として十分な有効性をもっています。
彡柳のような「時間的な断面図」を切り取り像にする短詩文芸にとって『論考』はまだまだ参照する価値があると私も考える。たとえば
二・一二 像は、論理空間において、状況を、すなわち諸事態の成立・不成立を表す。
像・論理空間・事態などの用語が難しいけれど、像は彡柳、論理空間はなんでもありうる並行世界のすべて、事態は彡柳の描こうとする状況、そして不成立の方は成功しつつある彡柳とも言える。こうしたウィトゲンシュタイン用語の理解については『経験論から言語哲学へ('16)』放送大学教育振興会や古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』NHKブックスがわかりやすいし、放送大学『記号論理学('24)』も言語哲学の基礎的な理解のためにおおきな扶けとなる。
でもとりあえず十七拍、まずは十七拍だ。
プスプス市春の陣2024
プスプスbyZINGは静岡県浜松市中区成子町56ハトビル101号室(一階奥)にあるリソグラフの印刷アトリエだ。新幹線も停まる浜松駅から15分くらい歩けば辿り着く。そこで2024年4月20日(土)・21日(日)にZINEマーケット、プスプス市春の陣2024が開催され、手づくりのZINEが販売される。そこへ彡柳句集『彡柳百句』を委託販売する。残部があれば郵便短歌集『ワセリン』や多行形式句集『龠』も置いてあるかもしれない。