本と暮らす、本に暮らす Enjoy foreign literature three times!
英米児童文学が好きな私。幼少時に読んだのはもちろん翻訳だが、中学高校で英語を学ぶにつれ「原書で読みたい」という気持ちがほのかに芽生えた。
実現のきっかけは映画。映画嫌いながら「これだけは」と映画館に足を運んで観たケヴィン・サリヴァン監督、ミーガン・フォローズ主演の"Anne of Green Gables"。プリンス・エドワード島の美しさに感激し、ますますこの作品に惹かれた高校一年生の私。ある日書店でミーガン・フォローズのアンが表紙を飾る "Anne of Green Gables"のペーパーバックを目にして、思わず購入してしまった。勢いに乗ってその晩から読み始めたものの、残念ながらすぐに挫折した。一文が長く、単語も知らないものばかり!「児童文学だから読めるだろう」という考えは浅はかであった。
二度目の挑戦は社会人になってから。「やはり読みたい」と思って再度開いてはみたものの、また挫折。英語を使わない日々を送るうちに、私の英語力は高校生の時以下になっていた。そのことに呆然として終了。
そして四十代も後半、ペーパーバックを購入してから約三十年を経て、三度目の挑戦である。きっかけがあり英語を学び直したいと思った私は、独学で少しずつ学習を開始。併せて「二度も挫折した"Annwe of Green Gables"を五十歳までに読み終える」という目標を掲げ、隙間時間に辞書を引き引き、という生活を始めた。今回はしぶとく続けた。そして気が付いた。原文で読む作品世界は翻訳より美しい!まだまだ大したことのない英語力の私でも、はっきりと感じられた。それまで幾度となく読んでいたのは新潮文庫の「赤毛のアン」。村岡花子さんの訳文が素敵で、「これぞ私のアン」と信奉し暗記するほどであった私にとって、これは新鮮な驚きであった。作品は書かれた言語で読んでこそなんだ!
魅力を知るとわくわくしてきて、どんどん読みたい気持ちが募る。しかし、とにかく時間が無い。そこで取り入れてみたのがaudio bookである。本好き、活字中毒気味の私は、小さい頃から自分で読むのが一番、音読というのはまどろっこしくて嫌なものだと思っていたが、この際仕方がない。ところが、ここでもまた発見があった。原文ですらすらと読まれる "Anne of Green Gables"は、すらすらと頭へ流れ込み、私の中にわーっと作品世界が広がったのである。作品を味わうのに流れとリズムがこんなに大切だとは!これには幸運な出合いもあった。私が聴いた"Anne of Green Gables"を音読してくれているのはKaren Savageさん。彼女の音読は登場人物を見事に演じ分け、活き活きとして素晴らしいのだ。感動した私は何度も何度も繰り返し聴いた。彼女の声とリズムで脳内再生できるくらい聴いて、これこそが「私の真の赤毛のアン」だと確信した。そしてさらに驚いたことに、聴き込むにつれ、ペーパーバックを読む作業が不思議なほどすんなりと捗るようになったのだ。耳から文が入っていることが、こんなに助けになるとは!考えてみれば日本語で読む際は無意識に頭の中で音読している。その作業をaudio bookの耳の記憶が助けてくれているようなのだ。そして五十歳の誕生日前夜、ついに原文を読了!
外国の文学作品をaudio bookで聴くという思いがけない楽しみを発見した私。その後ほかの作品も次々と聴き、お気に入りの読み手も新たに発掘して、今ではaudio bookはすっかり家事の友である。大好きな英米児童文学を翻訳で楽しみ、音読で楽しみ、そして原文で楽しむ。一冊を三度も楽しめるとはなんて嬉しいことだろう!今は忙しくてaudio bookが中心だけれど、時間が出来た折には耳で覚えた作品をすべて原書で読みたい。愛読書たちのペーパーバックを検索しては購入し、眺めて一人笑顔になる最近である。
ところで、数冊の英米児童文学を原書で読んでみた今、英語力の高くない私だからこそ実感することがある。児童文学と一括りに言っても難易度はいろいろで、それは出てくる語彙を見れば一目瞭然ということ。中でも"Anne of Green Gables"は使用語彙からしても、先にも述べたが一文の長さからしても、児童文学というより大人のための文学だと改めて思った。日本ではかなり簡単に翻訳されたものを読む子供が多いと思うが、私にとってこの作品の最大の魅力は詩のような自然描写である。児童図書版しか読まれたことのない大人の方には、ぜひ全文を読むことをお勧めしたい。翻訳でも十分にその良さが味わえると思う。
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