3-2-3 「力」無き教育は、まさしく無力である(教育について)
お金を使うには利益が必要だ
そんなわけで、人間は、適した力が無いと幸福にはなれませんし、誰も守れません。
力が無いと誰も話を聞いてくれません。どんなに立派な理想や目標を持っていても、そこにたどり着くことはできません。(この記事があまり読まれないように。笑)
例えば将来の1ビジョンとして、ベーシックインカムで1人に月20万円が手に入るようにする、もしくは月10万円でインフラと福祉と医療を充実させると、かなり多くの人間が幸せになれます。(北欧では近いことがおこなわれていて、成果も出ています。ただし、自国だけでやっていても、力が無いといずれ他国に潰されてしまいますが)
けれどもそのためには、日本全体が、人類全体が、莫大な利益を得なければなりません。
無い袖は振れません。ただ借金が嵩(かさ)むばかりです。借金の嵩む先は破綻です。当然です。
だから日本は、人類は、莫大な利益を生産できるだけの力をつけなければならないのです。
資本主義はこれからの時代にフィットしない
ロボットやAIなどの人力以外の手段を使い、生産性を向上させて、人口を抑制すれば、今よりグッと人間達の労働時間を減らすことも可能になりますし、利益自体も増えるでしょう。
ただ、一点。
今のままの社会では、そのようなシステムを扱える一部の方だけがめちゃくちゃ儲かり、他の人は働き口もない状態になります。この資本主義社会における貧富の格差は、なるべくしてなっているもので、技術が進歩すればするほど、さらに広がっていきます。
現在の資本主義の到達予想地点は、そのような場所です。
現在は、僕の提唱する「新世界戦略」に対して、習慣や自分中心の欲求で反対する「感情」で流される方にとって一番幸せになりにくいゴールに向かって進んでいるのです。
力のある人にとっては、どちらの社会でも楽しく生きていられます。
力のない人は、力のある人の視点で考えることができないので分からないかもしれません。
ただ、今のままではヤバイ。
これだけは、覚えておいてください。
生きるのは自分の責任
そして、僕たちの目指すべき理想の社会は、100年経つ頃にようやく形として見え始めてくると思います。
しっかりと形になるには、後500年かかるかもしれません。
だとしても、今現在であっても、あなた自身に力があれば、あなた自身の幸せにとっては何も問題はありません。
他国のように無理やり自由を縛りつけられるのならともかく、今の日本で何かのせいにしているのなら、逆に一生幸せにはなれません。
自分の人生なんて、極論を言うと全部自分のせいです。
そもそも自分の責任で生きていかなければ、自分の幸せなんて手に入れられるはずがないじゃないですか。
ただし今現在の教育のやり方では、「理想と力がないと幸福にはなれない」ということが分かるのはかなり難しいと思います。よほど頭が良いか、勉強しないといけないという洗脳をされていなくては、どちらを手に入れることもできません。
目的の曖昧な教育委員会
そういえば以前、橋下徹さんと、教育委員会の方の会議で、子供達を連れてきて、「防衛費にお金かけないで、教育費にお金をかけてください」と訴えかけさせていたことがありました。
この動画は、他にも教育にとって良い点と悪い点があったのですが、それはおいておきましょう。
一番、目に余ったのが、「子供を持ち出して、情に訴えかける」なんて戦術しかとれない教育委員会です。
彼らに、一体どんな教育を期待すれば良いのでしょうか。
もちろん、教育委員会の方も、きっと、自分たちの精一杯をおこなっているはずです。
ただ、目的が曖昧な現状の教育には、いくら予算をつぎ込んでも全く意味はありません。
つまり、目指すべきゴールがないんです。
「力」をつける教育にしないから予算が足りなくなる
日本の教育は、個人個人が徹底的に力をつけられる教育をおこなわなければなりません。そして、その中で、理想を探すことが出来る教育をおこなわなければなりません。
そうすれば、教育費が足りないなんて泣きつくこともなく、教育を得て力をつけた人間たちに資金を調達してもらうこともできたはずです。
力をつける教育が浸透していたら、分散投資もできますし、お金にビバレッジをかけて更に増やすことだってできます。
5年前の動画らしいので、勉強さえしていればクラウドファンディングも知っていたはずです。
教育費を稼げて、同時に、子供たちにとって勉強になる体験を与えられる戦術なんて、それこそ、いくつも思いつきます。
教育委員会の内部の方が理想的な人間かどうかが試される時
使えない学問を勉強させる。これが、現在の教育です。
英語だ、ヒップホップだ、プログラミングだ。
後から付け足していっても、そもそもゴールが見えていないので、力なんてほとんどつきません。
ただ、本当に、ほんっとうに、教育委員会の方がサボっているとか、馬鹿だとか言っているわけではありません。
今までは、教育委員会の方も、そういう教育を受けていたので、そういう発想しかなかったのでしょう。
無い袖が触れないのは、力に関しても一緒です。これから変えていけば良いのです。
その柔軟性を、教育に携わる方がどの程度持っているのか。勉強はたくさんしてこられた方たちだとは思いますので、期待しています。
それでは、どのようにしたら、力をつけて、理想に向かう教育ができるのでしょうか。
次の記事では、そのことに関してお話していきます。
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