3-1-3 差別とはなにか(差別をなくす)
仕組みを変えなけば世界はこのまま千年経っても変わりません。お互いの意見が分からずに進んでいくだけです。
では逆に、仕組みを変えると、差別は無くなるのでしょうか。
少なくとも、ただ感情的に「差別を無くそう」と叫んでも、何も変わりません。解決する策についてお話します。
ソフト&ハード
差別を無くす仕組み。これは、人は変わらないという前提で仕組みを作る戦術と、人自体を変えていく仕組みを作る戦術があります。
家庭用ゲームを考えてください。新しいソフトが出るだけでなく、ゲーム機本体もバージョンアップしますよね。
プレイステーションを見るとわかるように、色々なソフトが出ているだけでなく、本体自体も、現在は4まで出ていますし、今度は5が出ます。いつかは6も出るでしょう。
それと同じです。ソフトとハード。両方のバージョンアップが大事なのです。
力と力のぶつかり合い
まずは、人の根本は変わらないという線でのお話です。
例はなんでも良いのですが、ちょうどこれを書いている時、世間では、黒人差別(BLM)についてのデモが起こっています。これを題材にして、人はどうしたら差別をせずに済むのか、について考えましょう。
僕「個人」としては、差別は動物なら全員あるものだと思っております。ただ、「感情」としては、こういう事件が起きて、単純に悲しいな、と思います。
けれども「情報」として、一口に黒人差別反対といっても、単に歴史的な問題だけで判断できるモノではありません。
実際に、アメリカで凶悪犯罪を起こしている人種は、圧倒的に黒人が多いのです(調べてみてください)。
しかも、アメリカは銃社会なので、犯罪が凶悪になりやすいです。日本と違って、死と隣り合わせなの事件が非常に多いです。
そうなれば、警察官だってももちろん怖がります。その結果、やり過ぎてしまう可能性は上がります。
最近は、日本でも、警官による発砲が増えてきました。日本の、暴力団(反社会的勢力)を取り締まる警察の方々は、まるで暴力団のような口調で、暴力団のような動きをします。油断したら、なめられるからです。
「暴力には、暴力で対抗するしかない」。これが、獣に対する防衛手段です。
情報操作のせいで何も分からない
警官に、何もしていない黒人が殺された。
こんな話、「感情」的には、「ふざけんな、この野郎」です。けれども、僕たちは、短い動画を見た、それだけでしか判断出来ません。
この警官が、本当に黒人差別をしたのかどうか、実際出てきて、今までの経歴や話す内容や話し方を聞いてみないと、何とも判断のしようがありません。
そもそも、アメリカは、銃社会という仕組みが問題です。警官が殺し、殺される事件も、データを見ると、ニュースになっていなくても、頻繁に存在しています。
まぁ、これだけ連日、同じような事件が続いておりますし、アメリカで、黒人男性が警官に殺される割合は1000人に1人もいるそうなので、「単純に黒人が嫌いだ」という差別の可能性も高いような気は「感情」としてはあります。けれども、「情報」としてはよく分かりません。
みんな差別をしている
そして…、えーと…、「白人許せまじ」という感情が昂っているところで非常に言いにくいお話なのですが、外国各国で、黒人から、日本人や中国人が差別を受けた、というお話は、それこそ山のようにあります。僕も実際、受けたことがあります。(もちろん、海外に行くと、黒人以外からも差別を受けることがあります)
そして、これだけ人種差別が少ないと思われる日本でも、無邪気に、白人や黒人や中国人を差別している場面を、実際、何度も見かけております。アメリカンスクールの友達で、差別を受けたことがないなんていう方のお話は、逆に聞いたことがありません。
差別の正体
結局、差別とは、白人が黒人を差別しているとかではなく、単純に、力の強い特定の集団が、他の特定の集団の気持ちがわからない結果という、ただ、それだけなのです。
「あいつ、ブスだなー」も「あいつ、貧乏だからなー」も差別の一種です。日本で、年長者や先生が、初めて会った子供や年下や女性に対して敬語を使わないのも差別の一種です。金持ちや雇用者が、貧乏人や被雇用者に偉そうなのも差別の一種です。弱いと思って舐めてるんですよ。自分中心の欲求からきているのです。
差別は、悪いものでも良いものでもありません。ただ、あるもの。それだけです。
問題なのは、差別があることではなく、差別によって、「全人類の幸福」を目指しているのに、力のあるモノが、力のないモノに、力を行使することです。