3-1-8 世界全体のルール(差別をなくす)
こうして緩く世界統一し、国の中に、さらに小さな別の価値観村を作るのならば、世界全体を通した人間に対する統一ルールがなければなりません。
今回は、どういう統一ルールがあるべきなのか、というお話をします。
自由とは何か
やはり僕たちは、極力自由でいたいものです。自由でいたくない方には、縛られて生きるという自由も選択肢にあると生きやすいです。(考えながら生きるのは結構大変な作業ですからね)
ただ、「緩く幸福に」の中には、さすがに完全な自由を入れるわけにはいけません。ただの自由な人間は獣です。
入場者が何万人もいるフェスの裏口に大勢でやってきて強行突破するとか、酔って運転するとか、街で人を無差別に殺しまくるとか。
最近では、黒人差別反対のデモで、デモ行進の近くにあるお店のショーウインドウを割って商品を盗んだり、銅像を引き倒したりなんて事件もありましたね。
自由の定義
それは、動物としては自由かもしれませんが、社会に生きている人間という「役割」の中では、自由ではありません。
それをやっても世界の利益にはならないですし、社会のルールで生きようとしている方々にとっては、自分たちと同じ外見の獣が歩いているのと同じです。
社会に生きる一番の理由は、安心と便利です。人狼がうろついていたら、安心して生きられないじゃないですか。
社会で生きているのに、自分と無関係な多数の人間に迷惑をかける横暴・暴力行為は、欲求とはいえ我慢してもらわなければ危険です。
世界を統一するのなら、その最低限を世界全体のルールとしなければなりません。
世界の10ヶ条(仮)
とはいえ、なるべく全員の価値観を重んじ、動物本来としても多くの欲求が満たせる世界にしたいので、人間全員が納得するルールは、なるべく緩いものでなければなりません。
そこで、今までの話から考えて、こんな感じではどうでしょう。
もちろん再考する余地がたくさんあるルールです。
「人類全体のルールが必要だ」という観点から、あくまで議論の題材として例を出したとお考えください。
ー世界の10ヶ条ー
味方(人間)全体の幸福を考える。
色々な価値観があることを認める。
誰に対してもお互いに敬意を持ちあう。
「感情」と「情報」は分けて考える。
「個人」と「役割」は分けて考える。
力には責任が伴う。
「役割」として嘘をつかない。
「役割」として情報を隠さない。
「全人類の幸福」を目指したのに失敗した策については責めない。
上記が守られている限りは、分かれた村町国独自のルールや条件を守る。
これは結構、緩い道徳ですし、これ以上増やしても覚えきれないと思います。
これが無理なら、その人たちの島も作る
それでも獣として完全な自由でいたい方は、他人の迷惑を考えなくてもいい島を作って、そこの島民になれるようにしましょう。
何事にも長所と短所があって、その島には文明が少なく、とても自然で危険だとは思いますが、生きるというのは、そもそも弱肉強食です。そういう生き方に満足する方もいらっしゃると思います。
お互い合わない価値観で、同じ場所で生きていても、お互いが幸福にはなれません。
全員が同じルールで生きることは難しいです。
話し合って、無理なら分かれて、緩く繋がる道を選ぶ方が建設的ですし、世界は人間にとってあまりに広大なので、もし世界統一が出来たとしても、色々な国があって、色々な制度があった方が、色々な価値観を包括しやすいと思います。