第7回 不思議ちゃんになってしまった、あ・た・し!
仕事は出来ている・・・ような気がする。
一日の仕事を終え、家に帰りその日の仕事を嫁さんに話して(その話が本当に正確な話だったのかは今となっては知る由もない)、満足して眠りに就く。
翌日、また1時間早めに出勤して、カプチーノのラージを注文して絵を描いたりポメラ(デジタルメモ)で文章を書いたりして時間を潰し、時間が来たらゆっくり杖を突いて出社した。
再就職した最初の頃、私は順調に作業が出来ていると思い込んでいた。しかし、何日もしないうちに自分の異常に気付き始めた。
前回も話したが、パソコン上のファイルにナンバリングして整理するとき、なぜかファイルの番号をきちんと揃えることがとても難しいだけでなく、ファイルをまとめたフォルダが支離滅裂になっている事を知った。
高次脳機能障害と診断され、今では高次脳機能障害をある程度勉強しているので『数字の意味が上手く把握できない』のは『失語』の1つの症状だと知っているが、とうぜん再就職当時はそんなことは知らなかった。
自分が失語であることは全く判っていなかったので、『なんでこんなにいっぱいフォルダやファイルができてるんだろう?』『いっぱいできてるファイルにそれぞれ違った方法でナンバリングやネーミングされてるのはなんでなんだろう?』と思っていた。
不思議なフォルダと愉快なファイルたち!
以上の事は前回も書いたのだが、この問題は自分が思っていたよりずっと複雑で大きな問題だった。
高次脳機能障害、失語の一種・・・と書いているが、当時は知らなかった(退院時は担当医に『後遺症は残りません。目眩は多少残りますが、半年もすれば目眩もなくなります』と言われていた)のだが、注意障害や遂行機能障害や記憶障害ほか・・・複数の障害が一度に現れていたのだ。
障害が1つだけなら(1つでも大変なのだが)なんとか自分で対処する方法を見つけることができたかも知れないが、複数の障害が一度に現れる上に日によってその障害の強弱がまちまちに出て来るのだ。
しかも、私は右の小脳が全部壊死してしまっているので、デフォルトで目眩がしていて、蝉しぐれのような耳鳴りもしている。誤嚥もあるし、歩いていると自然と右によれて歩いてしまい気付くと車道にはみ出してしまっているという、下手すると命に係わるような不都合な症状がある。
症状は一人ではやって来ない!
何度も同じことを書いているのは、これが私が気付いた最初の症状で、この症状が無かったら『自分は高次脳機能障害なのでは?』と気付かなかっただろうと思うからだ。
失語と記憶障害、遂行機能障害、注意障害・・・またはそれら全てが混ざった状態で、この状態がどんな症状なのかは私自身今でも良く判っていない。もちろん当時の私は、何が起こっているのか全く判らずにただただ不思議に思っていた。
それにもましてどのように対応するのが正しいかが判らなかったので、当時私が起こしているミスを、誰にも気づかれずにどれだけ短い時間でリカバリーできることにばかりに気持ちが向いてしまい、焦りに焦っていたことを覚えている。
高次脳機能障害が厄介なのは、自分では『自分の高次脳機能障害を理解している』という病識がある・・・と思い込んでいることだ。自分が認識している病状は実際の病状よりかなり軽すぎるのだ。つまり周囲から見た私は、私自身が思い込んでいるよりかなり重篤だというわけだ。
その現実と私自身との認識のギャップが、仕事や平常の生活に考えている以上の不都合をもたらすのだ。
当時の仕事の場合、作ったファイルたちが使い物にならないのは判っているが、『やり直せばなんとかなる』と私は思っているのだが、第三者が見ればとてもじゃないが『修正不可能な出来』なのである。
このことからも判るように、私は自分の病気の程度だけでなく、仕事の実際の状態(成否・可不可)をキチンと判断できなくなっていたし、それは概ね現在でもできないのだ。
焦りに焦って、やがて無性に哀し・・・
ファイルが多数行くへ不明になったとしたら、その問題を解決すのは二通りのやり方がある。
失くしたファイルを見つけるか、最初からやり直すかだ。
失くしたファイルを見つけるのに午前中を使い切るより、さっさと作り直しに意識を方向転換する方が合理的だと、問題が起こっている時以外には判っている・・・つもりになっている。
でも、問題が起こっている最中は、それがどんな些細な問題であっても一度『やり直そう』と思ってしまうと不合理なやり直しにこだわって、合理的な行動に乗り換える事ができない。
理由も解決策も見つけることができず焦る。そしてさらに焦る。どうしようも無く焦って、どう考えてもまともな事をやっているとは思えない状態になってしまう。もし発症前の私が横で見ていたら『もっといいやり方がある』と声をかけるだろう。
諦めきれない理由
今では《注意障害》《過集中》《記憶障害》《遂行機能障害》などなど、複数の障害が一度に現れているのだと判っているのだが、どうしても自分が今その状態に居てちゃんと考えられてないと認識できないという矛盾した状態になっている。
合理的だとは判っていても、行動を合理的なやり方に乗り変えられない理由も今なら判るし、その結果が余りいいものではないことも判っている・・・が、それは次のお話。
拘り過ぎちゃいけない・・・だけど、こだわってしまう・ハードだ!