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あんたなんて産まなきゃよかった


この言葉が今になっても私を苦しめる。
私が自己肯定感が低く
ネガティブであることの原因の一つでもある。


どっかのドラマでも
親がこどもに言い放つシーンをみたことがある。

そんな台詞のような言葉を
私は
私を産んだ母親から
目を見てはっきりと言われたのだ。



中学校2年の時だった。
思春期真っ只中で
その歳頃の子ならではの
タチの悪い噂が広まる時期。

そんな噂を親が鵜呑みにしたのだ。

私の言葉を聞かずに。
弟を守りたいという思いが故に。


私に対する悪い噂は
年後の弟にも影響していたようで
部活などでも私と同学年の連中に色々と
言われていたらしい。
それをどこからか知った母親が、

「あんたなんか産まなきゃよかった」
「あんたがいなかったら
   こんなに◯◯(弟の名前)が苦しむこともなかった」

睨みつけるようにして
大声で私にそう言い放つのである。


しかもこの言葉、
とんでもなくタチが悪いのは
母親が言ったことを覚えていないことだ。

私の母親は精神疾患を抱えている。
カッとなると
自分でもわけも分からず暴言を吐き、
自傷行為をし、
家の中をそこらじゅう荒らすのである。

そして
落ち着くと
急に泣いて謝ってくるのだ。

それが日常だった。


この言葉はその時に放たれたのだ。

弟は昔から身体が弱く
自分の思ったことを言えない人間で
いじめのターゲットにもなりやすかった。

だから母親は弟を守りたかったんだと思う。
そして疾患とも闘っていたんだと思う。
辛かったんだと思う。


でも
そう思えるようになったのは
最近になってからであって。

その言葉は
当時の私にはあまりに衝撃的で辛い言葉だった。

受け止めきれなかった。


私よりも噂を信じるんだ。

そんな噂を立てられた私よりも
弟の方が大事なんだ。

噂を回した人間じゃなくて私を責めるんだ。

私なんていらないんだ。



そんな感情で頭がぐるぐるするのである。

その言葉を言い放たれたのはその1回だけだが

そのたった一言で
私のその後の人生においての価値観が
歪むのである。



あの時どうしたらよかったのか
親元を離れ1人で暮らせるようになってから
冷静に考えることがある。

結論としては
何をどうしても
同じ結末に至るのだと思う。

あの時反発して言い返していたら
恐らく物を投げつけられたりして
さらなる暴言を吐かれ激化するだけなのだ。

何も言わず抵抗しなかったのは
むしろ正解だったのかもしれない。

それしか出来ないと
その年頃ながらに感じていたのと
その場にいた母親とは真逆で怯えた表情をする弟を
早く解放してあげたかったのだろう。

私の健康な心と引き換えに
母親と弟の安全を確保したのだ。

最近はもうそう思うようにしている。



この自己肯定感の欠如や
当時のいじめの時期が重なり
私は人生の幕を自分で閉じようとしたのである。


でもそんな人間が今
サービス業で他人のことを支える職に就き
まだ人生を続けているのである。

不思議な話だ。
自分のことでいっぱいいっぱいなはずなのに。


容易なことではない。
とても辛い思いをたくさんしてきたから
今があると思っている。

その過程は後に別の機会に。




辛くてしんどくて今にも人生辞めたい人。

どうか

生きることを諦めないで。







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