なぜ、noteが生まれ、存続できているのか?
「SNS」という言葉が、いつ、誰によって生み出されたのかは知らない。
気付いたときには定着していた。
新語なんて、いつの時代もそんなものである。
しかし、いつ「人類初の世界的なSNS」が誕生したのかは知っている。
2004年1月22日だ。
これは、twitterでも、facebookの誕生日でもない。
Googleが開発した「Orkut」が正式に運営を開始した日である。
さて、ここからが本題です。
この話は、特に小説を商業出版したい人には後々、極めて大きな意味を持ってくるので、「商業出版への道 第一話」的な感覚でお読みいただけると幸いです。
本題に入った早々にあまりに唐突ですが、人類はみな、つながっています。
言うなれば、「笑っていいとも」の「友達の友達はみな友達だ」というわけです。
この仮説を立証すべく学問レベルで最初に実験を行ったのは、イェール大学の社会心理学者スタンレー・ミルグラム教授。
彼が「スモールワールド」と名付けた有名な実験を行ったのは、はるか昔、1967年のことです。
そして、「スモールワールド」以降、「人類はみな、つながっている」ことは「事実」とされています。
さて、人類はみなつながっている。
これを、専門的には「六次の隔たり」と呼びます。
簡潔に言えば、人を5人介せば、6人目までに世界中の人々はみながつながりを持つということです。
一つ、身近な例を取りましょう。
僕には、大臣まで務めた自民党所属の年の離れた国会議員の友人がいます(彼のおかげで、『クワガタと少年』が小中学校の道徳の教材になりました)。
そして、彼は、当然にして安倍晋三首相とも懇意にしています。
その安倍首相は、アメリカのトランプ大統領とつながっています。
すなわち、島国日本のさらに地方に住む僕ですら、
国会議員→安倍首相→トランプ大統領
と、2人を介せばホワイトハウスとつながってしまうのです。
であるならば、僕の友達であれば
友達→僕→国会議員→安倍首相→トランプ大統領
と、3人を介して4人目でトランプ大統領とつながります。
そして、この「六次の隔たり」こそが、SNSの下地になっているのです。
たとえば、「X」というSNSがあり、Aさんが登録をする。
一人では意味がないので、Aさんは友人のBさんを招く。
すると、Bさんは、自分の友人のCさんを招く。
この時点で、Aさんは見知らぬCさんとつながることができる。
さらに、CさんがDさんを招けば、AさんはDさんともつながれる。
SNSというのは、「六次の隔たり」をインターネットで提供するサービスと言っても過言ではありません。
現実世界ではなかなか出会えない人。
現実世界では友達ができづらい人。
こうした人たちが、SNSによって次々につながっていくわけです。
そこに「楽しさ」や「利便性」があれば、「SNSは金になる」。
まさしく、世界で最初にそのことに気付いたのがGoogleであり、それを具現化したのがOrkutだったわけです。
蛇足ですが、Orkutはブラジルなどの南米でしか流行らずに、2014年にサービスを終了していますが、その理由は本題から外れるので割愛します。
それよりも、Orkutを見限ってYouTubeを買収したGoogleの英断に拍手を送るべきでしょう。
ちなみに、「六次の隔たり」理論では、「人間には平均44人の知人がいる」と仮定し、
1人→44人→44の2乗→44の3乗
と、知人の輪が広がっていけば、44の6乗で世界の人口を超えることを根拠としています。
いずれにしても、友だちを招く行為が伝搬すれば、やがてはそれは大きなネットワークとなります。
Googleは、2004年に実際にこの仮定を下地にorkutを始め、さらにはこのビジネスモデルが多くの人に刺激を与え、次々と数えきれない同様のサービスが提供されて、気付いたときには、冒頭で述べたように、このサービスは「SNS」と呼ばれるようになっていた、というわけです。
さて、タイトルで僕は、
なぜ、noteが生まれ、存続できているのか?
と、問いましたが、もはや説明など不要でしょう。
「六次の隔たり」理論を下地にしているからです。
もちろん、ビジネスは数学ではないので、実際に潰れてしまったSNSが枚挙にいとまがないように、存続するためには別の要因も必要です。
そして、それは極めて単純な理由で(しかし、運営サイドには高負荷がかかる)、「ユーザーに満足してもらうこと」に他なりません。
言い換えれば、ユーザーは不満を感じたら、あっさりとそのSNSを見捨てます。
実際に、これをお読みの人の中にも、以前はmixiの会員だった人も少なくないのではないでしょうか。
かく言う僕もそうですが、この7年ほどmixiにログインすらしたことがありません。
すなわち、僕はmixiを見限ったわけです。
いえ、そうした人は何千万人もいます。
そして、みなが一斉にfacebookに乗り換えました。
こうなると、もはや歴史的な民族大移動ですね。
そして、ここに来て、「SNSの細分化」が始まっています。
顕著なのがinstagramでしょう。
写真で自分の素性や自分の人生を表現したい人にとって、instagramは最高のSNSです。
もはや、10代、20代(一説では30代も)は、facebookからinstagramへの移行は済んでいます。
もっとも、フェイスブック社にしてみれば、どちらも自社のサービスなので、自分の右の手のひらにいた人が、左手に移ったに過ぎないのですが。
このあたりは、さすがフェイスブックと感嘆せざるを得ません。
ところが、そこに中国が参入してきました。
そう。TikTokです。
現在は、10代を中心にinstagramからTikTokへの民族大移動の真っ最中です。
これに加えて、当然、LINEも無視できませんが、ご存じのとおりLINEは韓国企業のサービスです。
そう考えると、noteというのは数少ない純国産のSNSなわけです。
僕は、noteを始めてまだ4ヵ月も経ちませんが、会員数が数千人しかいなかった頃のmixiのような牧歌的な雰囲気が特徴だと感じています。
厳密には、noteで数百万円稼ぐような人もいるわけですが、僕のような吹けば飛ぶような些末なユーザーが彼らと交わらないような、みなが、noteの中で自分の居心地の良い場所を見つけ、そこで安住している。
そうしたユーザーの頭の良さと人柄に支えられているのがnoteというSNSだと思っています。
言い換えれば、その調和が乱れれば、noteはmixiの二の舞になるでしょう。
想像してみてください。
みなさんの記事に、こんなコメントが寄せられる場面を。
記事を無料で書いているなんて、あなたも暇人ですね。
まぁ、そう言う私も、先月はnoteで200万円しか稼げなかったので、もっと頑張らないといけないんですけどねwww。
一瞬にして気持ちが萎える悪夢。
いくらブロック機能があっても、平穏だった村に突然、鬼が現れるようなものです。
繰り返します。
「六次の隔たり」理論があるかぎり、SNS自体はなくならないでしょう。
ただ、そこに参加したユーザーに「満足」を与えられなくなった途端に、そもそもが「人のつながり」で成立しているサービスなので、その鎖が切れて、いとも簡単に消滅する、その危険性と隣り合わせなのがSNSだと僕は考えます。
さて、次回は、noteを使っていて気付いたこと。
具体的には、SNSの下地となっている「六次の隔たり」を「夢の実現」のためにどう活用したらいいのか、という僕なりの持論を提唱してみたいと考えています。
もっとも、その「次回」がいつになるのかは、現在は未定であることをご了承ください。
くどいようですが繰り返します。
SNSがあるから、「六次の隔たり」が生まれ、人がつながるのではありません。
「六次の隔たり」で人同士は元々つながっているので、SNSが存在できるのです。
そして、「六次の隔たり」と「行動力」さえあれば、たいていの夢は叶う。
これが僕の持論です。
ちなみに、SNSならば「3.5次の隔たり」で世界中の人とつながるという説もあります。
さらには、そもそも日本人に絞れば「三次の隔たり」で、元々みなが、つながっているという説もあります。
では、日本人に絞って、さらにSNSを活用したら一体なにが起きるのか?
次回はそんな話をしてみたいと思います。
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構想、執筆に22年。
不登校児が学校へ行った、読者が自殺を思いとどまった
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