篤があつしに変わるまで 2 『すべては、彼の一言から始まった』
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<ずっと手書きの台帳でやってきたのに、なぜ、突然パソコンなんか・・・>
<パソコン導入を決めたのはそちらの社長でしょう。八つ当たりもほどほどにしてくれないか>
声にこそしないが、ともに不満を抱えた2人が機械的に話を進めていると、階上の社長室から 2人の人物が降りてきた。
見慣れた1人は、その会社の宮城社長。
しかし、その隣の人は初顔だ。
「お世話になります」
ボクは宮城社長に頭を下げると、隣の人には軽く会釈をした。
ボクとはなんの関係もない人物ではあるが、会釈ぐらいはしておくのがエチケットだろう。
すると、その人は来客テーブルに招く宮城社長をよそに、ボクたち、いや、厳密にはボクのところに歩み寄ってきた。
気が付くと、憂鬱なオペレーターは、彼らにお茶を出すためにすでに給湯室に消えていた。
「こんにちは」
彼は満面の笑みでボクに挨拶を交わす。
年にして40代半ばぐらいであろうか。
よく言えば「社交的」、悪く言えば「お調子者」という印象の人だ。
「へー、マック、使ってるんですかー」
「あれ、これエクセルですねー」
「あ、これは凄い。エクセルでこんなこともできるんですね」
矢継ぎ早に、ひとり言ともボクへの質問ともとれる言葉が飛び出す。
<んー。この人はかなりパソコンに精通している。
マックやエクセルに気付くのは造作もないことだが、彼は、ボクが「エクセルを開発ツールにして」販売管理ソフトを開発したことに見た瞬間気付いている>
これだけ鋭いのだから、次の質問が彼の口から出てきてもなんの不思議もない。
「これって、エクセルのマクロで作ったんですか?」
「はい、そうです。エクセルはバージョンが5.0になってマクロ言語もVBAになりました。これは画期的な進歩です。だから、こんなことができるようになったんですよ」
「へー。エクセルのマクロはこんなに進歩したんだー」
しばらくの沈黙のあと、彼が言葉を発した。
「これくらいの販売管理をエクセルのマクロで作るのに、日数は結構かかるんですか?」
「いやー、予定では2ヵ月を見込んでたんですが、実際には4ヵ月かかっちゃいました。おかげで、今回の仕事は割にあわなかったですよー」
ボクは、多少意地悪な視線を宮城社長に向ける。
「かかる日数を正確に見積もるのも仕事のうちだぞ」
宮城社長は、ボクに笑みを返す。
そして、ボクは再び彼との会話に戻った。
「実は、バージョンアップしてからエクセルの書籍がまったくないんです。そのために予想以上に時間がかかっちゃったんです」
「え? だけど、時々本屋で見かけるけどなー」
「えー。操作的な解説書は多少はあるんですけど、VBA、マクロ言語になるとさっぱり、というのが現状です」
そして小声で言った。
「『Excelマクロで作る販売管理』なんて本があれば、この規模のシステムなら2週間で作れますよ。ボクにそんな本を書かせてくれる出版社があれば、間違いなくベストセラーですよ」
初対面の人にこんな「冗談」を飛ばすボクも「社交的」、いや「お調子者」のようだ。
どうやら、名前も知らないこの人とは気が合いそうな予感がする。
「売れるよ」
「え?」
「その本売れるよ。書いてみたら?」
「え?」
「その本書いてみたら? ボクが力になりますよ」
すべては、彼のこの一言から始まった 。