篤があつしに変わるまで 1 『ストレス地獄』
このエピソードからお読みの方は、 『篤があつしに変わるまで 0 プロローグ』 からお読みください。
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この作品はノンフィクション(実話)ですが、登場する個人名・団体名は架空のものです。
また、物語に妙味を加えようと「エピソードを盛る」ような行為は一切しておりません。
「それでは次に、データの変更の方法をご説明します」
「え? あっ、はいはい。お願いします」
ほら、これだ。
人の説明などなんにも聞いちゃいない。
もっとも、この人の気持ちもわからないではないが。
<なぜ突然、私がパソコンなんか覚えなければいけなくなったの?>
そんな不満が頭の中で渦巻いているのだろう。
しかし、はなからやる気のかけらもない人にソフトの説明をしなければならないボクの気持ちもわかって欲しい。
ボクの人生哲学は『誰でも最初は初心者』である。
初心者に教えるのは、決して嫌いではない。
むしろ、感謝されたときの喜びはなにものにも変えがたい。
ボクは元来は、設計やプログラミングより、サポートのほうが好きなくらいだった。
ところが、時は1995年の夏。
当時は、どの会社に行っても、渋々ボクの説明を受けるパソコン担当者ばかりであった。
これは単なる偶然ではなく、とある会社でボクのソフトの「受け」が非常に良かったため、いくつかの関連会社に一斉に、ボクの販売管理システムの導入指令が出されていたためだ。
そしてそれは、それまでは手作業でもそれなりに楽しく仕事をしていた、パソコンに恐怖心さえ感じる関連会社の事務員には、はなはだ迷惑な指令だったというわけである。
一度覚えてしまえば自分が楽になるのに、なぜそれをわかろうとしないのか。
いくら「客」だからといって、説明を受けるときにその好戦的な態度はやめてくれないか。
毎日がこのイライラの連続。
これでは『初心者にやさしく』というボクの人生哲学も吹き飛んでしまう。
実際、キーボード上で四方八方に人差し指を動かしながら文字を探しているその人の姿を見て、ボクは鼻から苦笑を漏らしていた。
<おいおい。それじゃ、百人一首の札取りじゃないか>
それほどまでに、ボクのストレスは絶頂に達していた。
<もうシステム開発からは身を引こう>
<いや、思い切ってコンピュータ業界からは足を洗おう>
<俺は、TOEICで800点のスコアを持ってるんだ。いっそのこと通訳にでもなるか?>
もっとも、英語は単なるツールである。
本当にプロフェッショナルと呼べるだけの通訳になるためには、地理や歴史、経済、文化など、幅広い知識や見識が要求されることはわかっていた。
それだけに、一瞬でも「通訳になろう」なんて思った自分を嘲笑う自分。
それでいて、ではなにをどうしたらこの「ストレス地獄」から抜け出せるのか、その解決法を見い出せない自分。
「ストレス地獄」から抜け出せないストレスが、さらにストレスに拍車をかける。
今でも「悪循環」という言葉を聞くと、当時の自分を思い出す。
しかし、そんなボクの運命は、その数分後に劇的に変わり始めることになる。
「通訳になろう」なんて、できもしない考えが頭をよぎったその直後から・・・。