篤があつしに変わるまで 11 『ジャーナリスト、秋田さん』
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本になるはずの原稿が、ただの紙くずになってしまった。ボクがその後、しばらく放心の日々を過ごしたのは言うまでもない。信じていただけに、その分落胆もまた大きなものだった。
しかし、いつまでもくよくよしていても仕方がない。早く気持ちの整理をつけなければ。早くこの無念をふっ切らなければ。
そしてボクは、事の顛末を、ボクが福島社長を知るきっかけとなった宮城社長にだけは報告しておこう。そう考えた。
その報告で「けじめ」をつけて・・・。
悲しいが、また開発の日々に戻ることにしよう。
「宮城社長、結局駄目でした。例の本の話」
「え? 駄目だったの」
「はい。300ページ書いた原稿もパーです。でも、もう気持ちの整理もつきましたし・・・」
ボクはなにを言ってるんだ。
「気持ちの整理がついた」じゃなくて、「気持ちの整理をつける」ためにここにいるんだろう?
「うーん。パソコンのことは私はまったくわからないけど、世の中『Windows95』『Windows95』って大騒ぎじゃない。なんとかならないものかな・・・」
「・・・」
「あ、そうだ。私の知り合いに一人、ジャーナリストがいるよ。彼に相談してみよう」
ジャーナリスト・・・。
正直、気乗りはしなかった。
もう済んだ話である。
ジャーナリストに相談して、どうこうなる話とも思えない。
それに、また同じような惨めな思いはもうしたくない。
しかし、事のほか宮城社長は熱心であった。福島社長を紹介した責任のようなものを感じているようにボクの目には映った。
そして、その2日後に、ボクはそのジャーナリスト、秋田さんに会うために、東京は茅場町に出向くこととなる。
が、とても「期待に胸を膨らませて」という心情ではなかった。宮城社長の紹介ということで、むしろ「仕方なく」というのが本音であった。
東京までの電車賃がもったいない。こんな時間があったら、水泡に帰してしまったこの数ヵ月を取り戻すべく、早く仕事に専念したい。
ボクがそう思うのも無理からぬ話だ。なぜなら、秋田さんは「ライター」ではなく「ジャーナリスト」。しかも、医療問題に熱心なジャーナリスト。
そして、これはあとから知ったことだが、秋田さんはパソコンはおろか、ワープロさえ触ったことがない御仁だった。そのようなジャーナリストに相談して、この現状が打開できるとはどうしても思えない。
東京へ向かう新幹線の中で、ボクは胸中で悲観的な独り言をリピートしていた。
そして、秋田さんとの面会。
今からして思えば幸運。
しかし、そのときには皮肉なことに、秋田さんと会うことによって、ボクは再び過酷な運命にもてあそばれ始めることとなる。
福島社長のときとは比較にならないほどのボクの七転八倒の日々がまさしく始まろうとしていたわけだが、それはまたのお話。