◆仕事が好きな私が、育児が辛い理由を考えた話
今から3か月前に書いたnoteです。
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消化試合
おちびの慣らし保育がはじまり、わたしの仕事復帰も目前。はぁ、さみしい。夕暮れ時におちびを抱えてベランダに出ると、胸がきゅーん、となる。
おちびが5ヶ月になったころ。わたしは、友だちだけに公開しているSNSのアカウントにて、こう記している。
親あるまじきと思われるかと思って、ひとには言わないようにしているんだけど、ちょっと子育て飽きてきた。いまはルーチンとイレギュラーのバランスが悪すぎる。ルーチンが多すぎると達成感が薄れてしまって息苦しい。(中略)離乳食を始めると違ってくるかな。いまは消化試合。
そういけば、社会人なりたての頃の日記に「最近は消化試合だな」とよく書いていた。非生産性な日々、それをわたしは「消化試合」と呼んでいた。
記憶を辿れば大学時代から、手帳のカレンダーはサークルとゼミとバイトの予定で真っ黒。忙しなく動くわたしを友だちは半ば呆れ顔で見守ってくれていた。
そんなわたしにとって消化試合とは、一種の「苦痛」をともなうものだった。これじゃダメだなぁと思いつつも何も手立てがない。虚無の時間。
30になり結婚し、自分の中で、仕事と家事と趣味とをバランスよくこなせるようになり、「非生産的な暇」がなくなった。
と思ったら、再び到来したのだ。育児期間に。
育児という労働
わたしにとって育児時間は「断続的な労働」ではなく「突発的な労働」であった。ずーっと何かをしているか?と言われると、していない。ぼーっと子どもを眺めたり、抱っこしながらテレビを見たり、一緒にお昼寝したり。会社で働く人から見たら「それ休んでるやん」と言われる時間も度々ある。でもそれは「結果として休んでいる」のであって、次の瞬間「労働しなければならない場面がくるかもしれない」可能性を常に抱えながら、の休憩であるため、果たして本当に「休んでいる」のかどうかは自分でもわからなかった。
しかもその可能性を抱えていることで、「計画的な労働」ができなかった。「前にやったのが1年前だからそろそろカーテン洗おうかな」とか「テーブルの下のものから毎日3枚ずつタイルカーペットを洗っていこう」とか。そういった計画的にやっていく家事が、「まとまった時間が取れない」ことでわたしには着手することすらできなかった。
だから、場面を切り取ると「常に何かをやっている」のにもかかわらず、1日を振り返ると「何やってたっけな」と虚無感が湧き起こる非生産的な日々の連続だった。
虚無に寄りかかりながら、どっと出た疲れから抜け出すことができずにいた。
もうひとつの苦痛の原因
そしてもうひとつ。わたしが「苦痛」と感じる要因があった。
そいつの正体は、
「サービス精神」だった。
目の前の相手を楽しませたい。
いや、失望したり退屈させたりしたくない。
それは仕事でも私生活でも。
相手が気心の知れたパートナーであっても、だ。
主人を誘って外出をすると、
そわそわする。
「ツマラナイ、って思ってないかな」
「帰りたい、って思ってないかな」
決して主人はそういうタイプではない。
出不精ではあるが、付いてきたらそれなりに楽しんでくれる。
でも突然「帰ろうや」と言われるのでは、という謎の不安に襲われてしまい、
頭の中では話題になる事柄はないかと片っ端から引き出しを開けて回る。
湧き出るサービス精神
おちびは7ヶ月あたりからひとり遊びができるようになってきた。
ベビーサークルの中で、絵本をパタパタしたり、積み木をカチカチしたり、ビジーボードの鏡に映る自分をみつめたり。
そのため、たいていの家事はサクサクっと終わらせることができた。
「おちびはご機嫌よく遊んでるし、これが終わったらコーヒーでも飲みながらひと息つこうかな〜」と考えながら皿を洗う。
完了してキッチンを出ると、背中を向けていたおちびがくるりとこちらを向き、目が合う。おちびはニコッと微笑み、そしてまた手元に目落とし遊び始める。
そのまま見守ろうかと思ったそばから、ふつふつと湧き出る、サービス精神。
わたしは手に持っていたコーヒーをマグカップに注ぐ、、、ことは断念し、おちびのそばに腰を下ろす。そして、そばにあった積み木を手にとり「どうぞ」とおちびに手渡す。
嬉しそうなおちびの顔をみて、またふつふつと湧き出るサービス精神。手を叩いて歌を歌ってみたり、絵本を並べて「どれがいい?」と問いかけてみたり。おちびのご機嫌とりに走る。
「目をつぶって休めるときは休んでおき、ね」そうやって会う人会う人にアドバイスをもらっていたが、どうしても、わたしには「我が子を横目にひとやすみ」が、できなかった。これはもう、性格なのだろう。
喉元過ぎれば
目の前の我が子の愛しさと尊さ、とは別の次元にある、「育児の辛さ」。2度と経験しなくていいなら、ばんざい!だし、何か対処法があれば事前に知っておきたかった。
でもきっと「攻略法」なんてない。それは母親になる人それぞれの性格やおかれている環境によって左右されるもので、ひとつとして同じ辛さはないんじゃないかなと思うから。
しかしそんな中で確信をもっていえるのは「それは過ぎ去るもの」。また別の辛さが訪れるかもしれないけれど、そのときに直面する辛さは、その場においたまま、私たちは前に進んでいく。進んでいくしかない。それほど育児って、無我夢中であっという間の時間なんじゃないかな、と、そう思う。